トランプ米大統領が世界を相手にしかけた貿易戦争が通貨戦争に飛び火(写真:AP/アフロ)
トランプ米大統領が世界を相手にしかけた貿易戦争が通貨戦争に飛び火した。リーマンショックから10年、世界は、全面的な経済戦争に巻き込まれようとしている。トランプ大統領が照準にしているのは中国人民元と欧州単一通貨ユーロである。これに関連して、米連邦準備理事会(FRB)が取り組んでいる利上げを「好ましくない」とけん制した。
トランプ氏の「低金利好き」は有名だが、FRBへのあからさまな介入は異例で、民主国家の基本である中央銀行の独立性を揺るがしかねない。国際政治、貿易から通貨、金融政策に広がるトランプ暴走は、基軸通貨としてのドルの信認を低下させる恐れがある。通貨戦争が拡大すれば、円にも波及せずにはおかないだろう。
リーマンショック10年後の経済戦争
2008年9月のリーマンショックは、米国発の金融危機に端を発して世界経済全体を危機に陥れた。その10年後の世界経済は、トランプ発の貿易戦争により再び収縮の恐れが出てきた。トランプ大統領が打ち出した鉄鋼、アルミニウムの輸入制限に欧州連合(EU)、中国、カナダなどが一斉に対抗措置を打ち出した。
知的財産権の保護を理由した米中間の貿易戦争はエスカレートするばかりだ。加えて、トランプ政権は自動車輸入に高関税を課す方針を掲げている。輸入制限が鉄鋼・アルミから自動車に波及すれば、日本、EUを直撃し、世界経済を失速させかねない。
ブエノスアイレスで開かれた20カ国・地域(G20)の財務相・中央銀行総裁会議はトランプ発の保護主義に批判が集中した。共同声明では「貿易摩擦で世界経済に下振れリスクが増大する」との警戒感が示された。
トランプ大統領はこうした世界を相手にする貿易戦争に通貨、金融政策をからめ始めている。テレビインタビューで「我々の通貨は上昇している。それは我々を不利な状況に置いている」とドル高の進行に不満を示した。さらに「中国や欧州や他の国では通貨と金利を低く誘導している」と各国、地域の通貨、金融政策を批判した。
保護主義と通貨安競争が世界不況を招き、それが第2次世界大戦の誘因になったことは歴史が証明している。トランプ大統領が貿易戦争に通貨戦争をからめ全面的な経済戦争に踏み出すなら、世界経済への打撃はリーマンショックを上回ることになりかねない。
人民元とユーロは
トランプ大統領が「通貨戦争」のターゲットに想定しているのは中国人民元とユーロだろう。それはハイテク覇権を争う中国の通貨であり、「敵」と考える欧州連合(EU)の通貨であるからだ。
中国の習近平政権は30年戦略で人民元をドル・ユーロと並ぶ3大国際通貨にする方針を打ち出している。しかし、人民元の国際化への道は遠い。中国では国際通貨の基本的条件である変動相場制ではなく「管理相場」が採用されている。それだけに、恣意的で不透明な相場決定に対して、米国だけでなく各国に不満がある。金融政策を司る中国人民銀行(中央銀行)も中国共産党の意思決定に従うだけで、独立性はない。
最近の相場は1ドル=6.8元と1年ぶりの元安・ドル高水準をつけた。米中貿易戦争と中国経済の減速のなかで、元安を誘導しているのではないかという疑念もある。しかし、元安が行き過ぎれば、資本流出を加速させる危険もあり、過度な元安は避けるとみられている。どちらにしても人民元は「為替操縦」の疑念がつきまとうだけに、トランプ政権の攻撃の的になりやすいだろう。
一方のユーロは安定的に推移している。ユーロ圏の金融政策を一元的に運営する欧州中央銀行(ECB)は、年内に資産購入を終了するなど、緩和からの出口戦略に着実に取り組んでいる。ただし、政策金利の引き上げは来年夏までは実施しない方針だ。
ユーロ危機に直面したドラギ総裁は、「ドラギ・マジック」と呼ばれる超緩和で危機を防いだが、出口戦略はユーロ圏経済の実態をにらみながら、現実的選択を取っている。タカ派で次期総裁候補のワイトマン独連銀総裁からすると、利上げは遅すぎると映るが、ギリシャ、イタリアなどなお難題を抱えるユーロ圏経済全体からみると、正しい道を歩んでいるといえる。FRBに比べると出口戦略は遅れているが、超緩和から抜け出せない日銀と比べるとずっと先を行っている。
ECBの政策決定に「意図的なユーロ安誘導」という選択肢はありえない。タカ派でいつも通貨高を求める独連銀の影響力はいまなお大きい。EUを「敵」と考えるトランプ大統領だが、ECBの政策を「通貨、金利を低く誘導している」と決めつけるのは、無理がある。
危険なFRBへの介入
危険なのは、FRBの金融政策へのトランプ大統領の介入である。トランプ大統領は、着実な出口戦略で市場の評価も国際的評価も高かったイエレン前議長をあえて交代させて、経済専門家ではないパウエルFRB理事をFRB議長に起用した。経済政策の要にあるFRB議長に「トランプ印」を置きたかったからである。
パウエルFRB議長は就任直後は「低金利好き」のトランプ寄りになるのではないかと警戒されたが、その後、年4回の利上げをめざすなど、利上げ路線を確実に進めている。懸念された市場との対話も巧みだと安堵が広がっている。
そのうえ、パウエル議長はトランプ発の貿易戦争に警鐘を鳴らしている。議会証言では「幅広い製品に長期にわたって高関税が課せられれば、米国や相手国の経済に悪影響をもたらす」と保護主義に警告した。自由貿易が米国経済の成長に貢献してきたとも指摘し、トランプ政権による自由貿易からの後退に懸念を示している。
FRB議長として、こうした正論をはくのは当然の使命である。ボルカー、グリーンスパン、バーナンキ、イエレンと、どの歴代議長もトランプ暴走を目の当たりにすれば、苦言を呈したはずだ。
このパウエルFRBにトランプ大統領はあからさまに介入した。FRBの利上げを「好ましくない」と明言した。「(景気が)上向くたびに、彼らはまたやりたくなる。我々は経済に打ち込んでいる。それで金利が上がるのをみるのは好ましくない」というのである。
このトランプ発言は、金融政策とは何かということを、いかにわかっていないかを示している。景気が悪化すれば、利下げが求められるが、景気が好転すれば、利上げが必要になる。決断すべき利上げを先送りすれば、インフレなど危機のマグマが蓄積するだけだ。適宜適切で弾力的な政策運営こそ重要である。単なる「低金利好き」は、経済政策の基本から外れる。
最大の問題は、FRBに対する介入が「中央銀行の独立性」を損なう恐れがあることだ。中銀の独立性は、成熟した民主国家の基礎的条件である。中銀の独立性が維持できているかどうかで、民主国家の成熟度がわかる。政権の意向とは離れて、中銀は自ら政策判断することが求められる。そのために多様な見方をもつ経済専門家が理事や地区連銀総裁として配され投票権を付与されている。
歴代大統領はこのFRBの独立性を重視してきた。中央銀行への政治介入はタブーであり、政治家の命とりになることを熟知していた。トランプ大統領がこの基本原則を無視して、FRBへの介入に踏み込むなら民主国家としての米国の信認を失墜させるだけだろう。
損なわれるドルの信認
国際政治から国際経済に及ぶトランプ大統領の暴走は、超大国・米国の信認を揺るがし、ひいては基軸通貨・ドルの信認を損なうことにつながる。世界貿易機関(WTO)のルールを無視する保護主義の発動、地球温暖化防止のためのパリ協定からの離脱は、米欧同盟の亀裂を招いた。ロシア疑惑のなかでのロシア接近が内外のトランプ不信を高めた。FRBへの介入は、一連の「トランプ第一主義」の究極の姿を映し出す。
米国への信認低下がドルの信認を揺るがすのは歴史が証明している。ベトナム戦争やイラク戦争が基軸通貨としてのドルの信認を低下させたのは事実である。
基軸通貨としてのドルに対抗馬が不在の時代なら、ドルの地位は不変かもしれないが、ライバル通貨が登場すれば、基軸通貨の座も安泰とはいえなくなる。ライバル通貨として登場したユーロは、金融政策がひとつでも財政政策はバラバラという構造的矛盾を抱えて危機に直面した。
しかし財政統合を中心にユーロ改革が進めば、国際通貨としての存在感を高めるだろう。中国人民元が本物の国際通貨になるには、変動相場制の採用や人民銀行の独立性確保など「国家資本主義」そのものの修正が求められる。相当の時間を要する。それまで中高成長を維持できるかどうかである。
円の戦略を立て直すとき
通貨戦争が広がれば、ドルとユーロ、人民元だけの問題にはとどまらなくなる。資本流出の危機に直面する新興国は、FRBの利上げに歯止めがかかる事態になれば、小康状態を取り戻すかもしれない。一方で、中国やEU同様、米国との貿易摩擦を抱える日本には円高圧力がかかる可能性がある。事実、トランプ大統領の金利、通貨をめぐる発言を受けて、円相場は上昇に転じた。
アベノミクスは円安を前提に組み立てられているところに根本的な問題がある。円安・株高に頼り続けるのではなく、円高を生かし経済構造を改革することこそ肝心である。同じ敗戦国で奇跡の復興を遂げた日独にいま大きな差がついたのは、通貨高を望むドイツと通貨安を期待する日本との「通貨観」の落差からきている。
通貨戦争のなかで、日本は通貨戦略と経済戦略を再構築する必要に迫られている。
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