英国にはもともと主要メディアを含めてEU懐疑論が根強かった。キャメロン首相自身も実はEU懐疑派だったといえる。国民投票で英国がEU離脱を選択するなら、それはそれでいいと考えていたふしがある。2016年6月の国民投票は実はEU懐疑派とEU離脱派の戦いでもあった。そんな危険な国民投票を実施したこと自体が1番目のオウンゴールである。

 キャメロン氏のEU観は1992年の欧州通貨危機のなかで形成されたといえる。英ポンドはジョージ・ソロス氏の投機を浴びて欧州通貨制度(EMS)の為替相場メカニズム(ERM)からの離脱をよぎなくされる。キャメロン氏は担当官としてこの通貨危機に立ち会っている。ユーロ危機のさなか、ユーロ圏が危機打開に苦闘しているときにキャメロン首相は「英国はユーロに加盟していなくてよかった」と述べて、ひんしゅくを買ったこともある。独仏主導のEU運営に疎外感を味わわされていたのは事実である。

 キャメロン首相の後を継いだメイ首相はもともと、消極的なEU残留派だった。内相経験から移民問題には頭を悩ませていたが、何がなんでもEU離脱をめざすという政治的立場からは程遠かった。しかし、英国首相としてBREXITをめぐる議論がソフトとハードの間で揺らぐなかで、国内の政治的立場を固めたいという思いは強かった。「BREXITはBREXITだ」と言い切っていた。

 しかし、政権の足場固めのために、2017年6月にあえて総選挙を前倒しし、敗北したのは政治的センスの無さを示している。2番目のオウンゴールが、メイ政権を弱体化させたが、3番目のオウンゴールがメイ政権の危機を決定づけたといえる。

「大国意識」がもたらしたもの

 民主主義の先進国である英国でなぜこうも政治的失態が続くのか。指導者の政治的資質に問題があるのは事実だが、そこには抜きがたい「大国意識」が潜んでいる。

 その源流をさかのぼれば、ウィンストン・チャーチル首相に突き当たる。第2次大戦後の混乱のなかで、最も早く「欧州合衆国」構想を打ち出したのはチャーチルだった。チャーチルに刺激されて欧州統合に動き出したのが「欧州統合の父」とされるフランスの実業家、ジャン・モネである。

 ただし、チャーチルの「欧州合衆国」構想は英国抜きの構想だった。「欧州合衆国」との関係についてチャーチルは「“with”not“in”」と述べている。英国は「欧州合衆国」のなかには入らず共生するという姿勢である。そこにあるのは、「大英帝国」の流れを汲む「大国意識」である。チャーチルは戦後の世界を支配するのは米国・英国・旧ソ連の3大国だと考えていた。

 この英国の「大国意識」は、結局「英国病」をもたらすことになる。仏独和解を軸に、欧州統合が急進展するなかで、英国は出遅れる。欧州共同体(EC)に加盟できたのは、申請から12年後である。欧州統合の列に加われず、かつての英連邦の結びつきを薄れるなかで、英国はポンド危機と経済停滞に直面する。

 英国経済はサッチャー改革だけでなく、EU市場と外資に依存する経済構造が出来上がったことでようやく再生された。

BREXITが招く英国病

 EU離脱は、それがソフト離脱であれ強硬離脱であれ、英国経済に影響を及ぼさずにはおかない。英国経済は「大欧州」として拡大するEU市場に大きく依存している。英国経済はそのEU市場に照準を合わせた外資にも大きく依存している。この徹底した外資依存は「ウィンブルドン現象」と呼ばれるほどだ。BREXITは、停滞し続けた英経済を再生させたこの経済構造を自らの手で崩壊させるようなものである。英国の歴史のなかでも特筆すべき愚策といえるだろう。

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