モンティ首相の経済政策は改革と成長の両立をめざすもので、ユーロ危機後のEU改革のモデルになったほどだ。事実、メルケル独首相は、影の薄かったオランド仏大統領よりもモンティ首相を頼みにしていた。EU首脳会議の取材でこんな光景を見たことがある。メルケル首相が会議場の片隅で最も長く話し込んでいたのはモンティ首相だった。まるでモンティ教授に教えを乞うように見えた。

 これに対して、無名のコンテ氏は組閣断念に追い込まれる。ユーロ離脱を主張してきたエコノミストのサボナ氏を財務相に起用することに、EUの原加盟国でユーロの創設メンバーであるイタリアの将来を揺るがすとマッタレッラ大統領が強い危機感を示し、拒否したからだ。コンテ氏の挫折が最初にあったことは、イタリアの将来にとっては不幸中の幸いというべきかもしれない。

財政バラマキなら危機増幅の恐れ

   

 なにしろ極右・ポピュリスト連合が打ち出したのは、最低所得保障制度の導入や大幅減税など、無責任な財政バラマキ策である。失業者一人当たり月780ユーロ(約10万円)の最低所得保障を実施する。合わせて、法人・所得税を20%、15%の2段階に簡素化し、減税する。これらの財政負担は少なくとも年650億ユーロかかる計算だ。

 いったんは、欧州中央銀行(ECB)が保有するイタリア国債の債務免除(2500億ユーロ)まで検討したが、批判が集中すると、今度は、このイタリア国債を財政赤字とみなさないよう求める構えだった。イタリア財務省出身のドラギECB総裁のメンツをつぶすような無理難題だといえる。

 極右・ポピュリスト連立合意では、EUの基本である財政基準の緩和も求めていた。財政赤字の国内総生産(GDP)比を3%以内にする基準である。イタリアの財政赤字のGDP比は2017年に2・3%と基準内にあるが、財政バラマキが実施されば、基準を突破しかねない状況だ。政府債務残高のGDP比は130%とギリシャの180%に次ぐ高水準にある。ユーロ基準の60%の倍以上にあたる。

 イタリアの放漫財政懸念からイタリア国債は売られ、30年物国債の利回りは3%台に上昇している。EU内では、フランスのメール財務相が連立政権の放漫財政に警告を発している。マクロン仏大統領が主導しようとしているユーロ改革に冷水を浴びせる恐れがあるからだ。

 このまま、放漫路線を突き進めば、イタリアがEU内で孤立する可能性が強い。それどころか、イタリア国債の利回り急騰など市場の反乱から、ただでさえ停滞するイタリア経済が危機に逆戻りする危険がある。

英国との類似点と相違点

 政治混迷を経てイタリアは、EU離脱で英国の後を追うことになるのか。世界の市場はそこを注視している。たしかに英国とイタリアには、類似点がある。その一方で相違点も多い。

 1992年、欧州通貨危機で英ポンドとイタリア・リラはともにユーロの前身である欧州通貨制度(EMS)の為替相場メカニズム(ERM)から離脱を余儀なくされる。ヘッジ・ファンドの帝王であるジョージ・ソロス氏から売り投機を浴びせられたからだった。ERM離脱は同じだったが、その後が違った。英国はそのままERMには復帰せず、ユーロにも加盟しないまま現在に至っている。そしてBREXITである。その一方で、イタリアは1996年にはERMに復帰する。そしてユーロの創設メンバーになる。