リー・クアンユー氏の後を受けたゴー・チョクトン首相も地味だが、強力な指導者だった。筆者が日本シンガポールの国際会議に参加した際のことだ。今後の運営について日本の代表が「いったん日本に持ち帰って」と切り出すと、ゴー・チョクトン首相は「いや、ここで決めよう」と言い放った。何事も即断即決であることをうかがわせた。

 現在のリー・シェンロン首相は、はじめは偉大な父親に遠慮がちだったが、その視野の広さ、深さは父親に匹敵する。ダボス会議で懇談の機会があったが、冷静な分析に世界のベテラン・ジャーナリストも聞き入っていた。いまやアジアで最も安定した政治家と受け止められている。歴史的な米朝首脳会談がシンガポールで開かれるのも、リー・シェンロン首相の存在が大きい。

東南アジアの両輪

 マハティールとリー・クアンユーという両雄は、両極にいるようにみえて、その関係は一貫して良好であった。リー・クアンユーは「マハティールとの考え方の違いはあっても、私は彼の首相就任から自分の退任まで(1981~90年)の9年間のほうが、それ以前の12年間より、2国間問題の解決に向けて大きく前進できた」と書いている。

 アジア主義とグローバル主義と立場は違っても、両雄はけっこう馬が合ったのかもしれない。様々な国際会議で、最も長く話し合うのがこの2人だった。周囲も「東南アジアの両輪」であることを認めていた。

 1991年、マレーシア・ビジネス評議会の設立総会の演説で、マハティール首相は「ビジョン2020」を発表している。2020年には、マレーシアが「徳」の高い先進国になるというビジョンである。生産性向上が鈍る「中所得国の罠」を克服できるかどうかがカギである。92歳のマハティール氏が首相に返り咲いたのも、先進国の仲間入りをめざす壮大な目標を自らの手で達成するためだったのかもしれない。

(参考文献)
「マハティールの履歴書」(マハティール・ビン・モハマド著、加藤暁子訳、2013年)
「リー・クアンユー回顧録上・下」(リー・クアンユー著、小牧利寿訳、2000年)
「ドルへの挑戦―Gゼロ時代の通貨興亡」(岡部直明著、2015年)
 いずれも日本経済新聞出版社刊
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