「英国の時代」の吸引力

 ヘンデルが新天地を求めて英国に渡った時代、英国には新しい風が吹いていた。バッハ、ヘンデルが誕生した直後の1688年、英国議会は名誉革命によって、「権利の章典」を発布し、議会が主権を握る立憲王政が確立する。ヘンデルが英国に移る直前の1707年、英国はイングランドとスコットランドが統合しグレート・ブリテンが建設される。

 合わせて、英国経済は産業革命前夜の息づきをみせる。コークスの製造法が開発されたことで鉄鋼生産力を高める。製造業分野での企業家精神は、規制の多い欧州大陸より旺盛だった。経済の活性化が、ロンドンを音楽の一大消費地にしたのは事実だろう。

 ヘンデルが英国に音楽家として定着したのは、それまで有名な音楽家といえば、ヘンリー・パーセルぐらいしかいない音楽後進国にあって、ドイツ出身であり、イタリアで学んだヘンデルの圧倒的な優位性があったからだろう。需要と供給両面から英国を終の棲家にする理由があった。

 「英国の時代」、そこには海外から人を引き寄せる懐の深さと吸引力とがあった。時代は飛ぶが、第1次大戦後の英国には、欧州各地から混乱のなかから難民が押し寄せていたようだ。不幸な戦場になったベルギーからの難民もいたらしい。アガサ・クリスティーが探偵エルキュール・ポワロのモデルにしたのは、そんなベルギー難民だったという説がある。フランス語なまりの英語を話す風変わりなベルギー難民だったかもしれない。

英国でレストア(修復)された古い蒸気機関。英国は産業革命以降、多くの人々を引き寄せてきた。(写真:stocksolutions/123RF)
英国でレストア(修復)された古い蒸気機関。英国は産業革命以降、多くの人々を引き寄せてきた。(写真:stocksolutions/123RF)

寛容さを失ったグレート・ブリテン

 その偉大なる英国がいま寛容さを失っている。2016年の国民投票でBREXITが支持されたのは、EU域内の移民の増加に反発が強まったからだ。EUを離脱して移民の規制をという声が過半を占めたのである。

 そこには、大国の責任感はなかった。EUに加盟しながら、自由な移動を認めるシェンゲン協定には加わらず、欧州単一通貨ユーロのメンバーにもならなかった。ユーロ危機でEU首脳が苦闘しているときに、キャメロン英首相(当時)は「ユーロに入ってなくてよかった」と述べて、反感を買ったこともある。EUメンバーでありながら、EUのために加盟国として何をするかより英国のためにEUをどう利用するかしか考えてこなかった。

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