「メルクロン」で対抗できるか

 ダボス会議のもうひとつの焦点は、常連であるEU首脳たちの反トランプ・反ポピュリズムでの結束だった。ようやく大連立成立に近づいたメルケル独首相は「国家主義やポピュリズムが台頭し、多くの国が二極化している」と警告したうえで「保護主義や孤立化は答えにならない」と訴えた。呼応するようにマクロン仏大統領は「貿易の面で世界は保護主義の色合いを強めている」としたうえで「グローバリズムの成果が幅広く還元されなければ、排他的風潮が強まる」と警鐘を鳴らした。ようやく独仏主導の「メルクロン」体制が動き出したことを示している。

 「メルクロン」体制を後押しするかのように、イタリアのジェンティローニ首相も「米国第一主義に対抗するため、欧州各国は今こそ手を取り合いEUの存在価値を知らしめるべきだ」と強調した。3月の総選挙でポピュリズムの五つ星運動が優勢になっているのをけん制する狙いもあった。

 欧州勢だけではない。インドのモディ首相が保護主義の台頭に強い警戒感を示すなど「反保護主義」がダボス会議の基調であるのは当然だった。

 「メルクロン」を中心とする反保護主義の連合がトランプ流の自国本位主義をどこまで押し返せるか。それによって世界の潮流は大きく変わってくる。

問われる存在意義

 ダボス会議は、様々な警告は発せられるにしても、結局は「現状追認」に終わってしまうという限界がある。議論の場であり、決定の場ではないからやむをえない面はある。しかし、毎年、数十カ国の首脳や3000人もの経済人らが集まりながら、地球温暖化防止に先鞭はつけられず、リーマンショックなど金融危機を未然に防げず、格差拡大を生み、ポピュリズムの台頭を許してしまっている。

 その権化であるトランプ大統領までが、ブーイングではなく、大きな拍手で迎えられた。就任1年で世界を混乱に巻き込んだトランプ大統領の責任は重大である。自由な国際討議の場であるダボス会議は、まずその責任を追及すべきだった。これではトランプ流排外主義を事実上、容認したことになる。

 たしかに、米国経済は好調で世界経済も好転している。しかし、トランプ税制改革は格差を広げ、財政赤字を拡大する危険がある。エネルギー産業への規制緩和は、地球温暖化防止に逆行する。2国間の貿易赤字を照準にして保護主義の勢いは強まるだろう。そのなかで日米欧の中央銀行が金融緩和からの出口戦略を誤れば、金融危機につながる危険もはらむ。通貨安競争や貿易戦争の恐れもある。

 目先の経済がいいなら、トランプ流も容認できるというのだろうか。トランプ流排外主義にはっきり「ノー」を突きつられなかったダボス会議はその存在意義を問われている。