ダボス会議を運営する世界経済フォーラムのクラウス・シュワブ会長(右)と握手をするドナルド・トランプ米大統領。(写真:AP/アフロ)
ダボス会議を運営する世界経済フォーラムのクラウス・シュワブ会長(右)と握手をするドナルド・トランプ米大統領。(写真:AP/アフロ)

 グローバル化の象徴である世界経済フォーラム(WEF)のダボス会議は、「米国第一主義」のドナルド・トランプ大統領に乗っ取られたのだろうか。ダボスという場を意識してか、トランプ大統領は挑発的な排外主義を封印し、米国第一主義は孤立ではないとして「米国の成長が世界の成長につながった」と強調した。永遠に離脱するといっていた環太平洋経済連携協定(TPP)に加盟を検討する姿勢までのぞかせた。メルケル独首相とマクロン仏大統領による反保護主義・反トランプ連合もやや拍子抜けになった。もっとも、この変幻自在さこそがポピュリスト(大衆迎合主義)の本質である。ダボス会議という「金持ちクラブ」が目先の好景気に安住し、格差拡大によるポピュリズムの拡散を黙認すれば、世界に潜在的リスクが累積する。

「ダボス」が生んだ「トランプ」

 グローバリズムを進め自由貿易を守るダボス会議と、自国本位主義で保護主義に傾斜するトランプ流は対極にあるはずである。ところが自国本位主義というトランプ現象を生んだのはまさにこのダボス流である。

 筆者は日本経済新聞記者として、このダボス会議に2000年半ばから数年間参加していた。1月末に酷寒の雪深いスイスに行くのは気が重かったが、何よりここに行けば、世界各国から集まる首脳や通貨当局者、経済人、学者、エコノミストらに会えるという利点があった。常連だった緒方貞子氏(元国連難民高等弁務官)も、ここに座っていれば、短期間に集中して世界中の人々と話ができると言っていた。そのかわり、通常のセッションだけでなく、朝食会から昼食会、夕食会など個別の会合をこなさなければならず、若手記者時代の「夜うち朝がけ」を連日やっているようなものだった。

 メディア代表の集まりでは、トリシェ欧州中央銀行(ECB)総裁や英首相になる前の若きキャメロン氏、リー・シェンロン・シンガポール首相らと懇談した。様々な人に会っているうちにその年の「世界の潮流」がみえてくるのである。

 そのダボス流の基本はグローバリズムだったといっていい。そこに疑いをさしはさむ人はいなかった。そのなかで、国際通貨基金(IMF)の副専務理事でエコノミストの朱民氏が「格差問題が米欧だけでなく、中国を含め世界共通の課題になる」と警鐘を鳴らしていたのを思い出す。

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