今のままでは、日本でのAI開発には期待できない

夏野:ずばり一言で言わねばならないのなら、あまり期待はできませんね。なぜなら、古いタイプの経営者が退いて、新しいタイプの経営者がどんどん出てくるという「新陳代謝の兆候」が未だに見えていないからです。

松本:これは手厳しい。

夏野:私がそう言うのには根拠があるのです。ある時、1996年から2016年までの日本と米国のGDPの伸び率の比較を見て、私は仰天しました。米国は、実質で58%、名目では129%もの成長を記録していますが、日本は、実質で16%、名目では何と0.5%の成長しかしていないのです。この20年は、ITの導入による「生産性の向上」と「新産業の創造」が大いに言いはやされていた時期で、米国でも日本でも、多くの人々がそのことを意識して、それぞれに努力をしていました。しかし、20年間が経過した後の成果を見ると、米国ではAppleやGoogle、Amazonなどに代表される取り組みが次々に開花して、大きな成長をもたらしたのに対し、日本では全く成果が出せなかったと言ってもいい状態でした。

松本:確かに、結果を見るとそうですね。

夏野:この差はどこから来たのでしょうか? 日本では、ITの導入が「技術者の、技術者による、技術者のためのもの」に留まってしまったのに対し、米国では、事業家や経営者がこれに真っ向から向き合い、技術開発の成果を着実にユーザーのメリットに結びつけて、新しい産業構造を創り出していったのです。日本の経営者のマインドが今のままで変わらないのなら、これからのAIの時代にも全く同じことが起こり、「気がついてみたら、日本は途方もなく遅れてしまっていた」というようなことになるではないかと、心配でたまりません。

松本:それは本当に心配ですね。現状では、日本の経営者の多くは「ゆで蛙」状態で、危機感を持っている人はあまりいません。しかし、AIがもたらす大波は、そんなことには関係なく、ひたひたと迫ってきています。

無意味な「文科系」と「理科系」の区別

夏野:責められるべきは経営者だけではないと思います。技術者も猛省すべきです。とかく技術者を名乗る人の中には、「技術屋だからビジネスモデルは関係ない」とか「言われた仕様をきちんと作ることだけが私の仕事だ」という人が多いのですが、それではせっかく技術力を持っているのに「新しい価値」に結びつけることはできません。自分の専門に籠もることなく、常に他の領域にも関心を持って、「こんなことができたらいいのに」とか「こんなのはすぐに直せるはずなのに」といった観点から、自分の技術が具体的にどう使えるかを考えることが必要です。

松本:そうですね。日本の技術屋さんは、一般的に見て「遠慮しすぎている」というか、夢を語ることが少ないですね。また、日本では、何故か「文科系」と「理科系」を一律に分けて、それぞれに自分の領域から外に出ないようにプレッシャーをかけているかのようです。そして、前者には営業や管理だけの仕事をさせ、後者には技術開発や製造だけの仕事をさせる傾向があります。

夏野:意味のない区別ですね。本当に価値のあるサービスを実現しようとすれば、技術とビジネスモデル、マーケティングが一体になっていなければならないのに。

松本:私の場合は、一応「文科系」でしたが、営業日報や財務諸表を見てもちっとも面白くなく、新しい技術の話を聞くとアドレナリンが湧き出てくるのが常でした。今の世の中では財務マンが随分幅をきかしていますが、財務諸表は結果に過ぎず、事業計画などは少し前提を変えると全く異なった結果が出てくるので、こういうものを作るのがうまいからといって、たいしたことだとは私は全然思っていません。歴史を振り返ってみれば、世の中の大きな変革のほとんどは技術革新がもたらしたものでしたから、私のアドレナリンの出方は正常だったと思っています。