10月の総選挙で与党が3分の2の議席を維持したことを受けて、改憲論議が再び活発になる。果たして、どのように改憲すべきなのか。議論は百家争鳴の様相を呈す。「9条は一言一句変えてはならない」と主張する福島瑞穂・社民党副党首に聞いた。
(聞き手 森 永輔)
福島さんは、9条をどのようにすべきと考えますか。
福島:私は、原文のまま決していじってはいけないと考えます。
憲法には理想を掲げる場という役割があります。9条は、世界から戦争がなくなるように、日本が戦争にコミットしないように、という理想を述べています。この理想を降ろしてはなりません。
「法の下の平等」について述べた憲法14条と比べると分かりやすいでしょう。
第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
○2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
○3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
福島瑞穂(ふくしま・みずほ)
社会民主党副党首。参議院議員。東京大学卒業後、弁護士として選択的夫婦別姓、婚外子差別などに取り組む。1998年初当選。2009年には内閣府特命担当大臣として男女共同参画・自殺防止・少子化対策などを担当し、DV被害者支援や児童虐待防止、貧困対策、労働者派遣法改正に取り組む。2010年、辺野古への新基地移設の閣議決定の署名を拒否し、大臣を罷免される。(写真:加藤康、以下すべて)
法の下の平等は実現していません。いまだに女性、障害者、性的弱者、外国人、部落出身者、アイヌなどへの差別が続いています。しかし、たとえ困難ではあっても、たとえ時間がかかろうと、これらを撤廃しなければならない。14条はこの理想を語っています。
9条が掲げる理想もこれと一緒です。それに、戦争をなくすことは、差別をなくすことに比べれば容易でしょう。あらゆる差別を根絶することは必要ですが、すべての差別をなくすことは本当に容易ではありません。これに対して戦争は、政府が決定して始めるもの。なので、政府が決めなければよい。お金もかかりますし。
確かに戦争はお金がかかりますね。
福島:加えて、特に今だからこそ、9条をいじってはいけないと考える理由があります。安倍政権が2015年9月に安全保障法制を成立させたからです。安倍政権は9条の解釈をねじ曲げて、ダリの絵に描かれた時計のように歪めた。憲法を「たたき壊した」と言っても過言ではないでしょう。そして、この新たな解釈に則って、安保法制を作った。
一連の流れの中で、9条の下で何ができて、何ができないか、が分からなくなってしまいました。この状態を放置したまま9条の条文を改めれば、さらなる混乱が避けられません。
抵抗権と自衛隊は認められる
私は、9条が持つ規範力が弱いことを問題視しています。規範力が弱いゆえに、解釈が乱立する。現行憲法の草案を国会が審議していた1946年当時、共産党は9条を「自衛権を放棄して、民族の独立を危うくする」ものと解釈して批判しました。その一方で、安倍政権は集団的自衛権の限定行使まで可能としている。この状態を放置してよいものでしょうか。
まず、福島さんは9条をどのように解釈しているかを教えてください。
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
福島:第1項は、1928年に署名された不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)に則って侵略戦争を禁止するもの。
第2項は、侵略戦争のための戦力に限定することなく、戦力全般を禁止すると理解しています。ただし、「抵抗権」の行使と、それを実行する組織としての自衛隊は認められる。
私は、2014年7月の閣議決定*以前の政府解釈より、武力行使の「程度」を小さくすべきと考えています。
*:安倍政権は2014年7月、集団的自衛権は限定的に行使できると閣議決定した。
閣議決定まで、武力行使を認める3要件は以下でした。
【旧3要件】
(1)わが国に対する急迫不正の侵害があること
(2)この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと
(3)必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
この「必要最小限度」を極限まで小さくしたものが「抵抗権」です。
海外から侵略をされたら、反撃をする抵抗権はあります。個別的自衛権の行使を認める政府の3要件について、「必要最小限度」の範囲が、現在、拡大しているのではないでしょうか。
ただし、長期で見れば、戦争と軍隊のない世界を目指すのが9条の主旨だと考えます。もちろん時間はかかるでしょう。もしかしたら、100年単位の時間がかかるかもしれない。それでも自衛隊は軍縮の方向に向かうべき。「国境警備」や「災害救助」など役割ごとに分割していき、戦争に関わる部分は縮小していくべきです。
9条が持つ規範力について、私は森さんとは意見を異にします。規範力が弱いどころか、六法全書に閉じ込められることなく、すさまじい効力を発揮してきました。
9条により、海外での武力行使、集団的自衛権の行使は禁止されています。また、9条があることで、戦後、武器輸出の禁止、非核3原則を確立してきました。これらに規範力があるゆえ、かつての政権が朝鮮戦争やベトナム戦争に参戦したい、米国に対してええ格好したいと意図しても、これを妨ぐことができました。自衛隊が異国で人を殺したこともありませんし、自衛隊員が異国で殺されたこともありません。これは非常に大事なことです。
私が「クラスター弾に関する条約」*の承認に携わっていた時、自衛隊が保有するクラスター弾の75%が国産でした。驚くべき数字です。この条約を批准し、自衛隊はクラスター爆弾を廃棄しました。今はゼロになっています。もし、武器輸出が可能だったら、日本製の爆弾が、同条約を批准した今も子どもや市民の命を奪い続けていたかもしれません。日本製の武器が戦後、人を殺して来なかったことを、日本はもっとアピールしてもよいと思います。なお、現在は武器を輸出するようになってしまいました。
*:日本は2009年6月に国会で承認した
9条への自衛隊明記は、集団的自衛権を行使する自衛隊を認めること
現行の9条が日本の平和国家としての価値を担保するものであるならば、その解釈が揺らがないよう、解釈が一義的に決まるような文言に条文を改める必要はありませんか。
福島:憲法の解釈は確定していました。自民党の歴代政権は、集団的自衛権の行使は違憲としてきました。それ以外の解釈は、ありませんでした。1972年の政府見解*をまとめた内閣法制局の長官も部下たちも、集団的自衛権の行使は違憲としています。
*:2014年7月の閣議決定まで、1972年の見解が9条に関する政府の公式の見解だった
それを安倍政権が「憲法クーデター」を起こしてひっくり返したのです。政治権力が憲法を踏みにじったのです。9条の文言があいまいだからではありません。
安倍政権は9条3項に「自衛隊」を明記することを検討するとしています。条文がどうなるかは分かりません。しかし、明記される「自衛隊」は集団的自衛権の行使をする自衛隊になります。そう位置づけなければ、安保法制が違憲になってしまいますから。戦後70年続いてきた安保政策の大転換です。
安倍政権は憲法クーデターを起こして解釈改憲をし、安保法制の制定という既成事実を積み上げた上で、明文改憲を発議しようとしています。安倍首相は日本国憲法を「みっともない」と形容しました。それを“改める”総仕上げというわけです。これは、憲法が国家権力の行動をしばる立憲主義の破壊です。自衛隊を合憲とする人も、違憲とする人も、明文改憲して集団的自衛権の行使を認めようと考える人も、この立憲主義の破壊にぜひ反対をしてほしいと思います。
憲法を守らない安倍政権の下で憲法を変えさせてはなりません。私は国会で安倍首相に「あなたの上に憲法があるのであって、あなたの下にあるのではない」と批判しました。安倍首相は「憲法は国家権力をしばる」というのは古い解釈だと言っています。これは間違っています。安倍政権に憲法を守るという規範がないだけです。
このような政権は言論の自由さえ制限しかねません。私は安保法制の審議の中でこれを「戦争法案」と呼びました。すると、自民党は議事録から削除するよう要求しました。「戦争法案」はよく使われる表現で特別なものではありません。周辺事態法の審議の時には共産党がこの表現を用いました。この時、小渕恵三首相(当時)は「御党がそう呼ぶのは分かりますが…」と応じ、削除を要請するようなことはありませんでした。
私が「鉄面皮」と発言した言葉も削除要求がありました。「鉄面皮」はそれまでに国会で51回も使われた言葉であるにもかかわらずです。「戦争法案」も「鉄面皮」も、他の野党の応援を得て残すことができましたが。
国会における野党の質問時間を制限する問題が注目されています。これも安倍政権による言論を制限する例と言えるでしょう。
改めて安倍政権の動きを振り返ってみましょう。2013年12月に秘密保護法を制定。2015年9月に安保法制を強行採決。2017年6月に共謀罪を制定した。そして、来年、その総仕上げとして憲法改悪を実現しようとしています。
これらの動きは一貫しています。「戦争しない国」である日本を「戦争をする国」にする工程表に則った動きなのです。さらに、この歩みが「基本的人権を制限する」「政府は情報を公開しない」という措置を含むものであるのは明らかです。
自衛隊がデモの警備に当たる日が到来しかねない
福島:自民党が出してくる改憲案がどのようなものになるかは分かりません。しかし、2011年に出した改憲案からどのような将来になるのか想像することはできます。2011年の改憲案は「国防軍」という表現を使っています。自民党がこれから出す改憲案では「自衛隊」とするでしょうが、実質的にはいずれも軍隊です。「戦争をする国」になるにとどまらず、国民の日常生活にも害を及ぼすものになる恐れがあります。
例えば「国防軍」が取り組む活動の一つに「国際社会の平和と安全を確保する」とあります。これは、イラク戦争などに参加できるようにするという意味です。国連決議が明確でなくてもおかまいなしになりかねない。また「公の秩序を維持」することも盛り込まれています。これは自衛隊がデモなどの警備に出てくるということです。60年安保闘争の時に政府は、自衛隊の投入を検討しました。あれが実現可能になる。米軍普天間基地の辺野古への移転反対運動に自衛隊が乗り出すかもしれません。
これらの活動は「法律の定めるところにより」となっています。法律は何度でも作ることができる。「何でもできる」ことと代わりありません。
また自民党の2011年改憲案には軍事裁判所を設置する規定もあります*。軍隊に軍事裁判所は不可欠です。軍事裁判所がもたらす弊害として二つのことが挙げられます。一つは、“事件”が葬り去られる懸念です。2014年に護衛艦「たちかぜ」の乗組員が上司から暴行を受け自殺する事件が起きました。私はこの裁判の原告代理人に名を連ねました。こうした事件が隠蔽される恐れがあります。
*:改憲案は「国防軍に審判所を置く」としている
もう1つは、罪を犯した自衛官の処分が軽くなりがちなことです。裁判官も検察官も弁護人も軍人です。どんな組織でも身内には甘くなりがちです。
さらに憲兵隊が設置されます。軍事裁判所の存在と憲兵隊の存在は1セットです。検察官が捜査したり、容疑者を逮捕したりするのに、強制力と実行組織が必要だからです。憲兵隊の力が強くなれば、自衛隊にとって好ましくないことを改めようと、自衛隊の中から声を上げることが難しくなるでしょう。戦前の日本において、憲兵隊と特別高等警察が国民の基本的人権を侵害したのはご存知の通りです。
まとめると、9条3項に明記される「自衛隊」は、個別的自衛権を行使したり、災害救助に取り組んだりする自衛隊にとどまりません。安保法制を合憲化し、集団的自衛権を行使し、デモの警備に当たる自衛隊なのです。
国会が承認しても集団的自衛権の行使は違憲
福島さんは、安保法制の廃止と、自民党改憲案の発議阻止を言っていますね。これまでうかがったお話がその背景ですね。
福島:その通りです。
戦争をしないという9条が掲げる理想を実現するために、国会の役割を憲法に盛り込むことは考えられますか。自衛隊が防衛出動するためには、国会の承認が必要です。今は自衛隊法76条に定められているこの規定を憲法に格上げする。
福島:それはやめたほうがいいと思います。自衛隊の軍事行動に対する国会の承認を憲法に明記しようと動くと、自衛隊を明記しようとする安倍政権を応援することになりかねません。
それに、例えば政府が集団的自衛権を行使すると決め、国会がそれを承認したとします。それでも、違憲は違憲です。合憲になるわけではありません。2014年7月の閣議決定で示した新たな憲法解釈という元を断たなければ、枝葉をいくら付けても、本質は変わりません。
もし、国会の承認を憲法に盛り込むならば、安倍政権が憲法クーデターを起こす前の状態に戻してからでないと意味がありません。
緊急事態条項は、ナチの授権法の再来になりかねない
国連が主導する集団安全保障については、どうあるべきと考えますか。
福島:武力行使を伴わない範囲に限定して参加するべきです。現行9条の下で、日本が日本の外で武力行使をすることはできません。
また集団安全保障への参加は、一歩間違えると、集団的自衛権の行使に変質しかねません。
私は、戦争には「正しい戦争」も「正しくない戦争」もない、と考えています。集団安全保障における武力行使といえども同様です。
緊急事態条項の導入についてはどう考えますか。
福島:憲法に盛り込むべきではありません。ナチスが導入した授権法を思い出してください。自民党の緊急事態宣言条項は、法律と同じ効力を持つ政令を政府が作れるようにしています。これは、行政府が実質的に立法権を持つことです。
国会パッシングですね。
福島:そうなのです。政府が予算も作れる。基本的人権を制限することもできる。地方自治体の長に指示を出すこともできる。
ナチスの授権法を持ち出して国会で質問したら、安倍首相に「レッテル貼りはやめてほしい」といわれてしまいましたが…。
有事の時に、戦車が赤信号で停まらなければならないのはおかしい、という問題提起があります。
福島:そんなことは普通の法律で解決できます。
災害時の対応を懸念する向きもありますが、問題ありません。大地震を経験した兵庫県の弁護士会に聞いても、福島県の弁護士会に聞いても、緊急事態を宣言する必要があったとは言っていません*。現場で物事を決められるようにすることが一番で、政府からの指示は百害あって一利なしといわれています。
*:福島氏は弁護士としても活動している
最後に繰り返しになりますが、私は9条の条文は決して変えてはいけないと考えます。海外で人を殺したことがないからこそ、恨まれることもなく、テロの主要なターゲットされずにいます。戦後70年は捨てたものではないのです。日本が集団的自衛権を行使し、世界で戦争する国になったら、この資産を失うことになるのです。
時代は変わってきました。今年7月、核兵器禁止条約が国連で採択されました。これに大きな役割を果たした核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)はノーベル平和賞を受賞。これに勢いを得て、クラスター弾や地雷のように核兵器の廃絶の方向に向かうかもしれません。「核兵器を保有する国は3等国だ」という認識が広まることだって考えられます。いや、そうしなければいけません。
テロがない世界、戦争がない世界を作らなければならない。政治はこのために動く必要があります。
そのためには、日本だけでなく世界に訴えていく必要がある。世界の賛同を得るに当たって9条が大きな役割を発揮するのです。9条は必ず輝くトーチになります。
Powered by リゾーム?