安倍晋三首相が、憲法9条に「自衛隊の存在を明記する条文を加える改正を目指す」との意向を示したのを受けて、改憲論議がにわかにあわただしくなってきた。果たして、どのように改憲すべきなのか。議論は百家争鳴の様相を呈す。「集団的自衛権の限定行使容認は違憲」と強く主張する憲法学者の木村草太・首都大学東京教授に聞いた。(聞き手 森 永輔)

<b>木村草太(きむら・そうた)</b><br /> 首都大学東京教授。1980年生まれ。東京大学法学部卒業。専攻は憲法学。主な著書に『集団的自衛権はなぜ違憲なのか』『憲法の新手』『憲法という希望』など(撮影:菊池くらげ、以下同)
木村草太(きむら・そうた)
首都大学東京教授。1980年生まれ。東京大学法学部卒業。専攻は憲法学。主な著書に『集団的自衛権はなぜ違憲なのか』『憲法の新手』『憲法という希望』など(撮影:菊池くらげ、以下同)

木村さんは現行の憲法9条を改正すべきと考えていますか。

木村:それは国民が考えることです。私は憲法学者なので、改憲するならばその意味を国民に伝えることが仕事だと考えています。

「改憲の意味を国民に伝える」とはどういうことですか。

木村:改憲案の文言を精査し、それが意味するところをきちんと分析し、国民に伝えることです。文言によっては、国民が期待することと、改憲の内容が違ったものになりかねません。そうしたことが起こらないようにするのが憲法学者の役割です。

現行の憲法9条はいかようにも解釈できます。現行憲法の草案を国会が審議していた1946年当時、共産党は、憲法9条は「自衛権を放棄して、民族の独立を危うくする」と解釈して批判しました。その一方で、安倍政権は集団的自衛権の限定行使まで可能としている。このように規範力の弱い条文はよくないのでは? この意味で改める必要はありませんか。

木村:そうでしょうか? 政府による9条解釈は「日本への武力攻撃への着手があった場合に、自衛のための必要最小限度の武力行使は許される」という点で一貫しています。

吉田茂首相(当時、以下同)が1946年の議会で「自衛権の発動としての戦争も、又交戦権も抛棄したものであります」と発言し、個別的自衛権の行使すら否定していたのでは。

木村:よく誤解されるのですが、吉田首相が放棄するとしたのは「自衛を名目にした戦争」です。目的は自衛かもしれないが、侵略を受けていないにもかかわらず宣戦布告するもの。

 例えば、森さんが電車に一人で乗っていたとします。そこに人が乗ってきた。「なぐられるかもしれないから、事前に殴り殺そう」と手を出す。これが、吉田首相が放棄した自衛戦争です。現在、国際法もこれを違法としています。

 一方、相手がなぐってきたので、やむを得ず自衛した。これが自衛権の行使です。日本政府は、この自衛権の行使については許されないわけではないとの立場を一貫して取っています。

 日本政府が、専守防衛の立場を改め、限定的とはいえ集団的自衛権の行使を容認する立場をとったのは、2015年の安保法制(注:安全保障法制関連2法が2015年9月19日に成立)での政府答弁が初めてのことです。

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