集団的自衛権の行使が認められると、米国の戦争に巻き込まれる恐れが高まると懸念する声があります。

香田:欧州や中東に米軍が縛られているときに、アジアで中国や北朝鮮が悪さをする事態を考えてみてください。日本周辺に展開する米軍の兵力が十分でないときがある。そういうときに集団的自衛権を行使するのは乱用ではありません。

 憲法を改正するなら、こういうときに限っては、政府が国民にしっかりと説明したうえで、米軍と一緒に攻勢作戦を展開できる余地を残しておかないといけない。我が国に核弾頭が飛んでくる可能性もあるのですから。

日本が攻撃に加わることもあり得ると……

香田:その余地は残しておかなければいけないということです。

 ただし、くどくなりますが、自衛権を好戦的に利用、乱用するための措置ではありません。

 米軍は世界の中で圧倒的に強い存在だけれども、世界情勢によっては2正面で対処せざるを得なくなることもあり得る。2正面対処になったときこそ、悪さをする国はここぞとばかり仕掛けてくる。そのときに、今の日米安保法制では不十分なケースがあり得るということです。

憲法より重要なのは国民の意識

香田さんは9条2項は削除すべきとお考えですか。

香田:あるべき論で言えば2項を改正すべき。

 だけど、9条改憲には公明党の賛成が必要。改正内容と政治的な実現手段は別の問題であり、実現のための方策は政治家に任せざるを得ません。

 今回、新3項を追加する改正をして2項が残ったとしても、また50年かけて次の機会に書き換えればいい、というような長い目も必要でしょう。

 憲法の規定はシンプルなのがいちばんです。自衛隊というか新国軍が合憲で、軍事・国防組織であり、交戦権も否定はしないと。

縛りがあればあるほどグレーゾーンが増えてしまうという考えですね。

香田:そうです。警察とか海上保安庁が対応できるのは日本の法律が通用する範囲にとどまる。そこから先はできません。しかも相手の軍は「何でもあり」です。であるにもかかわらず、相手の行動が組織的・計画的でないと自衛隊に防衛出動は発令されない。政府答弁で「組織的・計画的」と言ったために、防衛出動の敷居がこれほど高くなっている。警察と海上保安庁法が対処できる事態と、自衛隊が対処する組織的・計画的な武力攻撃との間には、非常に広い幅があるのです。

 ただし、一番重要なのは憲法じゃなくて、国民の意識です。私が話をすると好戦的ととらえられがちですが、例えば、私は非常に強い意思をもって「核武装は絶対にだめ」と反対しています。核装備すれば、日本は得るものが少なく、失うものがはるかに多い。

 我が国の核保有は、日米安保体制にとってもよいことはない。米国は日本防衛への関与を今よりずっと引き下げるでしょう。国際社会での日本の立場も一気に悪くなる。

 私は、敵基地攻撃能力を保有することにも反対です。この能力が独立国としての固有の権利であることは当然です。ただし、陸海空自衛隊の我が国防衛能力そのものが十分でない現状を考えた場合、まず優先すべきは、自衛隊が我が国を防衛する能力の整備です。それをしっかりと実施する前提で、日米安保体制における自衛隊と米軍の戦略的任務分担に基づき、敵基地攻撃能力は米軍が実施するのです。

 憲法に書かれた文言を基に、自衛隊をコントロールするのは国民です。だから国民の意識をどう高めるかが重要。

 例えば今、北朝鮮の核をめぐって、朝鮮戦争の危機が懸念されています。日本にも朝鮮半島から難民が押し寄せる可能性がある。もしもの事態に備え、人道上の措置として、A島やB地域に難民キャンプを準備すると提案したとしましょう。まず地元が反対することは明白です。同時に、左派のメディアが「難民キャンプは米軍の攻撃を前提とした戦争準備だ」と言って大騒ぎする。日本の国民の意識はこうしたレベルです。

 例えばマレーシアの国民はもっとずっと現実的です。いまマレーシアに、ミャンマーからロヒンギャ難民がやってきます。マレーシアは難民をどこに収容所にしたと思いますか? ランカウイ島です。マレーシアの顔でもある世界的な観光地。そのような観光地が風評被害を受けることも考慮したうえで、同島に施設を作ったのです。マレーシアの方が日本よりも人道意識がはるかに高い、あるいは、より現実的にものを考えているといえるのです。さて、日本人はどうでしようか?