10万人の死を受け入れることができるのか

鳩山一郎政権が敵基地攻撃に関して答弁したことがあります 。あれは、ミサイルを1発受けた後であれば、敵基地攻撃も容認するということなのでしょうか。

1956年2月29日 鳩山首相の答弁を船田防衛庁長官が代読


 わが国に対して急迫不正の侵害が行われ、わが国土に対し誘導弾などによる攻撃が行われた場合、座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とは考えられない。攻撃を防ぐのに万やむを得ない必要最小限度の措置をとること、例えば、他に手段がないと認められる限り、誘導弾などの基地をたたくことは自衛の範囲に含まれ、可能である

香田:「ミサイルを1発被弾した後であれば」というのは、核兵器を想定していないから言えることです。核兵器による攻撃を受けたら、使用される弾頭の規模によりますが、10万人、多くの場合それ以上が死亡することを覚悟しなければならない。だから、とにかく最初から全力をもって撃墜する必要があります。

 この措置に反対する人たちは、10万人に上る犠牲を受け入れるということです。そういう人たちには「あなたたちは、この犠牲について国民にきちんと説明できるのですか」と問いたい。もしそういう事態に陥っても、彼らはおそらくだんまりを決め込むだけでしょう。

 奇襲をまったく探知できないまま攻撃されるのだったら、仕方ないかもしれない。しかし、日本と米国は、ミサイル攻撃のほとんどを探知し対処する能力を備えています。こうした国は、イスラエルと共に、世界中でわずか3カ国しか存在しない。そして、探知した後、10分間の間に何をするかが問題となる。

 取りあえず1発目をミサイル防衛システムで撃墜して、その後、防衛出動を発令するのか。ところが、先ほど申し上げたように、1発だけだと防衛出動が発令されない恐れがある。

解決策は自衛隊を戦力として認めること

ご指摘のような状況を改めるために、自衛隊法の見直し、および9条の改正が必要と主張されています。憲法をどのように改正すべきなのでしょう。

香田:戦力の保持を認めなかったり、交戦権を否定したりしていることに問題があります。

 国連憲章は独立国固有の権利として自衛権を認めている。これは絶対真理。しかし日本の場合、現行憲法のもと自衛隊を合憲法的な存在にするため、「自衛のための必要最小限度の実力」と言わざるを得なかった。

 解決策は戦力の保持を認めることです。

 集団的自衛権に注目が集っています。行使に反対する意見もある。これを汲むならば、憲法を改正し、自衛隊を合憲の存在、戦力とした上で、「集団的自衛権は行使しない」と別に明記することも、理論上の選択としてはあります。

 しかし、そこまで手足を縛る必要はないでしょう。「集団的自衛権は行使しない」とすれば、日本近傍すなわち自衛隊の力が及ぶところで米軍に大被害が起きそうな事態でも、日本は助けることができないことになります。そうなれば、日本の目の前で、窮地に陥った米軍が自衛隊に見殺しにされるわけですから、日米安保体制は確実に瓦解する。自国軍を守ってくれない日本のために米国が自らの血を流すのか。それはやらないですよ。

 ですから、あえて集団的自衛権に触れる必要はない。というより、集団的自衛権が独立国固有の権利であるということは国連憲章51条の普遍の真理ですので、触れてはいけないのです。

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