政府解釈は芦田修正を“読み飛ばす”

 ここまでの話をまとめると、1項と不戦条約との関係を知っている者が、芦田修正を飛ばすことなく読み進めれば、2項が放棄したのは「侵略戦争に用いる戦力」で、「自衛権の行使に用いる戦力」は保持できることになる。

 しかし、政府は2項を「すべての戦力」を放棄したと解釈する(前ページの表の2)。「自衛権の行使に用いる戦力」も放棄の例外ではない。芦田条項を“読み飛ばす”かたちを取るわけだ。ここに「モヤモヤ」が生じる。

木村草太・首都大学東京教授(撮影:菊池くらげ)

 この理由を憲法学者の木村草太・首都大学東京教授はこう解説する。「目的を達成するために、狭い範囲だけでなく広く一般に規制することが法律の世界ではけっこうある。例えば『銃を使った強盗を規制したい』という目的があったとする。この場合、強盗のために使用する銃だけを規制する法律を作れば目的を達することができる。しかし、現実には、どこまでが強盗用の銃なのか定義するのは困難。他の目的で許可された銃が強盗に転用されるケースも生じる。ゆえに銃一般を規制する形を取ることがある」(関連記事「もし『自衛権』を国民投票にかけたらどうなるか?」)

 9条に戻れば、政府は「戦力一般を保持しないとした方が、侵略戦争等はしないという目的をよりよく実現できると解釈している」(木村氏)。

「国民が平和のうちに生存することまでも放棄していない」

 では、「すべての戦力」を保持できないとする政府が、なぜ自衛隊を合憲とするのか。これがモヤモヤの③だ。この点について政府は、憲法は「外部からの武力攻撃によって国民の生命や身体が危険にさらされるような場合にこれを排除するために必要最小限度の範囲で実力を行使することまでは禁じていない」と解釈し、自衛隊を「自衛のための最小限度の実力」で「戦力」には当たらない、と位置づける。この解釈が「自衛隊は戦力なのか、そうでないのか」という神学論争の源となっている。

 政府がこのように解釈する根拠は憲法の前文と13条にある。

日本国憲法 前文

われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

日本国憲法 13条

生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。