あらゆるテクノロジーを肯定するのか。

イシュトバン:そのテクノロジーが人を攻撃しない限り、あらゆるものを容認する。

人間は「自然ではないもの」に恐怖を覚えるものだ。テクノロジーを取り入れることで、肉体や生命が不自然なものになっていく恐怖や嫌悪感をどう克服すべきか。

「自然、不自然という二項対立は虚構」

イシュトバン:自然、不自然という二項対立こそ不毛な虚構だ。例えば、人間の手というものについて議論するとしよう。確かにこの手は私の手だが、数百万年前は我々の手はもっと毛深く、より動物的だったはずだ。自然不自然というのはその時の価値観に過ぎない。仮に未来にロボットになっていたとしても、その時はそれを自然と感じているのではないか。

 道具や科学を用いて深化することは我々に備わった性質だ。我々は何にだってなれる。環境問題もテクノロジーによって解決可能だ。遺伝子操作で森を10倍のスピードで成長させることができるだろうし、人工肉の開発が進めば動物を殺す必要も、家畜のために木を切り倒す必要もなくなる。世界中では広大な農地が家畜のために使われている。今のように肉を消費しつつ、自然をもっと豊かにできるだろう。

<b>「そのテクノロジーが人を攻撃しない限り、あらゆるものを容認する」とイシュトバン氏は語る</b>
「そのテクノロジーが人を攻撃しない限り、あらゆるものを容認する」とイシュトバン氏は語る

「生命自体がバーチャルなものになる」

その考えを突き詰めると、人間はロボットやサイボーグになってしまうのでは。

イシュトバン:いつか人類はそうなると思う。だが、それを恐れるべきかなのかは分からない。重要なことは人間性をどのように残すかということだ。人間の良いところ残して、テクノロジーの良いところと融合させる。そして、今よりも良い世界の実現を目指す。

 今日、多くの人はロボットに仕事など様々なものが奪われるのではないかと恐れている。だが、むしろロボットは多くのものを与えてくれるはずだ。

 さらに、遠い未来には人類は記憶をコンピュータからダウンロードできるようになるかもしれない。あるいは生命自体がバーチャルなものになり、肉体はどこかに何かしらの形で残しておく程度のものになるかもしれない。記憶情報をロボットに移植することも、3Dプリンティングで作った人体に記憶を移植することもできるかもしれない。これは記憶のクローンという新しいアイデアだ。

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