「生きた経営」は教えられない

だんだん企業が大きくなってくると、組織というものと、その中の人間というものとの関係が非常にむずかしくなってくるだろうと思うのですがね。

松下氏:企業が大きくなると、どうしても組織で動かなならん。組織で動かさならんから、そこに組織による弊害というものが起こってくるですわな。それが一番大なる姿はソビエトの官僚化でんな。それがやっぱりソビエトの発展を阻害しているんじゃないでしょうか。

 会社でも大きな会社になるほど概して官僚化してしまうわな。それは防ぐことができない宿命的なものですな。だから、そういうことを考えて理想通りにはいきまへんがね、できるだけ細分化して官僚化しないように、 独立採算制ということを早ようから考えているわけですよ。

 組織はあっても、むしろ人を中心にして考えていく。やっぱり人を中心にしなければあきまへんな。人が代わったら組織を変えていくこと、早く言えばね。そういうふうに考えないと、めったな仕事はできまへんな。たとえば学問的な素養のある人は、どうしてもね、知識があるから知識的にものを考えるわけだね。それが組織化ということだね。

 経営学というものは教えることはできるでしょう。しかし、生きた経営というものは教えるに教えられない。学ぶに学べない。それは道場にあって、みずから会得しなければならぬと思うんですよ。みずからの工夫で勝ち取るよりしようがない。それが生きた経営である。経営学というものは、一応、3年なら3年勉強したらわかりますわ、教えることもできますわ。

 その経営学と生きた経営とは違うんですな。その生きた経営というものが必要なんですな、国でも、会社でも。そういう生きた経営は教えることもできない、習うこともできない。まあ、生きた経営を知っている人を見つけて、 自然に会得するということよりしようがないんですな。それを教えることができる、 習うことができると思ったら大変な間違いですな。

 ぼくのやっていることをみて、 あんた勝手に会得しなさい、 ということよりしようがないということですな、早く言えば。しかし、それはなかなかむずかしいですよ。だから、兄貴のやっている通りに弟がやっても成功しないですね。人によって多少違いますからね。そこに妙味というか、面白味があるのではないかと思いますね。習うてその通りできるものだったら妙味はおまへんがな。

「商売とは何ぞや」常にわきまえて

組織を細分化するといっても、社長や重役が、ある課がいったい何やっているのか全然わからないということになっては困るでしょう。米を買い占めた、そんなはずはないと言って、調べてみたら、やっぱり買い占めていた。そういうような組織になってしまうのは、どこが間違っているのでしょうか。

松下氏:ぼくは細分化して独立制にすることはかまわないと思うんです。しかし経営の基本に何があるかということが問題だね。われわれが商売をするのは、何のためにやるのか。その答えを出しておかないかんですな。会社がもうけるためにやるのか。そやないんやと。やはり社会を豊かにする一翼をになっているのや。それに反することは許されんのやと。そうした基本教育をしておかんといかんですな。

 やっぱり良識を養っているということが大事やと思いまんな。良識を養うについては、人間とは何ぞやとか、商売とは何ぞやとか、ということがわからぬと間違った考え方ができてしまう。何らかそういうものの目安がなけりゃいかんですな。

何もないのが一番楽でっせ

ところで、 これからいちばんおやりになりたいことは……。

松下氏:健康を少し取り戻さないかん。

特別な健康法がおありですか。

松下氏:それはないです。もう自然のままですな。しんどいときは寝るという程度です。まあ、歩かないかんということを聞いているんですけどね。ぼくは42年間、車に乗っているんですよ。大阪では知事さんが1号で、ぼくが59番目ですわ。タクシーに乗ってるときは非常に安易なものです。何も心配せえへん。衝突してけがせえへんかぐらいのものだ。それが、自分の自動車に乗っていると、人にけがさせへんかとか、いろいろなことを考えて、 タクシーに乗るよりも気を使いまんな。

 私は自動車を買って初めて、持てる者の悩みを知ったんですわ。早くいうと、何もないのがいちばん楽でっせ。持ってみればそんなもんです。だからあまり人をうらやんだりせん方がよろしおますわ。

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