銀行に融資断られたことありません

おカネの苦労は……。

松下氏:ぼくはいままで55年の間、銀行にカネ借りるようになってから、ただの1回でも断られたことはありません。銀行と取り引きするようになってだいぶたってから、拡張計画のため支店長に200万円貸してくれと言ったことがあるんですよ。そしたら「もちろん結構だ。お貸ししたいと思うけれども、ちょっとこんどは金額が多いから、私が同道するから貸し付け担当の重役のところまで一緒に行きましょう。それであんたの口から直接、担当の常務に話してくれんか」と言われた。そのときに「それはちょっと都合悪い。というのは重役さんに会うても、あんたに言うた同じことしか言われへん。だからぼくが行かんでも、あんたが行って担当の重役に話してください。それでいかなんだら、ぼくはやめときましょう」といって断ったんです。

 ほたらあくる日「貸します。重役も喜んでいる。大いにお貸ししろということだったから、お貸しします」と。普通やったら支店長が「一緒に行きましょう」と言ったら、たいていは喜んで行きますよ。ところがそれ断った。というのはね、頼んで頭下げて借りて商売するということは弱い。そういうようなとこでは商売せん方がいい。拡張せん方がいいと思うたからです。

 支店長もびっくりして「へえ、強いこと言いはるな」ということになり、かえって信用増したのです。信用増すなんてそんなこと考えなかったんです。自分で信ずること話したのですが、そういうこともありましたな。

人を決まるのはやはり運命では

いろいろな人を使ってこられたわけですが、その面での苦労は……。

松下氏:ええと思って雇った人がそうではない場合があるし、頼まれていやいやながら雇った人が、非常に役に立つ場合がある。この人はええ人や、とぼくが見破ってやるということはそんなにはない。大体は半分はわかりませんわな、実際言うたら。このぐらいの人なら大体よかろう、という程度ですな。

 このよかろうという程度の人が概してうまく当たっている。これは一つは運命やと思う。戦争しても、一方は流れ弾に当たって死ぬ、 一方は何べん窮地に陥っても不思議に弾がそれて生きて帰ってくるという対照がありましょう。どっちも80点なら、どちらが運が強いだろう。わかりまへんわな。わかりまへんけど、ある程度わかるんですよ。

 25歳なら25年間どこでどういうことをやったとみると「ああ、この男の方が運があるな」と。過去のことやからこれからどっち行くかわかりまへんがね。しかし、過去の運命というものは多少ついてまわる。そうすると1人しかいらん場合に、どっちも採用したいけど、それじゃ運の強い方にしようとなる。

 これまでは理屈でわかるけれど、これ以上はわからぬ、と運命で片付けるよりしようがないという問題ありますな。これを素直に、そういうことがあるんだということを認めるかどうかの問題でんな。万事運命によって決まるという考え方に重点を置くと、気が楽になりますわな、ほんとうは。友達が出世しても別にあまり腹も立たん。自分が出世してもそれもまた自慢にならぬ。それを自分の力で勝ち取ったとなると、やっぱり天狗になりますわな。

 いろいろ人も使ってきましたけど、いろいろな縁があってね、その時に適当に解釈してますな。

トップはあわててはあきまへん

会社が非常に苦しいときに、トップに立つ人の心構えで最も大事なことは、 やはりたじろがずに、冷静であるということですか。

松下氏:もちろん、そうですな。トップがあわてたらあきまへんわ。戦(いくさ) でもそうですがな。大将がいちばん早よう逃げたら、いっぺんに負けますわな。またね、軍勢を逃がしても、自分は踏みとどまって、軍勢が逃げるまでは自分が代わりに戦って死ぬ、という大将の心根がなければあきまへんな。

 「一将功成りて万骨枯る」という言葉がありましょう。たいていそうですわ。天下とるような人はたくさんの万卒を抱えてます。それが犠牲になって天下をとるんでしょう。しかしね、それは一応の姿であっても、その大将が心根に、自分はみんなのために死ぬという考えを常に持ってるかどうかということですな。その覚悟がでけてない大将やったら、戦争に負けて、みんな取り締まれんな。

 われわれの商売でもそうでっせ。そういう心根はほんとうはみんなわかりますわな。偉くのうてもいいんですね。その覚悟があるかどうかという問題ですわ。日本の歴代の総理にそういう覚悟があったんかどうか……。その覚悟がなかったら、叱ることも、なにかかにかと恐れるようになる。やはり国民に混迷が起こりますわ。

言うべきこと言わぬ社会はダメ

結局、 経営の要諦は何だとお思いになりますか。

松下氏:経営の基本になるものというと、人によって違うでしょうな。その人の社会観とか人生観によって基本になるものは変わってくるんじゃないかと思いまんな。しかし、経営というのは小は焼き芋屋から大は国家の経営まで経営ですわな。それは望ましい経営でないといけまへんわな。望ましい経営とは何かという問題に対してこういうことがええんだと答えとかないかんですな。焼き芋屋の経営やったら、焼きかげんもほんのり焦げて、食べてみたら味もええというものが要求される。

  国家の経営も国民がどういうことを望んでいるか、それにこたえるものを与えにゃならん。しかし、国民も多数ありますからな、みんな違いますからな、中に望んでいかぬものもあるかもしらん。だから国民の望みにこたえるという基本的立場はよろしいけれど、この程度とこの程度までやったらよろしいが、これ以上やったらかえって不幸になるんだという見識はいりますわな。

 この見識のある政治家はどうかという問題ですな。国がこうあるべきであるということが、国家の経営理念としてなければならんな。ところが日本では憲法はあるが、その憲法を基礎に、どういうことをやったらいいんかという憲法を生かす哲理というものがない。家訓とか、社訓とかいうものですな。国訓というものは、いまはないですな。だからみんな迷うているんですよ。

 この間、大学生と話したら、4年間、先生に叱られたことがないという。ほんとうはそれが不満だというんです。やっぱし、言うべきことを言わぬ社会というものはいかんですな。

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