ホームレスから起業

三輪愛氏(ミニストップ):ホームレスをしていたとのことですが、なぜホームレスから抜け出せたのですか。

兼元氏:偶然、ある中国の女性に出会ったんです。中国の田舎で育った人で、こんなに恵まれた日本で、お前は何しているんだと殴られたんです。その時は結局口論して別れたんですが、次の日、もらった残り物のハンバーガーに吸い殻が入っていた。死ぬところでした。

 そういう出来事が続いて、ああ、これはまずいなと。それで、昔頼った人をもう一度回ろうと動きました。1回目に仕事がほしいと言ったときは断られたんですが、2回目に行ったら、名刺のデザインの仕事をいただけました。その人に後で聞くと、「1回目はデザインの仕事をください」と言っていて、2回目は「なんでもいいから仕事をください」と言っていた。「準備ができた」と判断してくれたんだそうです。

 ホームレス生活は2年。中国人女性に出会わなければたぶん、今もホームレスのままでした。ホームレス狩りがあったころでもあり、ホームレスから抜け出せたのは運がよかったですね。

庄司:そこから「起業」という道を選んだのはなぜでしょうか。

兼元氏:ホームページ作成の仕事をいただいたんですが、わからないことが出てきたとき、インターネットの掲示板で質問したら逆切れされて。「あれ、インターネットって、ハッカーの中にいい人がいて、教えてくれるんじゃなかったの?」と思ったわけです。

 それで、質問を投稿して誰かが答えてくれる、いまのOKWAVEのようなサービスをやりたいと思った。あったらいいなと思うものを誰もやろうとしなかったので、自分でやることにしたんです。

庄司:必要な知識はどこで得たのですか。

兼元氏:図書館を結構利用しました。それから、自分ができるのはプランニングとHTMLだけだったので、プログラマーを探しました。企業に見積もりを出すと200万円とか300万円とかになるので、無理。知り合いのつてをたどって出会ったのが米国人のプログラマーのボブ・スコット氏です。「Q&Aサイトができたらいいな」と話すと1週間くらいで作ってくれたんです。

 ボブに出会うまで、手あたり次第、100人くらいの開発者に会いました。あきらめないことが重要ですね。

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