「人を見たらお客様、社員候補だと思うようになった」ーー。知りたいことを気軽に質問できるQ&Aサイト「OKWAVE」を立ち上げた兼元謙任・オウケイウェイヴ会長。ホームレス経験を経て、「やらなければならない」と使命感に突き動かされて起業した。起業後の苦労や起業に至った経緯などを、オープン編集会議メンバーとともに聞いた。

オープン編集会議とは

読者が自分の意見を自由に書き込める双方向メディア「日経ビジネスRaise(レイズ)」を活用し、日経ビジネスが取材を含む編集プロセスにユーザーの意見を取り入れていくプロジェクト。一部の取材に同行する「オープン編集会議メンバー」を公募。現在、25人のメンバーとともに、起業にまつわる様々な疑問をユーザーとともに考えるオープン編集会議第2弾「起業のリアル」を実施中。

■オウケイウェイヴ兼元会長への取材に同行したメンバー(50音順、敬称略)

桂 千佳子日本語教師
田中 宏大正製薬
山下 雄己電通国際情報サービス
宮本 英典東京応化工業
三輪 愛ミニストップ
米川 植也セルム
(注:発言内容は個人の意見であり、所属する企業や団体を代表するものではありません)
オウケイウェイヴの兼元謙任会長(写真:北山宏一、以下同)
オウケイウェイヴの兼元謙任会長(写真:北山宏一、以下同)

庄司容子(日経ビジネス編集部):オウケイウェイヴ創業からちょうど20年目となります。一番、苦しかったのはいつ、どんな局面だったでしょうか。

兼元兼任氏(オウケイウェイヴ会長):ひとつは、(起業後約1年の)2000年ごろ、大手ポータルサイトの運営企業から買収提案があった時ですね。先方の担当者が我々のオフィスに来て、「潰れるか、我々と一緒になるか」と迫られました。私は「こんな条件は飲めない、一昨日来やがれ」と思ってその場で断りました。

 そうすると社員たちから次々と「辞めたい」というメールが届いたんです。狭いオフィスですから、交渉の様子を見ていて、「なぜすぐに断るんだ? ちゃんと検討してほしかった」というわけです。当時、アルバイトも含めて従業員は30人くらいいましたが、約半分が辞めてしまいました。

 当時、企業向けQ&Aシステムで400万円の受注をもらっていたのですが、エンジニアが辞めてしまい、開発できなくなってしまいました。お客様には土下座して謝りました。きつかったですね。

桂千佳子氏(日本語教師):当時のチームの雰囲気や一体感はどうだったのですか。

兼元氏:楽天の出資でようやく人が採用できたというころで、寄せ集めのチームです。知名度もありませんから、当時は就職フェアに行っても、(旧約聖書の)モーゼが海を割ったように、当社の前だけ行列ができなかった(笑)。飲み屋で隣になった人にも「うちに来ない?」と手当たり次第誘うほど、採用には苦労しました。

庄司:そのうえ、従業員が半分も辞めてしまったわけですから、大変でしたね。どんな心境でしたか。

兼元氏:ずっと後悔していました。提案をすぐ却下せず、一度、社員の話を聞くべきだったかと思いました。「そんなんで辞めるか?」と愚痴ってもいましたが。

 その後、買収提案をしてきたその企業が、私たちと同様のサービスを始めたのですが、悪いことばかりではありません。当社が始めたQ&A投稿サイトはまだマイナーで、営業に行っても一から説明しなければなりませんでした。1時間もらっていても前提の説明が55分で提案は5分、ということもあったのですが、競合が出てきて説明の時間が必要なくなりました。

 一方で、社員とのコミュニケーションの大事さはこの出来事で学びました。定期的に会議をやるとか、そういったことです。今、社員は140人ですが、全社員ミーティングも半年に一回、やっています。

田中宏氏(大正製薬):コミュニケーションは好きだったんですか。

兼元氏:全然好きじゃない(笑)。むしろ嫌いでした。全社員ミーティングでは、社員一人ひとりにお礼を言います。それから、いまやっていることで続けるべきこと、やめるべきこと、新たにやるべきことを聞く。そうすると、全体像が見えてきます。また、会社の戦略も説明します。社員の意見を聞き、こちらも説明する機会を増やすということを意識してやっています。

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