改めて問う「そもそも何のための新規事業?」
最終回 スタートアップとの協働による事業開発の意義
新規事業開発の手法はスタートアップとの協働によるオープンイノベーションだけではない。従って、必ずしも他社連携が得意でない日本企業にとって、わざわざ、他社、それもスタートアップと組むことの意義がともすれば見出しにくいものだ。
本連載では、架空の典型的な日本企業である文具・事務用品メーカー「サプライズ社」が、様々な落とし穴でつまずきつつ、担当者が起死回生目指して奮闘していく軌跡を描いていく。最終回となる今回は、スタートアップとの協働による事業開発の意義について。
「銀座店での実証実験でも明らかになりましたように、レジロボット『ジャック』は当社だけでなく多くの企業からの引き合いも来ており、当社のデジタル戦略の展開に大きく寄与する可能性があります。しかし、開発元企業のJ-ロボット社はあと数カ月で手元資金が底をつく見込みです。ついては、同社への出資をご検討いただけませんか」
サプライズ社のデジタル新規事業企画室、通称サプライズ・ラボのリーダー浅沢光一は、サブリーダーの高木直斗、メンバーの咲間香枝の2人とともに、社長の山崎信之と向かい合っていた。
J-ロボット社とサプライズ・ラボが協業して考案・開発した「ジャック」は、顧客の声や買い物の内容を人工知能で認識し、それを元に店員や顧客とユーモラスな会話を交わしたりプレゼントを出して驚かせたりする、接客サービスロボットだった。2週間の実証実験は大きな話題を呼び、実験を実施した店舗は連日見物客が詰めかけて、売り上げも大いに伸びた。
だが、実証実験のあとでJ-ロボット社の苦しい台所事情が明らかになった。今後も全店導入に向けた細かい調整を重ねて協業を続けていくためには、まとまった額の資金調達が数カ月以内に必要となる。
浅沢はそのことを見抜くと、直ちにJ-ロボット社の財務や事業内容に対するデューデリジェンス(評価手続き)を行い、その結果を持って社長の山崎に出資を掛け合いに行ったのだった。
山崎は、浅沢の話を聞き終わると、3人の顔を順に見回しながら言った。
「たしかに、この接客ロボットは我が社だけでは決して作れなかったものだと思う。君たちはよくやってくれた。出資については、当初から伝えてあるサプライズ・ラボの予算の枠内であれば、浅沢君の判断に任せるよ」
「ありがとうございます」。社長室を退出してラボのオフィスに戻った高木と咲間は、その瞬間ハイタッチして喜んだ。それから数週間後、J-ロボット社の第三者割当増資をサプライズ社が引き受けるというニュースが発表された。
「売り上げ貢献の時期」を問われても…
サプライズ社のアクセラレーター・プログラムの実施からおよそ1年が経ったある日の午後。その日開かれていた役員会議からラボのオフィスに戻ってきた浅沢を、高木たちラボのメンバーが迎えた。
「浅沢さん、役員会はどうでした? いろいろ聞かれたんじゃないですか?」
「そうですね。ラボが生み出す事業アイデアの売上貢献見込みとか、たくさん質問いただきましたよ。皆さんラボに関心お持ちいただいているようで、ありがたいことです」
こともなげに笑顔で答える浅沢の横で、神妙な顔つきの高木は「売上貢献か…」と、ため息混じりの声を漏らした。すかさず、スペースクリエイション社とリフォームデザインのできるアプリを開発している内川博史が、高木の独り言に釘を刺した。
「アプリはまず広く普及させるのが先で、売上りげ・利益はそれからですからね」
咲間が、内川をなだめるように言った。
「レジロボットだって、ショッピングモールやアミューズメント施設なんかからの注文は来てますけど、まだまだ利益の出るレベルじゃないですからね。新規事業って、そんなにすぐに利益貢献するものじゃないと、社長も分かってらっしゃると思いますよ。…あ、皆さんせっかく揃ってるし、お茶でもしませんか?」
そう言いながら咲間がラボの入り口のドアに手をかけた瞬間、ドアが勝手に開いて、ぬっと人影が現れた。
「ひゃっ!…って、噂をすれば影?!」
「何の噂をしてたんだい?」
笑いながらラボに入ってきたのは、社長の山崎信之その人だった。
新規事業で売り上げや利益は簡単に上がらない
二代目社長の山崎は、生真面目で実直そうな外見とは異なり、社内ではあちこちの部署に突然現れては若い社員たちと雑談したり冗談を飛ばしたりする、気さくな人柄の持ち主だった。
「先ほどの役員会で、ラボの売上貢献について質問が出たと聞いて、それについて話していたんです。社長はこのデジタル新規事業からの売り上げ・利益を、いつ頃までにどのくらい望んでらっしゃるのかと」
高木が説明すると、山崎は少し考えてから答えた。
「まあ、新規事業でそんなに簡単に売り上げや利益が上がることはないだろうね。そこは僕も『ジャック・インザボックス』の立ち上げの時に経験してるんでね」
山崎は、新卒で商社に入り仕事の基礎を身につけた後、1990年代の終わりに父親が創業したサプライズ社に加わり、同社の小売業進出、すなわち「ジャック・インザボックス」事業の立ち上げに携わった経歴の持ち主だ。
新規事業開発の意義とは?
「ジャック・インザボックス」は、2000年代初頭の不況の影響を受け、事業開始直後は売り上げがなかなか上がらないなど、多くの壁にぶち当たった。その後の関係者の努力により事業は何とか軌道に乗ったのだが、そうした一連の経験は山崎にとって新規事業の立ち上げの大変さを身を持って知るきっかけになっていた。
「もちろん売り上げが上がるにこしたことはないんだけど、ラボへの期待はそれだけじゃない。そもそも、みんなは当社がデジタル新規事業に取り組む意義をどう考えているのかな?」
そんな山崎は、本人の自覚はさておき、時折ものごとの本質を突く問いを社員に投げかける癖がある。それは山崎自身が子どもの頃から何かにつけて、創業者で先代社長の父親に自分がやっていることの意味を繰り返し問われて育ったことと関係があるかもしれなかった。いずれにせよ、サプライズ・ラボの意義について問うた山崎の視線は、もともとの質問主である高木に向けられたままだ。
「当社が新規事業に取り組んでいる理由か…。何でしょう、浅沢さん…」
社長の思いがけない切り返しに慌てた高木は浅沢に助けを求めようとしたが、浅沢はいつものように、ニヤニヤ笑いながら様子を見つめているだけだ。すると、この場が面白くなってきた山崎は、咲間や内川ら、ラボの若いメンバーに向き直って質問を浴びせた。
「二人はどう思う? このラボは、何のためにやっていると思う?」
社長の質問の矛先が逸れて少しホッとした様子の高木をよそに、咲間が言葉を選びながら話し始めた。
「私、まだ入社3年ですし、難しいことはわかりません。わかりませんが、私はラボに来て本当に良かったと思ってます。以前、商品企画にいたときも、仕事は楽しかったんですけど、何ていうか、『先輩のお手伝い』って感じで。もちろんそれも大事な仕事だってわかってるんですけど、なんか、この仕事は自分じゃない誰かほかの人の仕事、っていう感じだったんです。でも今のラボの仕事は、自分でやってるんだなっていう感じがして。こう、会社の枠を超えてもっと世の中のために何か出来るかも、っていう気持ちでいっぱいなんです!」
サプライズ・ラボには内川と咲間の2人の若手メンバーが所属している。ラボが出来てから一年余り、内川もさることながら、成長著しいのが咲間であった。
「私たちがやっていることが何につながるのか、ラボに来てからずっと考えてるんです。まだ、うまくまとまってないんですけど…。でも、会社は『楽しく学び、楽しく働く』とか『お店で驚きの体験を』って言ってるじゃないですか。私、思うんですけど、一人でも多くのお客様に『驚き』や『楽しみ』を届けることができるなら、なにも文具やアクセサリーにこだわる必要はないんじゃないかなって。何でもやったらいいんじゃないかなって」
データで「お客様を知る」ということ
咲間の言葉に山崎は一瞬表情を崩しそうになったが、咲間に気づかれる前に話を続けるよう促した。
「J-ロボット社の山下さんたちとレジロボの開発をしていて気づいたんですけれど、人を驚かすって、すごく科学的なことなんです。そもそも人って、一見、『当たり前』と思われているところに『当たり前じゃない』ものを仕掛けておくと、驚くんですね」
一呼吸置いて咲間が続ける。
「じゃあ店内のどこに『当たり前』が潜んでいるのか。それを探ろうと、お客様のお店での行動を店内や施設内、それに『ジャック』の目に設置したカメラで観察し、『ジャック』が解析してデータにしてるんです。お客様がお店のどこをどう通るとか、どこでどんなことをするかとか。できるだけ正確に知るためです。今までこんな風にお客様を知ろうとしたことなんてなかったんで、世の中すごい進化したなって、逆に私が驚いてるんですけどね、今のところは」
自分に集まる周囲の注目に気づいた咲間は、熱弁の最後をいたずらっぽい笑みを浮かべて締めたのだが、聴衆の中に大きく首を縦に振る者が1人いた。ラボの同僚、内川である。まるで咲間に背中を押されたかのように、内川が話し始めた。
「咲間さんが話してくれたこと、僕もすごくわかります。お客様のことを知ろうといっても、今までは営業とか商品企画の担当者の、それこそ『勘』とか『経験』に頼っていたと思うんです。例えば、ベテランのリフォームデザイナーは、お客様の家の中をパッと見ただけで、このお客様がどんな柄の壁紙を好まれるか、どれくらいの頻度で部屋の模様替えをする方なのか、わかるらしいです」
ふだんはどちらかといえば物静かで冷静な内川の、いつになく熱のこもった話しぶりに、彼を新人の頃から知る高木は少し驚いていた。
「でも、今ラボの仕事で手がけているリフォームアプリを使うと、ユーザーがどんなデザインの家具や壁紙が好きなのか、いつ模様替えをしようとしているのか、全てリアルタイムでわかるんです。リフォーム業界の素人である僕にでもわかるんですよ!」
新規事業を「ごっこ」に終わらせてはいないか
(写真: PIXTA(ピクスタ))
即席「青年の主張」が一段落し、若手の2人はそれぞれがここまで携わってきたレジロボットとリフォームアプリの事業開発で見つけたことや失敗談の話に花を咲かせている。それを見た浅沢が、山崎に向かって補足した。
「これまで、当社の顧客理解といえばグループインタビューやアンケート調査が中心で、主には商品開発に活かされていました。しかし、レジロボやリフォームアプリでやっているように、現在の進化したデジタル技術を用いれば、一人ひとりの顧客の商品選びや買い方など、購買行動にまつわる膨大な情報をデータとして蓄積することができます。このビッグデータを解析することで、例えば一連の『お買い物体験』の中で驚きを提案することが可能になるでしょう。しかもこのデータ解析は、サプライズ社だけでなく、他社にも使っていただけるものになると思うんです」
変革の萌芽
若手二人の様子を横目に、山崎は浅沢の話に耳を傾けていた。
「若い人が事業の行く末を語るなんて、当社ではここしばらく見なかった光景だね。これは、ラボの大きな成果のひとつだと思うよ」
ありがとうございます、と浅沢が言い終わる前に山崎が続けた。
「でも、僕が目指しているのは、人の成長はもちろんなんだけれど、やっぱりこのサプライズ社の変革なんだ。僕はこの会社を生まれ変わらせたいんだよ」
唐突に始まった「社長の主張」に、ラボメンバー一同が釘付けになった。お構いなしに山崎は、熱っぽく語り続けた。
「ありがたいことに、今回のスタートアップとの協業から将来有望そうな事業アイデアが生み出されつつある。でもこれは、目指すところからしたらあくまで一里塚の位置づけなんだよ。新しいサプライズ社は新しい時代のテクノロジーをどんどん取り込んで、今までの事業の枠にとらわれない変革を遂げる。それを導くのが経営者としての僕の仕事だ」
山崎の意気込みに、若い咲間や内川だけでなく、高木も圧倒されて息を呑んだ。
「社長、私もラボのサブリーダーとして、引き続き当社のデジタル変革の推進役を務めたいと思っています!」
若手の2人に負けじと高木が叫ぶと、山崎やほかのメンバーがどっと笑った。
「ははは、高木君、その意気だ。来期も新しい若手社員をラボに配属するんで、育成をよろしく頼むよ」
山崎はそう言って、高木の肩をポンと叩いた。
「新規事業開発に取り組む意義は明確か?」
最終回である今回は、大企業が新規事業開発に取り組む意義をテーマに取り上げてみた。それは次のような問題意識に基づいている。
世の中のほとんどの⼤企業は新規事業開発が重要だと考えており、また多くの⼤企業が実際に開発に取り組んでいる。しかしながら、「なぜ御社では新規事業開発に取り組んでいるのか」を問うと、「デジタル技術の進化によって、当社の事業も10年後残っているかどうか分からないから」といった危機感や「企業は成⻑のため、常に新しい事業の柱を模索せねばならない」といった一般論が多い。社会変化に対して危機意識を持った上で、実際にデジタル技術を活⽤した新規事業開発が、各企業それぞれの事業そのもの変⾰の中に位置づけて語られていることは、不思議と多くない印象がある。
言わずもがな、これだけ変化の激しい現代では、今が安泰だからといってこの先10年20年経った後も同じである保証がないことは、もはや説明する必要もないだろう。この変化の中にあって、企業として将来に渡り引き続き世の中に貢献したいのであれば、デジタル化によって未来に生じる顧客のニーズを先取りし、変わりゆく事業環境に自社を適応させていく必要がある。そうした変革のストーリーを個別の企業の文脈で語れるように用意しておかないと、新規事業開発はやがて形骸化し、それこそ「ごっこ」呼ばわりされかねない。
世の中の変化を先取りして新たな価値を提供しようと新規事業を立ち上げるスタートアップは、その革新的なアイデアやテクノロジーを武器に、ゼロからの市場創造に挑む企業である。その存在は、まさに自らイノベーションを起こせなくなった既存の大企業の弱点を補うものだと言える。オープンイノベーションというかたちで大企業とスタートアップがタッグを組むことの価値も、こうした文脈の中で語られるようになってきたものだ。
しかし、ここで注意しておきたいのは、スタートアップは市場だけでなく資金や人材といった「経営資源」もゼロから始めなければならず、そのために目の前に転がっている「小さくてもすぐに結果を出せる事業機会」から取りかかる傾向があるということだ。
組織の意識改革は他人任せにできない
もちろん、スタートアップの中にも例外はあり、最初から数十、数百億円という単位の資金を調達して新規事業につぎ込む場合もあるし、経営者が100年先のビジョンを持って事業を構想しているケースもある。だが、実際にそうした長期的視点に立って事業開発のロードマップを設計し行動できるのは内部資源に余裕のある既存企業のほうであり、巨視的な視野で描いた事業構想に基づいて、個々のパーツを構成する企業群を根気強く集めて育てていくのも、大企業でなければできないことだ。
本文にあるように、サプライズ社は文具・事務用品メーカーから、「仕事や勉強を楽しく、驚きのあるものにする」という会社の創業以来の理念をデータを駆使して実現する企業へと、変革の一歩を踏み出した。こうした、自社の存在価値をもう一度原点に戻って確認し、デジタル技術によってその事業ドメインを一気に広げて考え直すことこそ、オープンイノベーションを通じて既存企業が遂行すべきことである。
スタートアップとの協業による新規事業開発から大企業が学ぶものは多いし、その活動を通じて人や組織の成長も副次的に期待できるのは確かだ。ただし、スタートアップはあくまで外部の企業であり、彼らが協業先の大企業の将来を教えてくれるわけでも、社内組織の意識改革に付き合ってくれるわけでもない。当たり前だがそれらのことは、大企業が自分で考え、実現しなければならない。
ただ、組織の理念やビジョンの再構築、それらに合わせた組織風土の変革といったことは、数年、十数年という単位で取り組んで初めて成果が現れるものだ。苦しくともスタートアップとの協業を3年、5年と続けていくことによって、望む変化がもたらされるに違いない。
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