
浅沢が腕組みしながらつぶやいているのを見て、咲間はとてつもないショックを受けていた。会社の資金繰りのことなど、社会人になって以来一度も考えたことがなかった。
次々と出てくる社内調整の問題を、J-ロボット社の資金繰りなど考えもせず、ただ準備期間を引き延ばすという対応で乗り越え、さらにこれから何の進展もない6カ月の「待ち」を提案するという自分のやり方は、無自覚に山下を苦しめていただけではなかったのか。
悔悟の念で押し潰されそうになってうつむいている咲間の肩を、浅沢が何かささやくようにポンと軽く叩いた。
今回のケースでは、実証実験の準備から規模化・事業化にいたる、社内の関係部署とのよくある風景を描いてみた。実際には事業内容にもよるが、ケースに書いた現場、広報に加えて、IT(情報技術)、法務、財務、調達、生産など社内で調整すべき部門が多岐にわたるのが常である。各部はそれぞれの基準・手続きが存在し、それに沿って進めてしまうと膨大な時間を要することになる。
その突破口が、“小さく始める”実証実験・テストであるが、実証実験の目的・基準を関係部門と共有されていないと社内調整で様々な壁にぶちあたり、時間ばかりが過ぎてしまう。では、どうすればよいか。サプライズ・ラボのような新規事業部門だけが目的・基準を決めておくのではなく、関係部門と「意思決定プロセス」「判断基準」「実行支援」の枠組みで押えておけるとよい。
「意思決定プロセス」は、いつ誰がどのような会議体で判断するのかをあらかじめ決めておき、その時の「判断基準」が重要となる。新規事業のテストの場合、第一には、顧客ニーズと商品・サービスの価値がフィットしているか、PMF(Product Market Fit)を確認しておきたい。今回のケースでもサプライズ・ラボと既存店舗で想定している顧客層の認識ギャップが存在した。次にスケーラビリティ、事業性の確認をしておきたい。あるサービス単位での収益性を検証し、規模化に伴い売り上げ・利益がどのようにスケールしていくのか、スケールしても黒字化の見込みが立たなければ見直しが必要となる。
「実行支援」については、社内を動かす術を知った社内調整役を配置することが望ましい。全社的に新規事業を支援する風土が醸成されていることが理想だが、ここが一番の難所であろう。筆者としては、新規事業の実証実験を関連部門を巻き込みながら継続的に取り組むことで、新規事業に支援的な組織風土をつくっていくべきだと考えている。
さて、今回のケースのもう1つの教訓は「大企業とスタートアップの時間軸のズレ」である。ケース後半でサプライズ・ラボのリーダーである浅沢から「バーンアウトはいつ?」とスタートアップの資金繰りに対する鋭い問いを投げかけたことよってはじめて、メンバーの咲間はスタートアップの資金繰りの切実さに気づくこととなった。
「バーンアウトはいつか?」「資金はいつまでもつか?」は、大企業の1担当者にとってはほぼ意識しない問いであるが、スタートアップのトップからすると日常的に頭から離れない重要課題である。ケース中に札束が燃え上がっている挿絵があるが、まさに現金が燃えてなくなっていくような感覚だ。従って、大企業がスタートアップと協働する上では、スタートアップの資金繰りの状況を理解し、場合によっては出資などを検討することが重要である。同じ船に乗る、同じ視座に立つということだ。そのことにより、様々な時間軸に対する意識が大きく変わるはずだ。実証実験でPMF、スケーラビリティなどの仮説検証をスピーディに回し、早期に事業化・スケールさせていきたい。
「資金がいつまでもつか?」は、実際にはスタートアップ側も言いづらい・答えたくない問いであろう。スタートアップとの信頼関係や聞くタイミングが重要であり、間に入るメンター、ファシリテーターの役割ともいえる。
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