(写真:(c) peace!/orion /amanaimages)
新規事業に向けて、実証実験やテストマーケティングに乗り出す際に必要になるのが、既存事業部の現場の巻き込みである。しかし、ここにも多くの難所がある。新規事業立ち上げにおいて、既存事業部を巻き込むために必要なことは何か?
本連載では、架空の典型的な日本企業である文具・事務用品メーカー「サプライズ社」が、様々な落とし穴でつまずきつつ、担当者が起死回生目指して奮闘していく軌跡を描いていく。5回目の本稿は、事業化のための既存事業の巻き込みについて。
「良いアイデアって、なかなか生まれないな。…私、ダメなのかな」
7月の3連休明けのある日、サプライズ社デジタル新規事業企画室、通称「サプライズ・ラボ」メンバーの咲間香枝は、平日代休を取ってやってきた東京ディズニーリゾートの中のテラス・レストランで、園内の風景をガラス越しに眺めながら、ぼんやりと物思いにふけっていた。
屋外の気温は34度。暑い、暑すぎる。昼のステージショーで盛大に水が撒かれたおかげで、地面からの輻射熱は少し弱まったかにも感じられるものの、それでも屋外を10分も歩いていれば頭がクラクラしてくる。せっかく気分転換にと休みを取ってきたのに、クーラーの効いたレストランから外に出て遊ぶ気にまったくなれない……。
そのとき、咲間の視界に入ったのが、道の真ん中にできた小さな人だかりだった。周りにいる人たちが次々とそこに集まってくる。
人だかりの真ん中にいるのは、清掃員(カストーディアル)だった。普通の作業着を着た清掃員が、ヒップホップ調にアレンジされたノリの良い音楽に合わせ、ほうきとちりとりを使いながらアクロバティックなダンスを披露していた。
「すごい! ときたま園内でダンスやパフォーマンスを見せてくれる清掃員さんがいるって聞いたことあったけど、本当だったんだ……」
周りに集まっている観客はスマホで写真を撮り、歓声をあげ、中には清掃員に招かれて一緒に踊り出す人もいた。しばらくの間、その光景に見とれていた咲間の脳裏に、突然あるイメージが浮かび上がった。
「あ、もしかして、…これかも!」
飲みかけのジュースを突然テーブルに叩き付けて立ち上がった咲間を、周囲のテーブルの客が驚いた顔で見つめていた。だが、彼女はそんなことも気に留めず、あわててカバンからノートを出してアイデアをメモしはじめた。
「お店に来ないと味わえない楽しさ、驚きを」
サプライズ・ラボの主催したアクセラレータープログラムで、咲間は協業先として選定された4社のうちの1社、「J-ロボット」を担当することになった。
J-ロボットは、大手電機メーカーでロボットの研究をしていた山下実が退社し、「日本発のロボット技術で世界を豊かに」を理念に掲げて3年前に設立したスタートアップだ。J-ロボットは高さ80cm、幅40cm、奥行き40cmの箱型のロボットで、相手の方向を声で識別するセンサーや音声認識AI(人工知能)を搭載しており、動き回りながら会話をすることが可能で、前面にはタッチパネルも備えていた。
社長の山下の提案は、このロボットを店舗で使えないだろうかということだった。
さっそく咲間と山下のチームは、デザイン思考ワークショップでサプライズ社の展開するアイデア文具やアクセサリーの販売店「ジャック・インザボックス」の来店客の観察やインタビューを繰り返し、顧客の不満や期待を探した。
そこで分かってきたことは、顧客から見た「店舗」という場が思った以上に魅力を失っている現実だった。
「ジャック・インザボックスでは、必要なものが買えさえすれば良い」
「別に、お店で楽しさとか驚きとか感じたこともないし、そんなことも期待していない」
顧客の平均店内滞在時間は、長くても15分。お店に入って目的の商品を買って帰っていく顧客が大半で、咲間が所属していた商品企画部が考えていたキャンペーンなどは、大げさに言えば「見向きもされていない」という状況だった。
「うちの会社、『楽しく学び、楽しく働く』とか『お店で驚きの体験を』とか言っている割に、結局最後はおじさんたちが商品や販促の企画をしていて、ぜんぜん楽しさも驚きもないんですよね…」
打ち合わせのたびに愚痴る咲間に、山下は苦笑いしながらこう切り返した。
「じゃあ、咲間さんがこういう販促があったら驚くなっていうアイデアを出してくださいよ」
とはいえ、咲間にもそんな秀逸なアイデアがすぐに出てくるわけでもなく、そこで口ごもってしまうのだった。
「お店に来ないと味わえない楽しさ、驚きって、なんだろう…」
ディズニーランドの踊る清掃員から得たヒントを企画化
しかし、ワークショップの3日目、ディズニーランドから帰ってきた咲間は、それまでとはうって変わったように、山下に自分の考えついたアイデアを説明し始めた。
「普通のレジみたいに見えるロボットが、お客さんに話しかけたら面白いんじゃないでしょうか。時には店員と掛け合いとかもしながら、なんか面白いことを言ったり、ときどき踊ったりもするって、どうでしょうか?」
咲間の話を黙って聞いていた山下は、やがて口を開いた。
「良いと思います。レジの機能を付加するのには少し時間がかかると思いますが、会話だけならいくつかスクリプトがあればすぐにでもできます。それ以外にも、たとえば、お客さんが購入した商品の種類によって、ロボットの上部の扉が開き、ランダムに景品が飛び出すみたいなこともできるかも。ビックリ箱みたいな感じです」
ディズニーでの体験を具体的な企画案にまで落とせていなかった咲間は、山下からのアイデアに胸を躍らせながら聞き返した。
「ビックリ箱、ですか? ビックリって驚きのことだから、もし本当にできれば、うちの店舗コンセプトとぴったりですよね! そんなことできるんですか?」
バリバリの一流ロボットエンジニアの山下は、ロボットのように表情を変えることなく咲間の質問に答えた。
「そう、ビックリ箱。できますよ。というのも、デジタルって、基本的には、予想外の驚きを与えることと相性が良いんですよ。要は確率のアルゴリズムの話なんですけど、それは顧客からは構造は見えないわけで、何が出てくるかわからないってことになるんです」
「アルゴリズム、ですか?」
咲間は、急に出てきた横文字に若干面食らいながらも、アイデアをかぶせるように言った。
「じゃあ、ビックリさせるパターンとして、景品を出す以外に、上部の扉から手が出てきて握手するとか、上得意さんにおまけを付けちゃうとかもできますか? その、パターンを増やして、かつ、継続的に入れ替えれば、お客さんに面白がって来店してもらえる気がします!」
自分のアイデアが次々と実現に向けて転がり出すのが俄然楽しくなった咲間は、それから山下と夢中になって「ビックリ箱ロボット」の企画をまとめ、役員会プレゼンに臨んだ。
役員プレゼンを通過し、実証実験へ
スタートアップと共同で考えた新規事業の提案は、最後に役員会にかけられた。咲間と山下の二人はデモを見せながら一生懸命プレゼンし、最後に小売事業担当の役員からの承認を勝ち取った。
「咲間さんとJ-ロボットの山下社長のアイデアは、なかなか面白いと思います。弊社の直営店舗のいくつかで実証実験をやってみても良いと思いました。チームの皆さんが良ければ、私から店舗運営の中島部長に一言伝えておきますよ」
サプライズ・ラボのリーダーの浅沢は、その言葉を確認して社長の山崎に目くばせをし、山崎が静かにうなずくのを見て咲間に告げた。
「じゃあ、咲間さん、役員会のOKも出たので、早速、実証実験に進みましょうか。小売事業の中島部長に相談して、早速、進めてください」
咲間は翌週に早速、小売事業部で店舗運営部長をつとめる中島との打ち合わせを設定し、役員プレゼンで話した企画を一通り説明した。
「…ということで、中島部長、聞いていらっしゃるとは思いますが、先週の役員プレゼンテーションでゴーサインをいただいた実証実験をしていきたいと思いますので、恐れ入りますが、ご協力をいただけますと助かります」
咲間の20分にわたるプレゼンを、当初は黙って、徐々に、そわそわしながら聞いていた中島は、距離を置くように、そして、慎重に言葉を選びながら言った。
「何かやるって話は、ちょっと聞いたけど、それくらいだな。何か具体的な話は聞いていないし、で、うちは何をしたら良いの?」
中島の口調から、言外に、積極的には関与したくない様子を感じ取った咲間は、当惑しながらも答えた。
「早速、来週から企画の具体化を皆さんとしていきたいと思っています。なので、中島部長に加えて、本部の販促企画担当の方数名とで企画を揉んだうえで、実験導入予定の店長、店員の方とも順次会議を実施できればと思います」
咲間の説明を聞き、やや面くらったように、中島は言った。
「え、企画の詳細化の段階から、うちも人を出す必要があるの? しかも、複数人? それは聞いていないな。そんなこと、先週の場で説明した?」
「え、いや、そこまで具体的な説明はしていませんが、ただ、きちんとお店で受け入れてもらえる企画にするなら、皆さんにも協力をしてもらった方が良いかなと思いまして」
総論賛成、でも実現までの壁は厚し
「咲間さん、まずね、今の段階でそんなに多くの人は出せないよ。これは先に言っておくね。今、この話を知ってるの、まだ私だけだし。それにみんな、今は目の前の仕事を持ってるんだからね。で、いつ、実施したいの?」
だんだんと口調が厳しくなってきた中島に、咲間は、恐る恐る答えた。
「一応、計画では2カ月後を考えています。可能でしょうか?」
咲間の言葉に、半ばあきれ顔になりながら、中島は言った。
「2カ月? 現状の店舗企画のオペレーションサイクルでも、企画から現場実行まで4カ月が標準なのに? まだ、オペレーションが決まっていない新しいことを、これより早くやろうとしているの? できると思っているの?」
「2カ月でと思っています。一応、ロボットは、1カ月後には完成しますし、今回の企画は、そのロボットがメインなので」
「ロボットがメインっていうけど、お店では、店頭対応以外に、在庫管理や発注、新商品の企画とかもやっているんだよ。あなたたちみたいに、それだけやっている訳じゃないの。そういうことわかっている?」
咲間は、言葉に窮しながらなんとか答えた。
「え、あ、はい。ただ、新規事業は、なるべく早くはじめて、失敗を重ねるのが大事だって。それがセオリーだって。だから、たくさんのお客様やお店の従業員の皆さんのフィードバックをもらいたいんです」
あくまでも事業推進の立場を崩さない咲間に対して、中島は、諭すように語り始めた。
「咲間さん。ちゃんとわかっておいてもらいたいんだけど、ラボが出島だからって、何やっても許されるってわけじゃないんだからね。僕たちも、新規事業はやらなきゃと思ってるし、できる限り協力をしてあげたい。だけれど、一方で目の前のお店の運営もちゃんとやらないといけないんだ。それにこの話は、期初の計画にもなかったことだし、そもそも今の時点で、誰も知らないことだから、ここからリソース調整をするのも、かなり大変なんだよ」
「好き勝手に進めたいって、そういう意図ではないから、皆さんに相談しているんです」。思わず口にしかけた言葉を飲み込み、咲間は、「すみません…。そんなつもりじゃないんです」と、絞りだすのが精いっぱいだった。
「既存事業の現場巻き込みは、対象を絞り、硬軟織り交ぜ、早期に成果を」
企業が新規事業を立ち上げる場合、必ず直面するのが既存事業とのコンフリクト(摩擦や矛盾)の問題だ。まして、店舗や工場設備、顧客基盤など、既存事業が保有する経営資源の一部を借用し、事業シナジー(相乗効果)を狙うような新規事業の場合には、些細なことも既存事業部門との間でもめごとになる。
そのため、新規事業の立案と実行のプロセスのどこかで、既存事業部門のメンバーを巻き込んで進めることが必要になってくる。たいていの場合、まずは既存事業部門の意思決定者の承認を得てから現場のスタッフに声をかけて実務レベルの作業に巻き込んでいくことになる。巻き込む人数が増えるほど新規事業の成功確率は上がるものの、一方で新規事業の成功に向けて彼らに動いてもらうことの困難さも高まる。
特に、実験の初期段階であまり多くの組織やメンバーを巻き込もうとするのは危険だ。新規事業のためではなく、既存事業のために動くメンバーがプロジェクトの多数を占めれば、しだいに既存事業の論理が幅を利かせるようになり、新規事業推進の熱量自体が落ちてしまう。
事業の初期フェーズで巻き込むメンバーの数や組織・部門の数は、中期以降のフェーズとは明確に異なる。その時間的変化とそれにともなう社内戦略の切り替えのタイミングなどは、慎重に想定しておく必要がある。
初期の段階で巻き込み、共に推進していく人材は、 現場を動かせる中堅層のキーパーソンであり、新しい取り組みに前向きで、柔軟性が高いといった要件を備えていることが望ましい。まずは、その方々にのみフォーカスし、個別に声がけをしていきたいところだ。
既存事業の組織やメンバーを巻き込む際の方法にも、十分注意を払うべきだ。それが何であれ、新しい取り組みというのは既存事業の人々にとっては、「想定していなかった」、「唐突に発生する」ものである。従い、既存メンバーも、何らか協力をしたいという気持ちはありつつも、リソース提供には四苦八苦せざるを得ず、既存の仕事の業務目標、状況が頭をよぎるというのが現実だろう。
会社はそういう仕組みで動いているので仕方ない。加えて、基本的に人間は、新しいこと、未知なことに対しては、 変わらないことへの誘惑、違和感の表明に傾きがちであるという性質を理解しておくことも、新規事業推進を担う立場のリテラシーとして必要だろう。その状況や性質を十分に理解せずに、単に「やることになったから」、「忙しいところ悪いけど」といった言い訳を並べるだけでは、折角の既存事業のメンバーのやる気を削ぐことになる。
そこでまず必要なのは、新規事業の意義や全社的に目指すビジョンをきちんと共有し、新規事業に協力することが組織全体の中で評価される行為だということを実感してもらうこと、その上で、なぜ、その人と一緒に進めたいのか?の、個別理由をしっかりと伝えることだ。
これが新しい組織風土、文化創りの出発点になる。この非公式だが、チャレンジングな想いを持つ集団が、互いに手を携えながら縦横無尽に組織を動かしながら成果を出し、徐々に拡大していくことが理想だろう。
その際、個人の意欲や想いのみに頼るのは、どうしても限界が来るため、仕組みも整備していきたい。例えば、既存事業部内の協力者に対して実際に既存事業の側からも評価を受けられる仕組みをあらかじめ設定しておくことが望ましい。役員など上長からの承認だけでなく、新規事業に協力するメンバーに対して付与されるインセンティブ、たとえば人事考課への加点やプロジェクト参加に対する手当、業績表彰の対象となるなどを明確にしておくことも必要だ。
同時に、既存事業の組織に対しては、新規事業の立ち上げの際に想定されるさまざまなKBO(主要な事業目標)やKPI(主要業績評価指標)のうち、既存事業の協力によって達成される項目のいくつかを業績の評価KPIに追加するなどの取り組みも、経営レベルでの推進の意思決定の中に含めておくべきだろう。
もちろん、これらの仕組みは、最初に述べた新規事業の意義や会社全体が目指すビジョンの共有と浸透、その実現に対して自発的に動く個があってこそ、効果を上げるものだ。会社のビジョンの打ち出しとその共有は、経営トップが担う役割である。
日本の企業は多くのことを現場の自助努力に頼りがちであるが、こういった変革や創造には、経営トップの強いメッセージが大きな推進力になることは改めて強調しておきたい。
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