スペースクリエイションは、一定のルールに沿ってスマートフォンで写真を撮影するだけで、その写真に写った空間をコンピュータ上に3次元のパース図(立体透視図)として生成するという技術を持つスタートアップだった。

 内川らは、この技術を使って部屋の中を撮影し、間取り図を描くことができれば、ユーザーがあらかじめ部屋の寸法をいちいち測らなくても、すぐにその部屋に使えるリフォーム素材を豊富な選択肢から選ぶことができるのではないかと考え、まずは模様替えやリフォームをしたことのあるユーザーへのインタビューをしてみることにした。

 すると、インタビューで聞き出すことのできたリフォームに対する声は、内川らの当初の予想とはまったく異なるものだった。

 「何よりも面倒なのが、とにかくありとあらゆるものを選ばなければならないこと。システムキッチンのデザインや備え付け家具の位置などを決めるのは、最初は楽しい。しかしそのうちに選択肢が多すぎて、決めるのが面倒くさくなる。何冊もの分厚いカタログに載っている、何百種類もある似たようなサンプルから『好みのものを選んでください』と何日も言われ続けるのは、本当にしんどい」

 「カーテンの模様やドアノブの形状とか、クロスの色や模様とか、細部にこだわって選んでいると、そのうち全体の統一感がわからなくなってくる。できあがったものを見たら、最初と最後に選んだところのデザインがちぐはぐだったりして、とてもがっかりする」

 「選んだのは良いけれど、メーカーに確認したら『在庫がない』と言われて、また一から選びなおして、それに合わせてまた全体も考え直しての繰り返し。何をどこまでしているのか? いつ終わるのかしら…」

 実際の顧客の声に触れ、その購買の様子を観察してみると、顧客の既存リフォーム市場の、「過度な細部へのこだわり」、「検討期間の長さ」、「検討の手戻り」に対する不満が見えてきた。

何気ない助言がもたらす現場の混乱

 ワークショップの3日目、インタビューの結果を眺めていたスペースクリエイションの黒崎は、内川らサプライズ社のメンバーに、こう話しかけた。

 「それなら、こうしたらどうでしょうか。写真を撮影して取り込んだ3次元パースの一部に、キッチンや家具などの商品を選んで配置すると、それに合わせてほかのパーツ、例えば壁紙やカーテン、ソファのカバーなどの最適なデザインや色彩設計を、人工知能(AI)で提案するんです。ユーザーはいちいち何百種類ものカタログから選ばなくても、在庫がある商品の中からおすすめされる3つか4つのオプションの中から、好みのものを選べば良い。また、自分がそれまでに選んだものもすべて3次元パースの中で全体のデザインを確認できます」

 黒崎の提案したサービスは、内川が当初イメージしていたものとはまったく違っていたが、確かに顧客の悩みを解決する有効な方法のように思えた。自分がそれまで勝手な先入観に囚われていたことを痛感させられつつ、ようやく見えてきた新規事業の方向性に、内川は驚きと興奮を抑えることができなかった。

 「それ、とても面白いですね! 私たちの既存事業である文具や事務用品とはあまり関係がありませんが、取引先の在庫情報とスペースクリエイションの技術をもってすれば、きっと新しい市場を創れる気がします」

 リフォームアプリのアイデアで盛り上がり、4日目の最終プレゼンに向けて準備作業を進めている内川たちのところに、コーヒーを片手に持った高木が訪れ、おもむろに切り出した。

 「リフォームアプリか。内川、これ一般消費者向けじゃなくて、法人向けのサービスにしたほうが良いんじゃない? BtoBなら、今後社内でも取り入れやすいかなと思うんだけど」

 「法人向け…ですか?」

 これまで思いもよらなかった切り口の話に、内川は当惑しつつ、高木に聞き返した。

 「そう。オフィス向けって、基本的には、机と椅子を並べるだけでデザインできるでしょ? そこにスタートアップの技術を組み合わせるってシンプルでわかりやすいよね。今、内川が考えている一般消費者向けだと、最後は、こまごました個別ニーズに対応しなきゃいけなくなるだろ。あとさぁ、一般消費者向けって、うちはほら、以前の社内新規事業でも失敗してるから。法人向けの方が、社長にも納得してもらいやすい気がするんだよね」

(それって、高木さんの単なる思いつきじゃないんですか?)

 内川は、あやうく口にしそうになった疑問を飲み込み、高木に対してどう答えようか迷っていた。これまでにも、ふらっと現れてはオフィス内での雑談に口を挟んでくる高木のアドバイスに、内川は何度も救われたことがあった。だから、もしかしたら今回も、高木の言うことのほうが案外正しいのではという気もしはじめていた。

 「ほら、なんかそんな気もしてきたでしょ。ま、一案として、ちょっと考えてみてよ」

 対応に悩む内川の表情を、自分が出したアイデアが理解されたものと誤解したのか、高木はそう言い残すと、足早に会議室を去っていった。

 高木に方針変更を指示されたことを内川が黒崎に話すと、黒崎はあきれたような顔で言った。

 「内川さん、今からオフィス向けにターゲット顧客を変更するんですか? ここから検討し直すにしても、このままだと単なるアイデア勝負になるし、かといってもう一度ユーザーインタビューをやり直す時間もないと思うんですけど…」

 やや想定外の黒崎の反応に困惑しつつ、内川は答えた。

 「黒崎さんには、迷惑をかけますかね。ただ、うちにはうちで、社内を動かすために必要な筋ってのもあってですね…ちょっと遠回りかもしれないけど、最終的にはこっちもありかなと」

 すると、黒崎はため息をついてつぶやいた。

 「そうですか、じゃあしょうがないですね。内川さんとは気も合うし、一緒に多くのお客様の声も聞いてきて、筋は通してこられたとおもっていたんですが…」

 そういえば、自分はこのプロジェクトの中で、どんな筋を通そうと思っていたのだろうか? 内川の頭の中では、そんな言葉がぐるぐると渦巻いていた。

「事業開発で筋を通すべきは、顧客を起点にしたビジネスモデルの創造」

 新規事業開発の際には、徹底的に顧客のニーズを起点にする必要がある。これはシンプルな原則だが、実際にそれを徹底するには、多くの困難がある。その代表的なものが、ケース中に高木が内川に対して何気なく語ったコメントだ。役職・権限のある上長の言葉は、現場には重たい。加えてその中に、既存事業を前に進める上で必要になる「社内の論理・都合」が見え隠れする場合はなおさらである。このコメントを聞いてしまった内川は、今後、何らかの対応、アクションをする必要性を考え始める。結果、社内の反応に気を遣うようになり、事業アイデアは、顧客のニーズから離れ、尖ったアイデアが丸くなる。

 一方で、ケース中にもあったデザイン思考とは、米国で開発された「イノベーションの成功可能性を高める製品・サービス開発のプロセス」だ。つまり、顧客の観察からはじまり、一つ一つのプロセスをつみあげ、一貫した論理を通すことで成功の確率を上げる。プロセスが結果を規定するという考えに則る。つまり、新規事業開発で通すべき筋は、顧客の声、観察事実である。

 にもかかわらず、上長の声が入ると、そこまで検討していたことは台無しになる。徐々に企画当事者の意欲は減退し、挙句、「どうせ〇〇部長の意見が入るのだから、適当にまとめて意見をもらおう」という気持ちになってしまう。外部の協業パートナーも目の前の担当者と時間を使うことに意味を感じず、大企業から離れていく危険性も想定される。

 上記のようなことを防ぐためには、幾つかの方法がある。

 例えば、「プロジェクトメンバーの多様性を担保すること」、そして「企画承認の意思決定のプロセス、権限をしっかりと定めること」だ。「やってみなはれ」の精神で、革新的な製品を世に送り出すサントリーの商品開発では、開発チームは組織横断メンバーで組成し、かつ、承認のハンコは1つ。そのプロセスも一度のみと決めているそうだ。

 この目的は、「商品企画の根拠を徹底的に顧客の声、ニーズにすること」にあるようだ。多様なメンバーでの議論では、当然に多様な意見が出る。その中で、どの意見を採用するのか? 結局は、顧客に聞くしかない。加えて、承認のハンコを1度、1回にする。このことで開発メンバーは、徹底的に顧客を分析し、世の中にない価値を創り出そうとする。事前の根回しをしきることが難しい以上、相手を説得し、承認してもらうには、その根拠を顧客に求めるしかないからだ。

 更には大前提として、上長が、自分の役職、権限の持つ力を理解していることも重要だろう。上長からすると何気ないちょっとしたアドバイスが、部下にとっては、実行必須の方針のようにとらえられることを理解しておく。その前提に立ち、事業構想の範囲や採用基準、意見を言うタイミングを事前に設計しておくことで、ケース内にあった無用な現場の混乱を回避する。

 そして、企画担当の当事者は、「新規事業の創造」と「既存事業の運営」は、課題の種類が異なることを理解する。そして、新規事業で通すべき筋は、顧客ニーズ、体験価値であることに徹底的にこだわって頂きたい。

 この過程で、外部のファシリテーターを入れることも選択肢の一つだ。社内にしがらみがなく、客観性を担保したまま、あるべきプロセスに則れる外部の力も有効に活用しながら、事業開発に邁進したいものである。