3日後、20社のスタートアップへのヒアリングを終えて再び集まったラボのメンバーの顔を見回しながら、浅沢がたずねた。
「さて、各社に話を聞いてきてもらった結果を、報告してもらえますか」
そのとたん、咲間は悲鳴混じりの声でしゃべり始めた。
「浅沢さん、私は昨日インテリジェントマネー社の方のお話を聞きに行ったんですが、何度聞いても本当にぜんぜん分かりません! なんかとにかくすごい技術を持っているようで、ブロックチェーンで世界のお金を民主化する、というようなことを話しておられるようなんですが、そこから先は意味も言葉もさっぱり分からないんです!」
「咲間さん、落ち着いて。彼らの事業内容が完璧に理解できなくても、彼らがどんな支援を望んでいるかを聞いてくればいいんだから……」
と、高木が横から出した助け舟も、咲間の耳には入らなかった。
相手の話がさっぱり分からない!
「何回も尋ねましたよ、結局あなたは、何をしてほしいんですかって。でも、それに対してもゼロ知識証明がどうのとかICOトークンでどうだとか、とにかく何度聞いてもあの人たちが何を言っているのかさっぱり分からないんです!…やっぱり私、デジタルとかITとか苦手ですし、ここのメンバーに向いてないんじゃないかと思います…すみません…」
すると、咲間の顔をじっと見ながら話を聞いていた浅沢が、ぼそっとつぶやいた。
「咲間さん、ありがとうございます。インテリジェントマネー社は、予選落ちですね……」
「え?」
高木と咲間と内川は、浅沢の意外な言葉におもわず顔を見合わせた。
企業がオープンイノベーションを起爆剤にして新しいビジネスを興す場合、もっとも配慮が必要なのが、スタートアップなど外部の人たちとの関係の作り方についてである。
よく指摘される問題は、「既存企業がスタートアップなどの外部協業相手を下請けのように扱う」ということだ。ケース中で浅沢氏も言っているように、オープンイノベーションは企業が自社だけでイノベーションを起こせないからこそ導入される手法であり、そこでのイノベーションの主役はあくまで社外のスタートアップということになる。筆者が見る限り、スタートアップが「下請け扱いされた」と感じる既存企業のスタッフの態度は、たいてい日常業務の延長線上の振る舞いであり、彼らに悪気はまったくないことが多い。
だが、歴史も長く業界内での地位も高い企業の社員ほど、「指示を出すのは自分たち、手を動かすのは外部」「プロジェクトにおいて重要度が高いのは発注者である自分たち、外部はこちらの都合に合わせるべき」といった日ごろからの意識がふとした言動に表れる。これが、スタートアップとの円滑な協働をしばしば阻害する。
したがって、オープンイノベーションの現場では、既存企業とスタートアップは対等、むしろイノベーションを起こせない既存企業はスタートアップの言うことを聞く存在、ぐらいに思っていたほうが良いだろう。
とはいえ、デジタル新規事業の創出はあくまで既存企業が主体となって始めるものである。イノベーション創出においては「主役」であるスタートアップも、単独ではなくオープンイノベーションというかたちで既存企業との連携を希望する以上は、相応の努力も必要である。アクセラレーターなどでオープンイノベーションの窓口となるスタッフは、その努力の度合いで組むべきスタートアップとそうでないところを見分けるべきだ。
具体的には、「尖った技術や、それを元にしたユニークな事業アイデアを持っているか」がまず第1の条件。だが、それはスタートアップの大前提にすぎない(そもそも尖った技術やアイデアを持たない企業は、スタートアップではない)。それよりも、その技術やアイデアを既存企業との提携で実現したいと考える理由は何か、資金や営業要員などどんなものが自社に足りておらず、既存企業にどのように助けてもらいたいのかということについて、冷静な判断ができているかどうかが2つめの条件である。
実際には、最近はいくつものアクセラレーターに同時に応募し、複数を掛け持ちしながら事業開発を進めるスタートアップも少なくなく、どのように支援するかは募集元企業の判断に任せるというスタンスで応募する企業も多い。そうなると、既存企業としては3つめの条件、「この企業の経営陣と自分たちは、うまく協働していけそうか」が最大の判断ポイントになる。
これについては、書類の上だけでは分からないので、やはり経営陣に実際に会って話してみるしかない。ただ、少なくとも専門用語の雨あられや自社の技術の自慢話だけでなく、意味のある会話のキャッチボールをしようとしてくれる相手かどうか、つまり「ウマが合いそうか」については、会って20~30分も話していればだいたい分かるものだ。
スタートアップに対して過剰に上から目線で接するのも良くないが、かといって過剰に卑下して下手に出ても結局うまくいかない。お互いがイノベーションという目標に向けた「対等のパートナー」であるという出発点に立ち、ストレスなく意思疎通できる相手を選んでオープンイノベーションを仕掛けていきたいものである。
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