画期的な製品なのになぜ黒字化しない?
第1回 企業がつまずく、デジタルの「事業特性の見誤り」
既存企業のデジタル新規事業には、これまでの事業とは全く違う成功の法則があり、それを踏まえた意思決定が必要だ。だが、既存事業での成功体験が大きい大企業ほど、その意思決定の場面で困難な場面に遭遇しているように思える。
デジタル事業の特性を見誤った意思決定をすると、最悪の場合、大ヒットしたアイデア商品ですら返品の山と化すリスクも抱えている。本連載では、架空の典型的な日本企業である文具・事務用品メーカー「サプライズ社」が、そうした落とし穴でつまずきつつ、担当者が起死回生目指して奮闘していく軌跡を描いていく。
2018年5月末のきれいに晴れ渡ったある日の朝、文具・事務用品メーカー「サプライズ社」の文具営業企画課長の高木直斗は、見知らぬ人物と2人で並んで社長の山崎信之のデスクの前に立っていた。
「高木君、きみを呼んだのはほかでもない、この6月から新部門へ異動して、新規事業を立ち上げてもらいたいと思ってね。もちろん、ひとりで、というわけではないよ。隣にいる浅沢君と一緒にだ」
「浅沢です。よろしく、高木さん」
社長が浅沢と呼んだその隣の人物は高木に向き直り、いかにも自然なそぶりで右手をさしのべた。高木は慌ててその手を握り返した。
「浅沢君は昨年までITベンチャー『ベストクリック』などの執行役員だったが、今年からうちのデジタル新規事業開発に加わってくれることになった。営業の現場にいて、もともとシステムにも詳しい君とでは、話が合うだろうと思ってね」
高木は、改めて隣に立つ浅沢のことをちらりと見た。確かに、白いTシャツと赤いタイトジーンズといういでたちで社長の前に立つというのは、少なくともうちの社員ではない…。
「それじゃ、きみは来週からこのフロアの空き部屋に移ってきてくれ。あ、それから浅沢君に社内を案内してあげてくれるかな。よろしく頼むよ」
「分かりました」と答えて浅沢とともに社長室を出たものの、五月晴れの空とは逆に高木の心中は晴れやかではなかった。「デジタル新規事業の立ち上げ」、それはサプライズ社内ではあまり響きの良くない言葉だったからだ。
大ヒットしたデジタル文具、だがその裏では…
文具メーカーとして1993年に創業したサプライズ社は、「楽しく学ぶ、楽しく働く」をキャッチフレーズに、斬新な発想と実用性を兼ね備えた文具や事務用品を次々と発売。また、2000年代に入ってからは新たに始めたアイデア文具やファンシー雑貨のショップ「ジャック・インザボックス」が若年層に人気となって全国のショッピングモールに出店を果たし、社員数は500人、売上高も200億円を超えるまでに成長した。
しかし、さしものサプライズ社も事務用品市場の縮小やネット通販の普及に影響を受け、近年は売り上げが伸び悩み始めた。ちょうどその頃、創業家の2代目として新社長に就任した山崎が業績回復を図って打ち出したのが、「デジタル新規事業」だった。
大ヒットした「魔法ステッキ」を襲う阿鼻叫喚
とはいえ、アイデア文具が主力のサプライズ社には、デジタル関連の技術が特にあるわけではない。そこで、文具事業担当の役員がシリコンバレーに飛んで情報収集し、さまざまな筆記具をネットに接続できるようにする「IoT(モノのインターネット)」の技術を持つ企業と提携した。その技術を使った新製品を企画するチームが文具事業部内に立ち上げられ、検討が重ねられた。そしてサプライズ社が発売したのが、空中に文字を書くだけでそれをスマートフォンやパソコンにメモしたりキーワード検索したりできるようにするペンだった。
「魔法ステッキ」と名づけて発売されたこのペンは、「サプライズ社らしい画期的なデジタルグッズ」として、当初はメディアでも話題になった。また、価格も980円と買いやすく設定されたことで、1万本以上売れるちょっとしたヒット商品になった。
しかし、当然ながら高度な電子部品を組み込んだペンが、この価格で利益が出るわけがない。むしろ、製造原価を大幅に割り込んだその価格は、文具営業部が「1000円以下でないと文具店の店頭には並べてもらえない」と強硬に主張した挙げ句に決まったものだったため、売れば売るほど赤字がかさむ構造になっていた。
予想外の好調な売れ行きに浮かれる社内の雰囲気に冷や水を浴びせたのが、経理担当の役員の役員会での発言だった。
「魔法ステッキの販売がこのまま好調に推移すれば、3年後に当社は営業赤字に転落する。今すぐ黒字化のめどをつけるか、さもなければ販売を中止せよ」
無料からいきなり3000円に「値上げ」
追い詰められたデジタル新規事業部は、それまで魔法ステッキの購入者に無償配布していた、スマホやパソコンにデータを転送するソフトウエアを有料化し、3000円払わないと継続して機能を使えないようにするという方針を打ち出した。ステッキの売り上げをさらに伸ばしながら、すでに1万人以上いる購入者がソフトウエアに課金するようになれば、2~3年内で赤字を回収できるとのもくろみがあった。
ところが、ソフトウエアの有料化を発表したとたん、それまで大人気だった魔法ステッキに対し、既存のユーザーがネット上で一気に不満をぶちまけ「炎上」した。「データが転送できなければ何の役にも立たない棒きれ同然」「こんなものを買って損をした、詐欺だ」「私の魔法ステッキを返して」といった書き込みが匿名掲示板や製品評価サイトにあふれかえり、ものの1カ月も経たないうちに魔法ステッキはぱったりと売れなくなってしまった。期待されたデータ転送ソフトウエアの課金収入も、ステッキの出荷本数の数パーセント分にしか達しなかった。
一時は文具事業部から独立するのではとまで噂されていたデジタル新規事業部は、一転してそれまでに膨らませた数億円の赤字の責任を問われて解散となり、魔法ステッキの企画を考えた中心メンバーはやがて退社してしまったのである。
経営陣からはその後も何度か、デジタル技術を使った新製品を出せ、新規事業を立ち上げよとの号令が下されたが、失望し、やる気を失った社内からめぼしいアイデアが出ることもなく、企画が浮かんでは消え、を繰り返していた。何より、失敗すれば自分たちも魔法ステッキ事業の二の舞になりひどい目に遭うと察した多くの社員が、デジタル関連の企画を恐れて寄りつかなくなったことが大きかった。
社内からの発案を待っていたのでは、いつまで経っても第3の柱は育たない。焦った山崎が下した決断が、外部人材である浅沢の抜擢だったというわけだ。
残された道は、社外との連携
自分よりも数歳若い浅沢に社内を案内し、オフィスに戻って魔法ステッキの事業の失敗の経緯を説明しながら、高木はこうつぶやいた。
「そんなわけで、今朝のボクはちょっと憂鬱だったんですよ。それにしても、魔法ステッキはなんでうまく行かなかったんですかねぇ。アイデアはとてもよかったでしょう、せっかくユニークな製品だと思ったのになぁ」
すると、黙って高木の話を聞いていた浅沢が、少し考えたのちおもむろに口を開いた。
「高木さん、私もそれはかなり惜しかったと思います。でも、メーカー的発想から抜け出さないと、デジタル事業は成功しませんよ。大丈夫、今度こそうまくやりましょう。私に良い考えがあります。デジタル事業が得意なスタートアップ、ベンチャー企業を支援し、協業して新規事業を立ち上げる方法があります。こうした手法は『アクセラレーター』と呼ばれているようです」
「またコンサルタントが好きそうな横文字。なんですか、それ?」
「まあまあそうおっしゃらず。簡単に言えば、オープンイノベーションの一つで、大企業がベンチャー企業と組んで、一緒に新規事業を立ち上げる取り組みのことです。既存の事業が大きな大企業では、画期的なアイデアはなかなか生まれにくいし、せっかく芽が出たとしてもそれが事業として育つ前に社内で潰されてしまう。それならば、イノベーションを起こすのに長けたベンチャー企業の力を借りて、社外で新規事業を作ればいいんです。
ベンチャーとの協業が突破口になるか
数年前から、米国ではコカ・コーラやウォールト・ディズニー、P&Gといった有名企業が、ベンチャーと組んで新規事業に取り組むようになっています。日本でも、年間に30~40社がベンチャー企業を募集して、共同で新規事業開発をするようになっているんですよ」
少しいたずらっぽい目つきではあるが、自信ありげに話す浅沢の話を聞くうちに、高木にも現在のじり貧状態にあるサプライズ社のデジタル新規事業にとって、「外部のベンチャーの力を借りて新規事業を開発するアクセラレーター」こそが残された最後の突破口のような気がしてきた。
「なるほど、それは知りませんでしたが、面白そうですね。社長に進言してみましょうか」
高木はさっそく浅沢と一緒に、社長の山崎に提案するベンチャーとの協業による新規事業の実施企画案を練ることにした。
失敗の原因は既存型マネジメントにあり
企業が成長するために取る手段の多くは、既存事業における新製品の投入や未開拓の新市場への進出であり、既存の事業と何の関係もない新規事業はそもそも失敗の確率が高いと言われてきた。そのため、新規事業は同じ分野の企業を買収したり、外部から技術や人材を獲得したりして始めるケースも多い。しかしIT(情報技術)を活用した新規事業の成功確率は非常に低いとみられる。それは、デジタル技術がもたらす経済原理、事業の成功法則、そして顧客のニーズが、従来の企業の知っているそれと正反対だからだ。
既存企業の多くは、収益化やその向上には事業におけるさまざまなコストをいかに下げるかがカギだと考えている。もちろんコストも重要な要素には違いないが、「デジタル技術によって顧客が得られる価値」のほうがはるかに重要である。
半導体や通信ネットワークなどデジタル技術におけるコスト要因は、「ムーアの法則」によって持続的に減っていくが、それは自社だけでなく類似の製品・サービスを提供する他社にとっても同じである。
コストを抑えることを考えるよりも重要なことは、顧客がその製品・サービスを使うことで得られる価値を高め続ける取り組みであり、言い換えれば顧客にとっての「コスト」を下げることだ。デジタル技術を使った製品・サービスは確かに便利だが、それ以上にコンピュータに疎い人にとっては敷居が高い。その敷居をどれだけ下げ、利用者に「これは自分にとって使い続けるべきで、素晴らしい価値があるサービスだ」と思わせ続けられるかが、デジタル事業で収益性を高める唯一の方法だ。
つまり、優先的に下げるべきは会社のコストではなく顧客のコストであり、それがなければそもそも事業が立ち行かない。こうしたリアル事業とデジタル事業の決定的な相違が、多くの企業がデジタル新規事業をうまく立ち上げられない、立ち上げたとしても成長させられない原因であると我々は考えている。
サプライズ社もその例に漏れず、せっかく立ち上げたデジタル事業で、その特性を理解しないまま従来型事業の視点でマネジメントしたために失敗したわけだが、この失敗を乗り越える手立ては、まだある。それを次回以降、同社のストーリーに即しながらご紹介していきたい。
Powered by リゾーム?