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社是に共通する精神とは裏腹に……

 渦中の日産はどうか。「ビジョン」の中で、「人々の生活を豊かに」を掲げる。

 優良企業だろうと、不祥事を起こした企業だろうと、社是で言いたいことは基本的にはさほど変わらない。共通するのは、「社会のお役に立ちます」だ。

 ところが、不祥事を起こした企業は、社是とは裏腹な行為をしでかしている。

 改めて、先の老師の話に戻そう。老師は社是を「仏教そのもの」と述べた。どういうことだろうか。例えば、仏教では「利他行」という言葉がある。利他行とは、自分の利益よりも、他者の利益を優先することである。他者のために尽くす、と言い換えてもよい。

 京セラの「敬天愛人」や三菱マテリアルの「人と社会と地球のために」、日産の「人々の生活を豊かに」は、まさに利他行の実践をうたったものだ。

 「縁起」という仏教用語もある。「縁起でもない」という否定的な用語で使われることも少なくないが、そもそもの縁起とは、「過去」や「社会」などとの繋がりを意味する。存在そのものの意味を、縁起は問うている。

 話は少し飛ぶが、カルロス・ゴーン氏の事件にからんで彼の多額の報酬が話題になっている。テレビのワイドショーなどでは評論家たちが決まってこう言う。

 「グローバルスタンダードに立てば、決してゴーン氏の報酬額は高くはない。むしろ、日本の経営者の報酬が安すぎるのだ」

 私はこの考え方に、どうも違和感を覚えてしまう。日本の経営者の報酬額が抑えられてきたのは、「縁起」の考え方が根付いているからだ。

 「先人達がいて、今の自分たちがいる」

 「多くのステークホルダーのおかげで、企業が存在する」

 だから、従業員や株主、あるいは社会に還元するのだ。「企業を成功に導けば、それなりの報酬を受け取る資格がある」という論理は、近視眼的である。

 スバルの社是である「常に人・社会・環境の調和を目指す」、スルガ銀行の「いつの時代にも社会から不可欠の存在として」は縁起と同義である。