ハエはその見た目の不気味さから、しばしばホラー映画にも登場する害虫だ。
私も幼い頃、『ハエ男の恐怖』や『ザ・フライ』などを見て震え上がったものだ。また、路傍の糞にハエが群がるのを見ると、思わずその場から遠ざかってしまう。
そんな、ハエを「ちゃん」呼ばわりして、ハエ供養をし続けているベンチャー企業のトップがいる。福岡県博多区に本社を置くムスカ会長、串間充崇さんである。
ムスカは先述のような、害虫駆除を事業目的とする会社ではないが、やはり、害虫の犠牲の上に立った事業を展開する企業だ。ムスカという社名は、ハエの学名「ムスカ・ドメスティカ」にちなんだものだ。
同社ではイエバエの幼虫を養殖魚用のエサにする技術や、その過程でつくられる農業用肥料を開発、販売している。前身の会社を含めると、これまでの開発期間は45年間にも及ぶ。何十億匹、何百億匹、あるいは何千億匹という天文学的な数のハエが、同社の開発と成長を支えてきた。
串間さんは会社に祀られている神棚に手を合わすことが日課になっている。串間さんは大真面目な表情でこう話す。
「ハエ様あっての会社です。ハエへの感謝の気持ちを込め毎日、私も社員も手を合わせます。『ハエちゃん、今日もありがとう』などと、声を掛けてね」
これだけでは誤解が生じやすいので、ここで少し同社の事業を説明する必要がありそうだ。これまで私は、ハエは病原体を媒介する害虫で「百害あって一利なし」と考えていたが、串間さんの話を聞くうちに、その認識はとんだ誤解であると気付いた。
ハエ(あるいはハエに類似した生き物)の起源は古い。恐竜が誕生した以前から存在していたと考えるのが妥当だ。1億年以上も前、白亜紀の時代の琥珀から、閉じ込められたハエが見つかっている。ハエは生物史における“ゴミ処理班”として、地球上では、なくてはならない存在であり続けているのだ。
イエバエを使って肥料や飼料を生産
ハエの高いゴミ処理能力は、その生命サイクルの速さ、繁殖能力の高さとも関係している。イエバエは卵を産んでから孵化するまでがわずか8時間。さらに1週間以内で、幼虫からさなぎへと変態していく。ハエの雌は一生で500個程度の卵を産む。1対のハエが全て生存したとするならば、その合計は4ヶ月後には20万匹にもなるという。
このイエバエの特性に注目したのが、同社であった。同社の前身会社である先代社長が20年ほど前、ロシアから宇宙開発において研究されてきたストレスに強いイエバエを取り寄せ、改良を重ねてきた。
旧ソ連では宇宙に長期滞在するための食料循環サイクルをハエに見出そうとしていたという。人糞の処理をハエに任せ、さらにそのハエを貴重なタンパク源にするという画期的な計画だった。
この発想をムスカではハエのエサを家畜の糞に置き換えた。糞をイエバエに分解させれば、短期間のうちに農業用有機肥料に100%リサイクルできる。さらに、その過程で増殖する幼虫(ウジ)を集めると、養殖魚の格好の飼料になるという。
ハエの幼虫は格好の飼料になる ※一部ご覧の方に不快感を与える可能性のある画像のため、モザイク処理を施しました
イエバエを使った肥料や飼料の生産過程は実に合理的だ。ウジのエサとなる動物の糞尿は酪農家を通じて安価に手に入れることができる。通常、家畜糞尿を堆肥化させるには3~6カ月かかるがイエバエを使うとわずか1週間で済むという。
さらに、ウジはさなぎになる時には自ら糞の外に出てくる。ベレットの上に糞尿を置き、ハエの卵を接種。分解処理が終われば自然とウジが這い出て、ベレットの下に落ちてくる。そのため、ウジの回収は簡単だ。
ムスカの幼虫飼育室 ※一部ご覧の方に不快感を与える可能性のある画像のため、モザイク処理を施しました
トレイから這い出そうとする幼虫 ※一部ご覧の方に不快感を与える可能性のある画像のため、モザイク処理を施しました
現在、養殖業で不可欠な魚粉飼料の価格が近年高騰している。20年前に1kg当たり50円以下であったものが、2015年には300円近くまで高騰している。理由としては、中国をはじめとする新興国の海産物の消費量が増え、飼料の原料となる魚粉の需要が伸びていること。同時に、魚粉の主原料になるカタクチイワシやアジが枯渇してきたことが挙げられる。つまり現状の養殖業では、魚で魚を育てるという矛盾と無駄が生じているのだ。
コストをかけずに養殖魚を育てるための飼料の調達は、日本の水産業界において急務になっていた。
イエバエは魚粉に替わる夢の代替昆虫
ハエで育てたマダイは、魚粉100%で育てたマダイに比べて成長が早く、色が鮮やかになることも実証されている。魚粉に替わる夢の代替昆虫がイエバエというわけだ。
さらに、イエバエは世界食糧危機の切り札としても注目されている。2017(平成29)年、世界における飢餓人口は8億1500万人と言われる。アフリカ大陸を中心とする食糧難の地域で、畜産、漁業のニーズの拡大は急務である。イエバエを使った食糧危機回避策も、今後、大いに注目が集まることだろう。
ムスカの事業は、まさに一石二鳥かつ、未来型のビジネスモデルと言えるのだ。
だが虫を使ったビジネスとは言え、大量の命を奪っていることにはかわりがない。先述のように2匹のペアのハエが4ヶ月後には20万匹にもなるわけだから、45年間の開発期間を有する同社におけるハエの犠牲は計り知れない。
仏教では輪廻を説く。ハエは昆虫の分類群では、双翅目(ハエ目)に分類され、その数は12万種にも及び、地球上で最も個体数の多い昆虫のひとつであるから、人間界から畜生界へと堕ちた肉親や友人が、来世でハエになるケースも大いに考えられる。また、仏教の信者には、守るべき五戒のうち最も大切な「不殺生戒」が与えられている。
有り難くハエ様の命を頂いている──。串間さんや社員は常にハエの御霊に手を合わせ、感謝の気持ちを表現しているという。宮崎県都農町の同社研究所内には供養塔も設置し、事業拡大の際などの節目には、地域の神職を呼んで祝詞を上げてもらっているという。
「我々はハエによって事業が継続できていることへの感謝の念はもちろんのこと、ハエは人類の財産であり、その命は粗末に扱えないと考えています。ハエがいなければ、人類は存続できない可能性すらあるんです。『一寸の虫にも五分の魂』と言いますが、私は生きとし生けるものすべてに魂は宿っていると信じています」
串間さんは虫はおろか、植物にたいしても命が宿っていると考える。ムスカの前身の会社で、機能性野菜の開発に携わってきた頃、関わりのある農家からよく、
「元気に育てよ」
「見事なトマトだ」
などと、野菜を褒めたり、前向きな言葉をかけるとよく育ってくれるという言葉が耳に残っているからだ。同様に、モーツァルトなどのクラシックを流すと、やはり作物の生育によい影響を与えるという研究もなされている。串間さんは一寸の虫、草木に至るまで、「意識」のようなものが存在していると考えている。
「ハエと人間の遺伝子は70%同じなんですよ。死後世界はハエにだってあるはず」
※本稿は筆者の最新刊『ペットと葬式 日本人の供養心をさぐる』(朝日新書)から一部、コンテンツを抜粋し、再編集したものです
■訂正履歴
記事の公開後、一部の表現を変更しました。 [2018/10/23 15:00]
著者最新刊『ペットと葬式 日本人の供養心をさぐる』
「うちの子」であるペットは人間同様に極楽へ行けるのか? そう考えると眠れなくなる人も少なくないらしい。仏教界ではペット往生を巡って侃侃諤諤の議論が続く。この問題に真っ正面から取り組んで、現代仏教の役割とその現場を克明に解き明かしていく。筆者は全国の「人間以外の供養」を調査。殺生を生業にする殺虫剤メーカーの懺悔、人の声を聞く植物の弔い、迷子郵便の墓、ロボットの葬式にいたるまで、手あつく弔う日本人って何だ!?
朝日新聞出版刊、2018年10月12日発売
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