死を共有することの大切さ

 私は樹木さんの死を通じて、「死を共有することの大切さ」について、しばし考えた。現代日本では、死との接点がどんどんなくなってきている。とくに葬式において、家族葬や直葬など「閉じられた葬式」が拡大し、「死」が見えなくなってきている。

 長寿化はそれ自体は喜ばしいことだが、死が社会と隔絶される側面ももつ。高齢者の施設暮らしが長期化すればするほど、その人と社会との接点は失われていく。最終的には、広く社会に認知されることなく、葬られてしまう。

 樹木さんの言葉、「人は必ず死ぬというのに。長生きを叶える技術ばかりが進歩してなんとまあ死ににくい時代になったことでしょう。せめて美しく輝く塵になりたい」に込められているのは、長寿化によってむしろ、安堵して死ねない時代になっていることへの、警鐘であろう。長寿化も良し悪しだ。

 夫の内田裕也さんは、火葬の後に樹木さんの遺骨の一部をハンカチに包んでポケットにしまったという。生前はほとんど別居状態だったというふたりだが、実は深い愛情で結ばれていたということをうかがい知ることのできるエピソードだ。

 こうしてみれば、樹木さんはその死を通じて、実に多くのことを教えてくれたと思う。

 死は万人に訪れることであり、それを直視してこそ残された時間を有意義に使えるということ。死は憚るものではなく、むしろ「死の共有」を通じて次代に向けての最高の教育材料になるということ。そして、死を通じて見える人間愛があるということ。

 樹木さんのような死を、たくさんの人が迎えられる社会こそが、本当の成熟社会だと思う。

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