進まない北方領土の寺院調査

 私は色丹島の墓地を訪れた時、三つ葉葵の家紋が刻まれた墓石を確認している。これは徳川家の菩提寺である増上寺の寺紋である。

 また、択捉島にある博物館には梵鐘が展示されていた。ちなみに北方四島における寺社はことごとく、戦後侵攻してきたソ連側によって壊された。現在、堂宇を支えた基礎や石垣などが、一部、わずかに残されているが、それもいずれ森に飲まれてしまうことだろう。

択捉島の博物館に置かれていた釣鐘と石臼
択捉島の博物館に置かれていた釣鐘と石臼

 現在は領土の帰属をめぐって日露間で紛争中であるため、北方領土の寺院の調査は事実上、ほとんど手付かずである。北海道神社庁とロシア・サハリン州との共同学術調査報告書(2005年)が唯⼀、存在する。

 それでも1964年から続けられている墓参(北方墓参、ビザなし交流)は、元島民にとって極めて大切な行事である。これは、北方領土に残された先祖代々の墓に手を合わせたいという元島民の願いを、人道的立場に沿って旧ソ連が受け入れたものだ。

色丹島の墓地にて。手を合わせる元島民
色丹島の墓地にて。手を合わせる元島民

 私も参加しているビザなし訪問の墓参では、故郷のムラの跡を訪問するが、そこにはかつての日本人集落の面影はまったくない。ロシア人が暮らす集落は、ペンキでカラフルに塗られた建物が並び、異国情緒が漂う。しかし、実効支配されている地とはいえ、「和の存在感」を示しているのが日本人の墓である。墓石には没年や戒名などが漢字で刻まれている。墓石は、いくらロシアが、自国領であることを主張しようとも、そこがかつては日本固有の領土であったことを、国際的にも証明しているのである。

 墓参では我々は下草刈りをし、線香に火をつけ、経をあげる。元島民の平均年齢は現在83歳。北方四島で墓参りするには限界の年齢が近づいている。

 一進一退を繰り返す北方領土交渉。現在、北方四島に日本人は居住できない。しかし、ご先祖さまの御霊はしっかりと根をおろすが如く、故郷に存在し続けているのだ。