
前回の本コラムでは、京都「五山の送り火」について触れた。ちょうど、この原稿を送り火の翌日(8月17日)に書いている。私は自坊の近くの「鳥居型」を、灯籠流しが行われる「広沢池」から拝した。故郷に戻ってきたご先祖さまの精霊は、炎とともにあの世に戻って行かれる。池面に揺らめく灯籠と送り火とのシンクロナイズは、幽玄のひと言に尽きる。
そういえば、こうした仏教行事には、あるキーワードを見出すことができそうだ。「火」を使って、精霊を「送る」のだ。
「仏教」と「火」は、密接な関係がある。死者が極楽浄土へと向かう際の灯とする説や、「法灯」という言葉があるように仏法そのものの象徴としての火の存在がある。「迷い」「煩悩」などが「闇夜」であり、火は「道しるべ」なのだ。
精霊や神仏、仏法……。見えざるものに対し、火を灯すことで「可視化」している、とも言えるだろう。だからかもしれない。ろうそくの火はずっと見ていて飽きない。
さて、夏休みも間もなく終わる。
今回のコラムでは、日本の農村に伝わる夏らしい、ユニークな「送り火」を紹介したい。
それは「虫送り(追い)」と呼ばれる仏教行事である。虫送りとは、農作物の害虫からの防除を願って行う風習だ。
農業にとってウンカやバッタなどによる蝗害(こうがい)は、深刻な問題だ。
例えば江戸時代の「享保の大飢饉」は、蝗害がきっかけであった。この飢饉によって、数十万人が餓死したとも伝えられている。ひとたび飢饉になれば、幕府の財政に大きな影響を及ぼす。また、暴動(一揆)にも繋がりかねない。たかが昆虫といえど、時の権力をも脅かしかねない存在なのだ。
現在では、農薬によって蝗害の規模こそ縮小している。しかしながら、いまだにウンカの被害(坪枯れ)は珍しくはないという。
害虫による農業被害を防ぐ目的で、神仏の加護に頼るのが虫追いの行事だ。地域によってその形態は多少異なるが、夕刻、松明を持った村人たちが田んぼの畔を、経文や呪文を唱えながら練り歩く。
虫送りは害虫を追い払い、豊作を祈願するとともに、駆除された虫を供養する場でもある。
古くから害虫被害は、悪霊がもたらすものという考えがあった。虫送りの中には、害虫の霊をわら人形に封じ込め、鉦や太鼓を打ち鳴らしながら村境まで送り出すという、ミステリアスな習俗が残る地域もある。
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