京都のお盆行事のハイライト「五山の送り火」(写真:PIXTA)
今年の京都は本当にクソ暑い。
京都では、スクーターに乗ったお坊さんが、市中を颯爽と走り回るお盆の時期に入ってきた。この時期、僧侶の姿を市中でよく見る理由は、檀家さんの自宅の仏壇に読経をして回る「棚経」という風習が続いているからだ。
うちの寺の場合、1日30軒から40軒ほど回ることになる。棚経は朝6時台から日暮れまで。早朝に訪れる檀家さんはえらい迷惑かもしれないが、毎年恒例のことなので、お互い慣れっこである。
しかし、こうも暑くては、お盆はもはや「坊さん殺し」と言わざるを得ない。シースルーのような法衣も多くはナイロン製であり、さらに黒いので太陽熱を吸収してかなり暑い。私の場合、バイクに乗れないこともあるが、エアコンの効いた自動車で回らせていただいている。
ところで、東京のお盆はすでに終了している。私はこれまで東京と京都の生活は半々であり、両方のお盆を見てきているが、当初はお盆の時期が違うことに戸惑った。それはなぜかというと、少しややこしいが、新暦から旧暦移行した明治初期に遡る。江戸時代までのお盆は7月(旧暦)にやっていた。
東京の場合、現在のお盆は旧暦のそのまま月日を新暦にあてはめているので、今年は7月13日から16日までである。
一方で東京の暦の形態を取れない地域があった。当時、日本の大部分を占めていた農村部である。7月は農作業の繁忙期であり、お盆の支度ができないのだ。
それでお盆を1カ月後にスライドさせようということになったのだ。わが京都を含めた多くの都市が8月13日から16日にかけてお盆の行事を実施している。東京と地方で時期がズレているのは、農家の事情によるものだったのだ(※一部地域ではその限りではない)。
そもそもお盆とは、ご先祖さまの霊をこの世に迎え、回向を手向ける仏教行事である。「霊魂」というと都会の人は非科学的と思うかもしれないが、お盆は1年の中でもっとも死者の魂を“可視化”できるチャンスでもある。
たとえば、この時期、仏壇の前に精霊棚を設け、死者がこの世とあの世を往復するための乗り物「ナスの牛」や「キュウリの馬」を用意する。同時に、自分たちもお墓詣りをする。精霊流しをする地域もある。そして、お盆の明けには再び、ご先祖様を、あの世に送り届けるのである。
お盆の時期には、不思議と大きな弔いごとが重なっているのにお気づきだろうか。
たとえば、1945年8月15日は終戦日である。日本武道館では政府主催の全国戦没者追悼式が実施される。追悼される対象者は、戦死者や空襲・原爆などで死亡した一般市民などおよそ310万人にも及ぶ。
また、1985年8月12日には日本航空123便が御巣鷹の尾根に墜落し、乗員乗客520名が死亡している。
私は日航機事故から11年目の1996年のお盆に慰霊登山に参加させていただいている。御巣鷹の尾根には「昇魂之碑」が立っており、私は当時、その現場にいて亡き人の魂が空高く昇っていくような錯覚がしたものだ。
改めて、生者と死者の接点がお盆なのだと思わざるをえない。
京都の場合、お盆のハイライトは8月16日夜に実施される「五山の送り火」である。送り火は、戻ってきた死者の魂を燃え盛る炎にのせ、あの世に戻っていただく仏教儀式である。京都人以外がしばしば「大文字焼き」と呼ぶ。だが、京都人はそれを嫌がる。あくまでもこの世とあの世を橋渡しする意味での「送り火」であることに京都の人はこだわっているのだ。
京都では送り火が見える立地のマンションなどは、不動産価値が高くなる傾向にあるという。マンションの建設などで送り火が見えなくなった場合、クレーム対策として、屋上を近隣の住民に開放するというのもよくあることである。
ちなみに「送り火」の季語は「秋」である。かつて、お盆の時期には早くも秋の気配を感じ取れるという意味があったのだろう。しかし、今日のような酷暑では、秋の季語としての雰囲気はまるでない。
5つの山には「大文字」「左大文字」「妙・法」「船形」「鳥居形」が灯される。私の寺からは「鳥居形」が見える。それはそれは、幻想的な情景である。
その時、コップに入れた水に送り火の炎を映して飲めば、無病息災が約束されるとの言い伝えがある。また、翌日、山に登って燃え残りの炭を粉末にして服すると、持病が治るとの言い伝えがある。なんとも風情のある習俗である。
だが、送り火の起源についてはよくわかっていない。平安時代に空海が始めたとも、室町時代に足利義政が考案したとも言われている。
江戸時代には「一」「い」「蛇」「長刀」「竹の先に鈴」など計10の山で送り火が行われたという。折しも8月8日、京都大学は左京区の山で「い」の痕跡を見つけたと発表した。今後、保存会を立ち上げ、ぜひとも「い」の送り火を復活してもらいたいと願う。
送り火は不思議なことに仏教行事なのに、嵯峨の曼荼羅山では神社のしるしである「鳥居」が灯される。
都名所図会には江戸時代の送り火の様子が描かれている
これは京都の西に位置する愛宕神社(愛宕山山頂)に縁が深い。愛宕山の麓にある「一の鳥居」を模したとの説が有力だ。愛宕山は江戸時代まで神仏習合の修験道の聖地であり、その名残で鳥居が灯されるのである。
ちなみに、送り火でもっとも有名な「大文字」の由来な何なのか。仏教では、万物を構成する四つの元素「地・水・火・風」を四大と読んでおり、そこから「大」の字が取られたとする説が有力である。
実は送り火を終えた後も、京都のお盆は続く。
各町内では「地蔵盆」という不思議な行事が実施されるのだ。わが町内では毎年18日に実施される。
京都にはお地蔵さんがたくさんある。辻々に、小さな祠に入れられて祀られている。その数は1万以上に及ぶという。室町期、京都では地蔵信仰が広まった。その結果、かなりの数の地蔵がつくられ、それが受け継がれているのだ。
地蔵菩薩は子供を守る仏様としても知られており、地蔵盆の主役は子供である。
各町内会でお地蔵さんを囲み、「南無阿弥陀仏」の念仏に合わせた数珠回しをやる。また、福引、スイカ割りなどのゲームなどが催されるのである。京都の子供にとっては、夏に実施されるクリスマスやハロウィンのような感じだ。
私は団塊ジュニア世代だ。当時、うちの町内の地蔵盆は子供で溢れかえっていた。しかし、近年、子供の姿は完全に消えた。参加者は高齢者が中心だ。
このように、少子高齢化によって地蔵盆の開催が危ぶまれている町内会もある。だが、市内で地蔵盆を実施する町内会はいまだに8割に及ぶという。
地域住民と子供たちが時間と空間を共有する機会は、この時代において実に貴重だ。仏教を通じた情操教育の場にもなり、世代を超えた地域社会の紐帯となりえるのが地蔵盆なのである。
こうした、信仰の集まりは、「講」とも呼ばれる。講が根付いている大都市は、ここ京都くらいなものである。地蔵盆は生きた人間がつながる場だけではない。
先に述べた送り火もまた然りであるが、共通するのは、「先人とのつながり」を確認できる場であるということだ。つまり、伝統的な仏事を通じて「過去との対話」ができるのだ。
とくに昨今は「個の社会化」が進む。今後、お盆の時期になっても、故郷に戻らない人も増えていきそうだ。
時代はSNSやスマートフォン全盛である。インターネットを経由した通話料無料のテレビ電話もある。今では世界中のどこにいようと、生きた人同士のつながりを保つことはさほど難しいことではない。長い渋滞や乗車率100%以上の新幹線に乗って故郷に戻るということも、ひょっとして少なくなっていくかもしれない。
しかし、「過去」とのつながりはネットでは無理だ。常に心に思い描くことで、いつどこでも亡き人との対話をしているという方もいるかもしれないが、このお盆に、墓詣りや盆行事などを通じて死者との対話ができるのは有難いことだ。
すでに、ネットで墓詣りするサービスも出てきているという。しかし、デジタルメディアを通じたあの世との交信に違和感を抱くのは私の頭が古いせいだろうか。
そろそろ、新幹線や高速道路は帰省ラッシュの混雑予想がテレビなどで報じられ始めている。しかし、私はこう思う。帰省ラッシュは、言い換えれば墓参りラッシュである。うんざりする人も多いだろうが、自分につながるご先祖さまに想いを馳せるよき機会のため、と温かい心を持って故郷に向かっていただきたい。
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