開発は、韓国時代からの慎の懐刀である朴が仕切った。1カ月半で完成させるという慎の無茶な要求に、「開発が理由で遅れるようなことはさせません」と満額回答で臨んだ。
落ち着き払った朴は新たに韓国から呼び寄せたエンジニアを含む約15人の開発チームを束ね、土日もなくシャワーを浴びにだけ帰宅する日々をメンバーとともに送った。
かくして2011年6月23日、当時はまだメッセージ機能だけだったが、スマートフォン向けアプリ「LINE」が配信されるのである。
配信から約2カ月後の8月、LINEのダウンロード数は公開後2カ月で50万件を突破。翌9月には中東地域でのダウンロード数が勝手に伸び始め、100万件を突破。10月に、無料通話機能と感情をイラストで伝える「スタンプ」機能を追加すると、台湾など東アジア地域でも急成長し始め、ダウンロード数は300万件を突破した。
その後もLINEは、国内のどの企業も経験したことのない、前代未聞のスピードで日本とアジアを席巻していったのは周知の通りである。
「誰でもいいから、決めてやれ」
結果として、どんぴしゃりのタイミングで投入されたLINE。絶妙な判断を下した慎は、当時をこう振り返る。
「サッカーで例えると、90分間、頑張って、これで終わりかなという段階で、ディフェンダーでも、ゴールキーパーでも、誰でもいいから、決めてやれ、という瞬間でした。1度しかない、一瞬のチャンスを見逃してはいけないという意識が、みんなにあった。2~3年の辛い時期を、みんなでともにしたからこそ、1つになれたのだと思います」
(「LINE誕生の起点、慎ジュンホ」編はこれで終わり)
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