ゲーム、画像、コミュニケーション。この3つは、パソコン、フィーチャーフォン、いつの時代も新たなプレイヤーが勃興するチャンスを与えてきた。スマートフォン時代にも同じことが起こると慎は踏んでいた。

 このうち、スマートフォンに特化したゲーム事業は、NHNジャパンが手掛けることにした。NHNジャパンの「ハンゲーム」事業は、パソコン向けでは好調だったものの、携帯電話向けゲームサイトで勃興した「GREE」や「モバゲー」に押され、テコ入れが必要だったからだ。

 一方、ネイバージャパンには、画像とコミュニケーション関連の新規サービスを模索するチームが立ち上がる。2010年の年末が近づくと、スマートフォンで写真を共有する「アルバム」アプリや、「名刺」を起点としたSNS(交流サイト)など、さまざまなアイデアが現場から上がった。同時に浮上したのが、LINEの原型となるアイデアだ。

 「米スタンフォード大学の論文をみんなで読んだりして、人間関係をベースにしたアクションを徹底的にリサーチした結果、『親しい人同士のコミュニケーション』に活路があるのではないか、という提案をしました。ツイッターやフェイスブックを使ってはいても、毎日会う友達とは絡まないよねと」

 こう振り返るのは、チームのメンバーだった稲垣あゆみ。時期は重なっていないが、舛田がいたバイドゥ(百度)日本法人から2010年5月にネイバージャパン入りしたメンバーで、今ではLINE本体や店舗向けアカウント「LINE@」の企画・開発を担う最年少の執行役員である。

「もしダメだったら、責任をとろう」

 親しい人とのコミュニケーションをテーマとした「メッセージアプリ」は、ありなのではないか。2011年の年明けから、稲垣の提案をベースにLINEの骨格が作られていった。

 世界を見渡せば「WhatsApp(ワッツアップ)」や「カカオトーク」といったメッセージアプリが勃興しているが、その波はまだ日本には届いていない。そろそろ開発に着手しようか。そんな矢先の2011年3月、東日本大震災が起きる。

 電話はつながりにくくなり、福島の原子力発電所の事故で先行きが不透明となり、外資系企業の多くは業務機能を東京から大阪などへ移した。ネイバージャパンも一部業務を福岡へと移し、業務連絡はツイッターなどを通じてやり取りしていた。

 実は、メッセージアプリの開発については、ネイバージャパン社内で賛否があったのだが、この震災を経て、慎と舛田が振り切るのである。

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