
2010年秋、慎を中心とするネイバージャパンの主要メンバーは、途方に暮れていた。
韓国で7割以上のシェアを誇る「NAVER検索」を日本でリリースするも、マイナーなサービスとして埋もれたままだった。ライブドアを買収するという奇策に走るが、それも不発に終わる。
ホームランを狙い何度も打席に立つが、打てども打てども空振り。よくてヒット。先行投資がかさみ、メンバーの精神は限界に達していた。誰よりも責任を痛感していたのが、慎だった。
当時、ネイバージャパンは、ゲーム事業を手がけるNHNジャパンの子会社で、韓国ネイバー(当時はNHN)からすれば孫会社。NHNジャパンの社長だった森川亮がネイバージャパンの社長も兼任していたが、事業開発や現場のオペレーションは、ほぼ慎に委ねられていた。
「自主独立」「カルチャライゼーション」の経営方針のもと、韓国本社からは一線を画した経営を貫き、独自のサービスを矢継ぎ早に打ち出すも、結果を出すことができない。
慎はネイバー創業者の李(イ)ヘジンから絶大な信頼を得ていたが、慎は「必ずしも韓国本社の全員が自分のやり方に賛同していたわけではない」と感じていた。何より、慎が来日して以降、ライブドアの買収も含めて100億円以上は費やしていることへの引け目があった。
「ゲーム、画像、コミュニケーション」に特化
次に実績で「証明」できなければ、退場せざるを得ない。追い込まれていた慎は、連日連夜、主要メンバーと議論を重ねる。
慎と森川に加え、企画・戦略・マーケティング全般を見ていた舛田。「NAVERまとめ」の立ち上げなど現場リーダーを務めていた古参の島村武志。慎が韓国から一緒に連れてきた「技術の要」の朴イビン……。
達した結論は、「日本中のユーザーが使ってくれるようなスマートフォン向けのサービスにすべてを懸ける」というものだった。
もはや、「検索事業」にこだわっている場合ではない。「圧倒的な集客力」があるサービスを作らなければ、この数年の「暗黒時代」を正当化することはできない。
ちょうど前年の2009年秋に日本でも初めて「iPhone」が発売され、スマートフォンの波が訪れつつあった。今から挑戦して圧倒的なユーザー規模を得られる可能性があるのは、これしかない。メンバー全員の意志が一致した2010年10月、慎はある指針を打ち出す。
「ゲーム、画像、コミュニケーション。これに特化しましょう」
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