よく知られているように舛田は、LINEの誕生からこれまで八面六臂の活躍を見せている。「ビジョナリスト」、あるいは戦略家として、どこへ向かうべきかのビジョンを掲げ、そこへの戦略を描き、さらに具現化のため事業の立ち上げや推進までもをこなす。

 そんな舛田がネイバージャパンに入社したのは、慎が来日した5カ月後の2008年10月のことだった。

 中国の検索大手、バイドゥ(百度)の日本法人で取締役を務めていた舛田はもともと、中国式の検索サービスを日本市場で展開しようと画策していた。しかしネイバー同様、苦慮する。

 「ローカライズの方針について総論賛成・各論反対の状態が続いた」と舛田。判断の速度は遅く、市場に合わせたサービスも出すことができず、サービスは目立った成長を見せられずにいた。日本進出時からの念願だった日本人社長の就任が決まったタイミングの2008年6月、舛田は一つの区切りとして退任を決める。

 「疲れきっていた」と語る舛田は、次に何をやるかを決めずに関係各所へ「退職の挨拶」のメールを送る。その1通が、舛田がネイバージャパンに入るきっかけとなる。

社内の反発を抑えた慎の策

 ネイバージャパン社長の森川とは、同じ日本を目指す外資系検索サービス同士として、旧知の仲。森川に送ったメールの返信は「お疲れ様会をやりましょう」というものだった。

 「日本市場で成功するには、ちゃんと日本に合わせるローカライズと、本社の責任あるエース級の人間がアサインされていないと難しいですよね」。そう経験を語る舛田に、「そういった本社からの人間はいますが、まだ戦略を担う人材がいないんですよね」と返す森川。「もう一度、やってみませんか?とりあえず、会ってみてほしい人間がいるんです」。森川が引き合わせたのが、慎である。

 日本語を習いたての慎と2人、ネイバージャパンの会議室。片言の英語と日本語で何とか話し始めるが、お互い検索事業に携わっていたため、共通言語は多い。「グーグルやヤフーに勝つには、それらと違うことをやらないと」「ローカライズは重要」「パーツはこれが必要」……。

 意気投合した2人は、ホワイトボードに書きなぐりながら盛り上がり、2時間があっという間に過ぎた。舛田の慎に対する印象は、「すごい人だ。検索自体のことも、普通にやったらグーグルに勝てないことも、ローカライズの重要性もよく分かっている」。

 慎に惚れ、バイドゥで果たせなかったことをネイバージャパンで実現したいと考えた舛田は、森川に「戦えると思います。もう1回、やってみたい」とメールした。

 だが、事はそう上手く運ばない。

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