「韓国で今まで経験したこと、常識としていたこと、成功体験は全部頭から消して行きなさい」。慎は李から、そうも言われていた。

 カルチャライゼーションを念頭に置きながらも、一方で自分たちは、安易に韓国での成功モデルを持ち込もうとしているのではないか。そのことに気づいたからこそ、慎は中途半端なサービスを捨てるという決断に至ったのである。

 8年前に下した慎の判断は、長い目で見れば「英断」と言える。なぜなら、ネイバージャパンは韓国本社のやり方や命に従う単なる日本法人ではない、ということを、ネイバージャパンのメンバーに示したからだ。

 韓国での成功体験は持ち込まず、日本法人は独自に日本のやり方で事業を進めるべき――。ネイバージャパンに吹き始めたこの「自主独立」の風が、後に、スマートフォン向けメッセージアプリという日本独自のプロダクトを呼び込むことになる。

内向きな日本人の文化にフィットしたLINE

 カルチャライゼーションの思想も、LINEのヒットにつながっている。

 フェイスブックは今でこそ日本で普及しているが、LINEが登場した2011年当時は、「会社の上司や同僚、過去の同級生ともつながってしまうSNS(交流サイト)は日本人に馴染まない」とされ、普及度で欧米と大きな差があった。

 そこに登場したLINEの売りは「親しい知人・友人とつながる」こと。携帯電話の文化が発達し、かつ、オープンなコミュニケーションを苦手とする日本人の文化にフィットし、急速に普及した。

 ネイバーが韓国の流儀を押し付けることはせず、日本のメンバーがカルチャライゼーションを徹底したからこそのヒットと言える。そのヒットを生んだ土壌を築いたのは、慎に他ならない。

 もう1つ、黎明期の慎の功績をあげるとすれば、舛田という、LINEの誕生と成長に欠かせない人物をネイバージャパンに呼び込んだことだろう。(続く、次回は14日に掲載します)