JR中央線三鷹駅北口の交番横。小さなベンチが設置されている場所は、普段はバスの降車場所として、人々が足早に通り過ぎていく。
そこが騒然としたのは、11月中旬の昼下がりのことだった。野良着をまとい、太鼓や笛を手にした14人の男たちが目配せをしながら、その瞬間を迎えようとしていた。周囲のほとんどの人はまだ、これから何が起きるのか予期していなかった。
駅前の乱痴気騒ぎ

午後1時、突然、太鼓が打ち鳴らされる。のっけからアップテンポの曲で始まり、笛や鐘、そしてエレキ三味線が重なっていく。
その音に、道ゆく人々が足を止め、集まってくる。最初は彼らを取り巻く二重の人の輪が、次々と膨らんでいく。当初は余裕の表情で見ていた警官が、慌てて人の流れを整理し始める。
「耕し」と名付けられた曲は、演奏する「切腹ピストルズ」のオリジナル曲。ビルで埋め尽くされた東京を、一度、すべて耕すように壊そうと歌う。
2曲目の「名乗り上げ口上」は、曲名の通り、バンドが何者かを紹介する。リーダーの飯田裕之が鐘を鳴らしながら、「やあやあ、我らこそが、絶滅したと言われているニホンオオカミの残党」と名乗りを上げる。そして全員でこう叫ぶ。
「野生の叫び! 破壊の破壊! 徹底的な祭りを奏でる!」。再び太鼓がうなりを上げる。阿波踊りのリズムを基本に置いた曲に、集まった「客」が、太鼓に合わせて揺れ始める。ビルの2階のカフェから、人が乗り出すように観て、拍手と歓声を上げる。
その後、英国パンクロックの名曲のカバー、そして野球拳で知られる長唄「元禄花見踊」と続いていく。バスを降りた人が目の前で展開されている「非日常」の祭り騒ぎに眼をむき、そして輪に加わっていく。高齢の女性たちが、群衆をかき分けるように入っていく。交番前まで溢れかえった人に、いつしか警官も通常の交通整理をあきらめた。車道に溢れ出る人を、バスと接触しないように守る対応に切り替えていた。
ラストは民謡「八木節」をもじった「自棄節」。テンポをあげた高速の「八木節」にボルテージは最高潮に達する。そして、40分のゲリラライブが終了した。
目を真っ赤に腫らした70代の女性が、カネを握りしめてさまよっていた。「ふるさとの新潟の太鼓を思い出した」。そう言って、おひねりをどう渡せばいいのか、思案していた。「投げ銭」の箱を用意することもある。だが、飯田はカネを取ることをすっかり忘れていた。

「そうですか。おばあさんには申し訳ないが、今日は(投げ銭箱を)思いつきませんでした」
決まったカネ(入場料)を取るのは、人を巻き込むことを狙った飯田の発想とは、そもそも合わないという。
「最近の芸能は決まった場所でやる。だから、入場料が決まっている。我々はいきなり演奏し、しかも練り歩くことも多いので、入場料と無縁なんですね。まあ、おひねりや投げ銭をいただくことはありますが」
半年前、彼らに最初に会った時もそうだった。千葉県市原市の芸術祭「いちはらアート×ミックス」に招待されると、工業地帯の河口から養老川を上りながら演奏し、10日間かけて源流まで登っていた。山間部の集落に、いきなり太鼓と笛が遠くから聞こえてくる。子供が飛び出し、老人も何事かと集まってくる。そこで止まって演奏して、その代わりに食べ物をもらう。

「切腹の人たちにとっては、一番それがうれしい。おカネなんかより。音をあげる代わりに食べ物をもらう。非常に原始的な経済のやりとりがある」
切腹ピストルズと飯田を10年前から見てきた美術評論家の福住廉は、そう見ている。
場の空気を動かし、人を吸い込み、そして相互関係の中で音を奏でていく。飯田は集まった人々を見ながら、その反応で曲順や歌詞まで変えていく。「場と一体になった時、乱痴気騒ぎになる」
「四国八十八箇所巡り」を演奏しながら回っていたときのこと。道を曲がると、寺の前で立ち尽くしていた中国人観光客数十人がいた。太鼓の音が近づいてくることに気付き、足を止めていたのだ。すると、切腹ピストルズは中国人たちの前で止まり、演奏していた曲の締めを決めた。そして、再び演奏を始めて歩き出す。背後では、中国人から拍手喝采が湧き上がった。
表層のパンク
現在、全国に散った20人ほどの「隊員」は、普段はそれぞれの仕事で生計を立てている。だが、芸術祭やイベントに呼ばれると、集まって演奏する。飯田も普段は栃木県に住み、グラフィックデザインを手がけながら、農業にも精を出す。
元は、中央線沿線を中心に活動していたパンクバンドだった。飯田は1980年代、高校生の頃からパンクロックに取り憑かれてきた。
「日本なんて、なくなればいい。若い頃はそう思っていました」
だが、パンク全盛期を築いた伝説のバンド「セックス・ピストルズ」を生んだ英ロンドンで生活すると、その音楽の原点に打ちのめされた。自らのパフォーマンスを「薄っぺらい表層だった」と振り返る。そして、日本の音楽と文化に立ち戻り、深くその原点を掘り起こしていくことになる。
日本がなくなればいい——。それは自身のルーツへの嫌悪と憧憬が入り混じった表現でもあった。
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