1951年に生を受け、蒲田の長屋で母と姉、弟の4人で生活した。父親は2歳の時に他界していたため、父との記憶は残っていない。だが、貧しくとも充足感がある毎日だった。それは、寄り添って暮らす人々の喧噪が街に溢れていたからだ。日雇い労働者だった母親は、その働きぶりが認められ、区立小学校の給食室に雇われた。公務員の職を得たことで、秋葉と弟は大学まで進学することができた。

 そして経済成長が、社会全体に金銭面での「豊かさ」をもたらしていった。その一方で、失っていったものもある。つながり、支え合って生きていた地域が、その風景を少しずつ変えていった。

 秋葉が小さかった頃、蒲田には、空襲で焼け落ちた工場の跡地など、子供の遊び場になる原っぱがあちこちにあった。

 ある原っぱに暮らす男性がいた。戦場から戻ったが住む家も身よりもなく、空き地に勝手に畑と肥溜めを作り、住み着いていた。子供たちは「バックおじさん」と呼んで親しんでいた。それは、近くに空港があり、飛行機が近づくと、その音に大げさに反応して振り向くからだった。戦場で死の淵を彷徨った時の習性なのだろうか。近所の人々は、バックおじさんに食料を分け、ともに戦後を生きていた。

 だが、ある日、その姿が消えた。ほどなくして、原っぱにブルドーザーが入り、巨大なマンションが次々と建っていった。

「世間苦」という宿命

 街の風景は大きく変わっていった。草野球に使っていた巨大な原っぱにも、体育館が建てられてしまった。蒲田駅にはコンクリートの駅ビルが完成し、第一京浜や環八通りといった幹線道路が整備されていく。

 それでも、一本裏の道へ入っていけば、そこにはかつての猥雑な人々の生活が広がっている。

 「この蒲田の濃密な雰囲気が好きなんですよ。だから、ここに戻って住職をやりたかった」

 時代は変わり、人々の関わり方は薄まっているようにも見える。だが、本質は変わらないはずだという。人とまったく関わらずに生きていくことはできない。そこには、必ず、「世間苦」がある。秋葉も、それに苦しみ抜き、逃れようとしてきた。企業社会から抜け出し、仏教の世界に入った。だが、大寺院をはじめとした仏教界も、タテ社会が厳しいことに変わりはなかった。そこから抜けて、一人で住職をしても、親戚や知人、信者との付き合いが消えることはない。

 「今の若い人も同じです。LINEのグループに入っていたら苦しいけど、そこから抜けたら不安に悩む」

 いつの時代も、人は人間関係にもがき苦しみ、世を憂いながら生きていく。支え合い、関係し合いながら。そこに、「因果」は存在する。それが、人間社会の宿命であり、醍醐味なのだと。

 秋葉には、僧侶になって強い印象に残っていることがある。

 6年前のこと。東洋ガラスで一緒に働いた43歳の部下が亡くなり、その葬儀を頼まれた。かつての同僚や会社幹部が詰めかける中で、経を唱えた。若くして亡くなった同僚に胸が痛む。その思いは集まった人々が強く共有している。そこで経を上げる運命が巡ってきたことで、僧侶になった意味を噛みしめた。

 強い情と、無常の中に生きている。かつて、地域の住職とは、そういう存在だったのかもしれない。人々が集まり、その息づかいを聞き、人生を間近で見ながら、節目の儀式を取り仕切る。

「街の宗教家」の矜持

 蒲田の街角に日が落ちる頃、秋葉は近所に散歩にでる。その姿を見た隣の平山とめ(89歳)が、相好を崩しながら近寄ってきた。そして、延々と続く世間話が始まる。

隣に住む平山とめさんと、路上で話し込む
隣に住む平山とめさんと、路上で話し込む

 彼女の主人が緊急入院したのは3年前の冬のことだった。3日後に息を引き取ると、平山は夫の亡骸を自宅に戻し、最後の晩を過ごした。そして、隣の戸を叩いて、葬儀を秋葉に頼んだ。平山にとっては、それが自然のことだった。

 「だって、毎日、話をしているんだから」

 生まれ育った蒲田の一角に住み、濃い人間関係の中で、秋葉は寄り添うように僧侶を務めている。そして、いにしえの宗教家に思いを馳せる。

 時折、良寛の五合庵について語ることがある。1日に五合のコメがもらえれば、ほかには何もいらない。良寛は出生地の新潟に小さな建物を与えられ、そこで独り身で過ごした。子供たちと日が落ちるまで戯れながら。

 「それに比べれば、ここは広いし、私はまだ欲が深い」

 そう笑う秋葉は、近所を歩いていても、自ら宗教の話は持ち出さない。近所から「法事に出るのだが、どうしたらいいのか」といった相談をされると、短く助言する。ひっそりと地域に暮らし、自然に交わりながら、時に相談に乗り、時に僧侶としての役割を果たす。そして、最後にこの言葉を口にした。

 「感応道交」

 人々と交わり、延々と話をするが、答えはない。それでも、どこか根底で思いが重なり合っていく。そんな仏教が説く世界は、現代社会にこそ有用なのではないか。東京・蒲田の片隅の4畳半で、今日も問いと模索の日々が続いている。

自宅兼寺の前にて
自宅兼寺の前にて