東京・蒲田の住宅街の片隅に、何の変哲もない小さな家がたち並ぶ。そこに、わずか11坪の小さな寺がある。住職の秋葉光寂(65歳)は、44歳にして比叡山に入り修行を始め、50歳を過ぎて住職になった。自宅の寺で、悩みを抱える人を迎え、話を聞き、時には経をあげる。働く人に寄り添っていきたい――。その思いの根底には、自らが大企業の幹部だった時代の不安と苦悩がある。出世街道を駆け上がるほど、心は行き場を失っていった。

 京急蒲田駅から徒歩10分、大通りから細い道に折れると、狭い家屋が所狭しとひしめく住宅街に迷い込む。さらに狭い路地を入っていくと、その寺はあった。

 十如寺。

東京・蒲田の住宅街にある十如寺と秋葉光寂住職

 手を広げたぐらいの幅しかない、11坪の小さな一軒家に、寺の表札がかかっていた。その2階で住職の秋葉光寂が経を読む。その声が、お香の煙とともに窓から漏れ、隣近所に漂っていく。

答えを言わない

 「自宅を寺にしている住職はいるが、あそこまで狭いのは見たことがない」

 天台宗の叡山学院(滋賀県大津市)で秋葉とともに学んだ龍禅寺副住職の櫻井宣明は、初めて寺を案内されて、そう唸った。それから14年間、十如寺はなんら変わることなく、存在し続けている。寺を訪ねてきた人は、1階の4畳半の和室で、ちゃぶ台をはさんで秋葉と話し込む。

 末期ガンが発見されて医者に見放された人、離婚して人生を思い悩む人…。

 「何か問題がなければ、人は宗教に走りません」

 そう言う秋葉は、相手の話を聞き続ける。そして、会話がひと区切りつくと、茶をすすり、今度は自分が話をする。仏教の教えについて、また時には世間話を口にする。

 解決策を言うことはない。人が悩み抜いている問題など、そもそも簡単に解が見つかるはずもない。秋葉は、小さな和室で、ただ延々と話を聞く。

 秋葉は問う。では、立派な大寺院ならば、問題をすぐに解決できるのか。大きな寺になるほど、仏像を拝むだけの場所になっていないか。そもそも、悩みを聞いてくれる人すら見当たらない。

 それならば、街の中に佇み、人々の傍に寄り添うべきではないか。

 「みんな、少なからず問題を抱えて生きている。たとえ肩書きが立派な人でも」

 秋葉は知っている。「偉い人」ほど世間体を気にして、周囲に相談することができず、不安を膨らませながら生きている。成功しているように見える人こそ、心が危険な深みにはまってしまう。

 そこで、世間の雑踏に埋もれたこの小さな寺を訪れ、密かに打ち明ける。静かに聞いていた秋葉は、こう提案することもある。

 「お経をあげてみてはどうでしょうか」

 俗と聖の間を往復する――。秋葉はそう表現する。普段と違う空間が広がり、俗世間の迷いをその中に解き放つ。

働いている人に寄り添う

 ある人は、20歳になる子供が自殺し、葬儀を前に狂乱状態に陥っていた。親戚や知人に責められるに違いない。なぜ、子供の異変に気づかなかったのか、と。

 秋葉は、「釈迦の教えに自殺を咎める言葉はない」と諭す。

 「本人が楽になったのですから、一緒に冥福を祈りましょう」

 その後、親は立ち直って、さらに財を築いた。新たに豪邸が建った時には呼ばれたが、それを最後にぱったり連絡はこなくなった。秋葉はそれでいいという。宗教としての役割は果たし終えた、と。

 秋葉の信者は、今年になって4人増え、40人を数える。一堂に会することはなく、それぞれが電話をかけてから、この小さな寺を訪れる。そして、4畳半の和室で話をして帰っていく。

 信者に少なからぬ現役の企業人がいる。ある経営者は業績が好調だが、判断に迷うと秋葉の元を訪れる。様々な課題を打ち明けるが、秋葉はただ聞き、そして自身の話をポツリポツリと語る。当初、経営者はしびれを切らしたこともあった。

 「苦しんでいる人は、答えを言ってほしい。どうすればいいのか、指し示してくれれば楽になる」

 事実、この経営者は様々なコンサルタントと話し、ほかの宗教家にも会ってきた。みな、それなりの「解」をくれる。だが、「これで助かった」と思って職場に帰ってみると、それが解決策にならない現実に引き戻される。結局、最後の判断は、自分で悩み抜いた末に探し出さなければならない。

 秋葉は、経営の「原点」に立ち戻らせてくれるという。話しているうちに、「自分はこのままでいいのか」と心がざわついてくる。

 ある時、寺を訪れると、秋葉が頭を抱えていた。「まだ、僧侶としてなっていない」と悩んでいる。聞けば、台所に出てきたネズミを、反射的に追い払おうとしたという。だが、昔の名僧はネズミを招き、ともに戯れたとある。

 「無分別、そういう境地に達しなければならない」。敵も味方もない。すべてをありのままにとらえ、分け隔てをしない。その状態を「空」ともいう。秋葉は仏教を学び続けながら、そうした「理想界」を追い求めている。

 経営者は、秋葉の目指す「無分別」という世界を思い描く。そして、自分が行き着く先の「理想の経営」についても考えさせられる。本当に、今のままの組織や経営でいいのか。目指すものを再確認していくと、やがて問題の解が浮かび上がってくる。

 それは、秋葉の住職としての特異な力を物語っている。秋葉はこの小さな寺を開くとき、1つの理念を持っていた。同僚だった櫻井は、その言葉が今も脳裏に焼き付いている。

「働いている人に寄り添っていきたい」

 そう考える根底には、彼が住職になる以前の経歴がある。1990年代、大企業に勤務していた秋葉は、出世街道のまっただ中にいた。だが、昇進するほどに行き詰まりを感じ、運命は思わぬ方向に転回していく。

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