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檸檬といえば、米津…じゃなくて梶井基次郎にさだまさし

 初めてさだまさしの歌の聖地巡りをしたときのことを話すS氏。

 「聖橋で景色を眺めて、それから湯島聖堂まで歩いて行った。湯島聖堂も歌詞に出て来るから」

 湯島天神でなくて湯島聖堂、初めて聞いた史跡だ!

 「それで、今は湯島聖堂まで行くことはあまりないけど、聖橋のそばには丸善もあるから、そこには必ず寄ります」

 丸善? そうか、御茶ノ水駅に平行して建っている書店が丸善か! 
 ……と、話す度にいちいち激しく反応するイトウを笑顔で見つめ、相づちを打ちながら、S氏は続けた。

 「さだまさしは梶井基次郎の小説の『檸檬』にインスパイアされて、『檸檬』を作曲している。で、梶井基次郎の『檸檬』には京都の丸善本店が出て来るんです。さだまさしが『檸檬』の歌の舞台に御茶ノ水の聖橋を選んだのは、丸善があったことも関係しているのかな、って思うと嬉しくなる」

 梶井基次郎の「檸檬」のあらすじは、貧乏のどん底にいる主人公が、僅かな銭で得られる華やぎを求めて買ったレモンで気持ちを高めるのだが、その後、かつて好んで通っていた丸善に入店するも、疲れが出たのか、ロウなテンションになってしまう。そのとき、思いつくままに本棚にあった自分のお気に入りの本を積み重ねて、てっぺんにレモンを置くと気分も復活。そして、もしもレモンが爆弾だったら、店を出た後で爆発したら面白いな、と妄想しながら、本の山とレモンをそのままにして、丸善を後にするお話だった……と記憶している。

 しかし正直言うと、作者がこのお話で言いたい事がさっぱり分からなかった。そもそもあの時代の作家は日常を必要以上に暗く、複雑に考えて、もったいぶって表現するからあんまり好きではない。

 つまり、ただレモンを本屋に置いてくるだけの話ですよね、と返したイトウに、S氏は楽しくてたまらない様子で言った。

 「そう、主人公は想像してるだけ。もしもレモンが爆弾だったら面白い、って思いながらレモンを置いて丸善を出て行く話」

 いたずらを企む少年みたいにS氏は瞳をキラキラさせている。その表情を見て、私は閃いた! そうか、「檸檬」の魅力は、小さな悪ふざけを、このくらいのことならやってみようかと読み手に思わせる臨場感だったのだ。

 そして、日常の中から切り取られた非日常的な情景を容易に想像させるのがレモンの色。ダルな景色と気分の中で、レモンが目映く煌めいている。

 さだまさしの「檸檬」の歌詞も同じ構図で、どんより鈍い色調の神田川の水面と、上に架かる聖橋から投げるレモンの鮮やかな色の対比がありありと目に浮かんでくる。

 S氏の復活の呪文は、レモンと丸善、さだまさしと聖橋の合わせ技であったのだな。

 「そこの丸善がすごいのは、神保町でも見つからないようないい資料が出て来る。だから、御茶ノ水まで足を伸ばすのは安いCDのためだけじゃなくて、本来の目的にも適っているんです」

 というのは自分への言い訳かもしれませんが、と笑うS氏に、質問。

 「Dィスクユニオンで買うのは、さだまさしのCDですか?」

 するとS氏は肩をすくめた。

「いや、それが、あんなに好きだったのに……さだまさしは買わない。東京に来てからは色んな音楽に出会って、さだまさしは聴かなくなりました。ブルースや洋楽ばかり」
 遠い目をするS氏。そして自分は再び、梶井基次郎の「檸檬」ついて考えていた。

 つまり、レモンは暗黒世界から外へ出るまでの誘導灯。レモンを手がかりに一歩を踏み出せて、出口が遠くに見えてきたときに、レモンよりも明るい世界があると気づくまでの人の心の動きを書いたお話が、「檸檬」なのだ。

 そして、S氏にとってのレモンがさだまさし。さだまさしの歌を胸に、鬱積するいろんなものを聖橋で振り払い、笑顔を取り戻してこられたのだろう。

 「大学の頃は渋谷や表参道の中古レコード屋に通って、カットアウト版で500円くらいのLPを買ってた。その頃持ってた曲を、今はCDで集め直して聴いてます。昔も今も、やってることは同じ曲の中古レコード漁り。全然変わってないんですね、ボクは」

 屈託なく笑うS氏の瞳は明るく輝いていて、そういえば最近の私は眉間にシワを寄せてばかりだったことに気づいて、思いっきり口角を上げて笑ってみたのでした。