真摯なお店は人のこころを救う
「私は『仕事=自分』なんです。商品企画の仕事に関わるもので嫌なことはないし、仕事には自分の全てを出し切ってる」
仕事を語る度に瞳をキラキラさせるMさんが、少し眉をひそめた。
「だから、『仕事を否定=人格否定』になる。上司に自分を認めてもらえなくて嫌になっちゃうなーって思ってたあの頃は、銀座Wエストで束の間、細やかな真心に触れて、助けられてた」
細やかな、真心? はてなマークを点滅させる己に、銀座Wエストには非日常があるのだ、とMさんは言う。
「何と言うのか、皇室感!? 礼儀正しく奥ゆかしい乙女たちと、折り目正しい昭和な雰囲気の残る店内、俗世間とも平成の世とも違う空気が、あの店にはある。それで、私が好きなのは奥まったところの個室みたいに仕切られた部屋。特に、花の生けてある横の席に座るのがお気に入り。疲れているときは豊かな有機物に触れていたいし、この席は抜けがよくて、お店全体が見渡せる」
「あの花の席は、いいですよねえ」
思い出した。銀座Wエストでひとりお茶をしたことがある自分も、花の横の席を選んで座ったのだった。美しく生けられた花のお陰で優雅な気分に浸れたし、殊に奥の間はこぢんまりとしていて、ひとりで行っても疎外感はなく、かといって、隣のテーブルの声が気になる事もない絶妙なバランスでテーブルが配置されていたのが印象に残っていた。そんなことを話すとMさんは嬉しそうに頷き、話を続けた。
「そうなんです。店も接客も、全てが素晴らしい。こちらの目の届かないようなところにも気配りのある立派な店で……。これは本で知ったんですけど、Wエストの社是は『真摯』。まさに真摯そのものなんですよ、あの店、あの乙女たちの接客は。これを読んだときは、泣きそうになりました」
確かに銀座Wエストの接客は一流ですが……。泣きそうになったとはちと大袈裟ではないかと思いつつ、インタビューを終えた。
その後も、この時のMさんの潤んだような熱っぽい瞳の輝きが忘れられず、帰りの地下鉄の車中、つり革に掴まり、ぼんやり暗い窓を見つめていたときに、思い出したのです。
「Mさんの言う通りだ。打ちのめされた心に真摯な応対は本当にありがたい。そういや自分も救われてた!」
あれは5年前、立ちそば店に潜入して思ったことを好き放題に書きまくるNBO の連載企画、「ワンコイン・ブルース」の取材のために、担当編集者Y氏と待ち合わせをしていた日のこと。待てど暮らせどY氏は来ず、しまいにはアポのすっぽかしを知って、思いっきり凹んでいたのだった。(詳しくは「担当すっぽかし。傷心で手繰る絶品『きざみ鴨せいろ』」をどうぞ)
「きっとYさんは、もっと重要な他のアポを優先したんだ。所詮私は、軽んじられた人間なのよ……」
Y氏のエクスキューズを言葉通りには受け取れず、どんよりした気分で潜入予定の立ちそば店、「M庵」に入る。
猛烈にお腹が空いていた。幻を見そうなほどに腹ペコだったために、提供が早いはずの立ちそば店であっても、注文から出てくるまでの時間がもどかしく感じられた。そうして遂に現れた「きざみ鴨せいろ」、その値段からは考えられない旨さ、クオリティーで、驚いた。北海道産のそば粉を使用し店内で包丁で切り、茹でたてで供される二八のおそばは角がピンと立って風味も喉越しもよく、殊更、鴨の旨みが溶け込んだ汁に合っていた。啜るたびにそばと汁の香りが鼻腔を充溢し、お腹も気持ちも満たされていった。
凹んだり落ち込んだりするきっかけはいろいろだけど、「他人から軽んじられる」ことは大きな理由のひとつだ。傷付いた心が、お店の丁寧な接客、料理の味に救われるのは、「私たちはあなたを大切に思っていますよ」という店側の気持ちを、おそらく普段よりも敏感に感じ取るからだろう。
そして癒やされた己の心は、優しいけれど媚びない味やサービスの背骨にある、お店が持っているプライドを感じ取って、小さな自分を見つめ直して復活していく、のかもしれない。
午後2時過ぎ、ピークタイムを過ぎた店内はのんびりとした雰囲気で、小料理屋のような落ち着いた佇まい。おかげで厨房の、寡黙で仕事の確かな店主の作る美味しいおそばを、急かされることなくじっくり味わえた。
客の中にはこの近所で働いている常連とおぼしき女性がいて、昼間からパチンコに行っている旦那のことなどを明るく、淡々と店主に話していた。黙って聞いている店主。耳を澄ませている自分。他人の日常に触れて、センチメンタルな心が、少しずつ癒えてくる。その時お店には、何人をも温かく受け止める、心地よい空気が流れていたのだった。
「確かに追い詰められた心は、正直さ、真面目さ、温かさに救われる。そして、はっきりと言えるのは、銀座Wエストが、客に、商売に真摯なお店だということ!」
そのとき暗い窓に映った自分が、Mさんと似た、訴えるような眼差しをしていたのに、思わず吹き出したのでした。
(1stシーズンはこれにて終了、再開をどうぞお楽しみに!)
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