僕の結論はシンプルだった。

 「わかった。日本に帰る手はずを整えるから、日本に帰るんだ」

 彼には日本の大企業で、機械の設計から生産、納品とアフターフォローまで、20年にわたる非常に幅広い経験があった。僕たちのロボット会社の東京オフィスで、設計から製造まで、幅広く活躍してもらうことにすれば、収入を得ながら、故郷熊本に毎週帰ることができるだろう。

 大学3年の終わりに母をガンで亡くしたことで、もう僕に両親はいない。しかし、40代前半の彼には、幸いなことにまだご両親がいる。これは、見方を変えれば素晴らしいことじゃないか。

 「親孝行以上に大切なものなど、世の中には存在しない」

 これは僕があらゆることにフェアであること、という自らの中心線を成す考えと同じくらい、これまでの人生で大切にしてきたことだ。

帰国の日まで、一緒にコーヒーを

 僕がこうしてアメリカに乗り込んで、日本の中核技術というものをアメリカに打ち込んでやろう、思い切って勝負してやろうと思えるのも、こうして大胆とも言える活動をすることができるのも、両親がいないということによるある種の身軽さがそれを後押ししていることには疑いがない。

 こんなこと言ったらバチが当たるかも知れないが、親孝行することの大切さと比べれば、僕らがやっていることなんて、たかだかロボット・ベンチャー、たかだか経済行為、それがたとえ日本の将来に大きく影響を与えることだったとしても、それでも人一人の親孝行、その人の人生の根源価値を目の前にしてしまえば、こうしたものの価値なんて霞んでしまうかも知れないと思うのだ。

 ビザの取得サポート、引越し代金に家賃補助、彼にはこれまで会社として相当な投資をしてきたつもりだ。しかしだからといって、投資を回収しようと、無理に彼を引き留めるのか? 僕が引き留めれば、きっと彼はアメリカに残るという決断をしてくれたかも知れない。しかしそれが彼の人生における本当のゴールかというと、そこに僕は大きな疑問を感じたのだ。

 経営者としてというよりも、人間としての意思決定が必要だった。

 こういうシーンに直面して初めて思うことがある。それは、僕とその仲間たちが、日本のために、技術ベンチャーをアメリカに打ち込んでやろう、アメリカで勝負をしてやろうと思うことができる環境というものは、奇跡にも近い数々の偶然が折り重なってそこに存在しているのだということだ。

 日本人を大量にシリコンバレーに移住させれば、日本のイノベーションの問題は解決する、それができれば苦労はないが、そんな簡単な話ではないのかも知れない。一人ひとりの従業員は、自分の周りにいる家族だけでも平均で数人から十数人、また友人などを合わせると、およそ300人にも及ぶ人間的な繋がりがあると言われる。

 またその大半は、日本という島国の中で関係性が閉じており、一人の人間がアメリカに移住するということは、その物理的な繋がり(会って、顔を見て話ができるということ)を切断してしまうことに他ならないのだから、それがもたらす人間的に大きな悲しみを、僕はこの一件で痛感することになった。

 両親はもういないかも知れないが、僕にだって姉を含めてとても親しい家族はいるのだし、また日本には多くの友人がいるのだから、多かれ少なかれ、同じようなことなのかも知れない。

 しかしここで、別の角度からもう一つ言えることがあるのも事実だ。それは、人生では時として、「何かを捨てなければ、何かを得ることはできない」ということだ。僕はアメリカに来て、新しい友人を得ることができたし、また新しい仕事のやり方を覚え、こうして毎日多くの刺激に恵まれている。これは僕にとって、他でもない、素晴らしいことだと思うのだ。

 彼の日本への帰還は12月27日に決まった。それまで、毎日毎日、また一緒に朝のコーヒーを飲もう。今生の別れではないのだ。また彼がアメリカで得た何かを東京オフィスに持ち込むことができれば、日本のチームもきっと喜んでくれるに違いない。

左のラース副社長と中央の新人フーリオと、ヨネ。アメリカで一緒に働くのも残りわずか。日本に戻っても、引き続きよろしく
左のラース副社長と中央の新人フーリオと、ヨネ。アメリカで一緒に働くのも残りわずか。日本に戻っても、引き続きよろしく

次ページ バブルという選択肢