僕たちが目指しているのは「平均」じゃない
会社も報酬もやり甲斐も、皆でデカくフェアに育てたい
10月に入ると、僕は人事コンサルタントのジョンさんと多くの時間を使うようになった。ジョンさんは年齢的にはだいぶ年配の域であり、既にリタイアしていてもおかしくないと思う人だが、かつてバイオテック系のベンチャーや大きな会社などで人事の責任者を歴任した、正真正銘のプロだ。オフィスには従業員も少しずつ増えてきたことから、これまで後回しにしてきた人事関係の業務を整理整頓するために、フラクタはジョンさんの力を借りることにしたのだ。
「米国基準」「市場平均」と向き合う
カリフォルニア州、またより広くアメリカ全土では、多くの労働関係の規制があり、これを遵守するためには、そもそもの問題として、こうした規制を知らなければならない。また、性別や年齢を根拠とした差別の禁止、あらゆるハラスメントの禁止、こうしたことを、従業員の採用、教育、また退職といった全ての段階できちんと会社全体に行き渡らせておかなければならないため、従業員ハンドブックを作成して手渡したり、入社時教育を行ったりするという。
こうして人事関連に関する項目を端から端まで整理整頓してもらう過程で、ジョンさんから指摘が入ったことがある。端的に言えば「市場と比較して、フラクタの給料が安く見える」というのだ。
なんだそれは?と最初は思ったのだが、こうしたことに目を光らせることが、アメリカではどうやら非常に大切なことらしい。ここはアメリカ、色々と便利な統計があり、サンフランシスコ・ベイエリアにあるソフトウェア企業、その中でもベンチャーキャピタルから既に1、2回投資を受けているベンチャー企業の平均給料などといったものが、職務ポジションごとにデータベースとして蓄積・公表されており、こうした数値の平均値に満たない給料を払っていると、従業員がどこか他の会社に逃げてしまうというのだ。
このあたりは、日本とアメリカの文化が最も大きく乖離して見えるところであり、こうした議論にしっかりと付いていき、最終的にある程度の納得感を得るまで、相当な時間がかかった。
「◯◯(従業員の名前)は市場と比較して、ベース給与が低い。もっと上げたほうが良いだろうね、加藤さん」とジョンさん。僕はと言えば「そんなこと言ったって、つい数ヶ月前に◯◯と契約したんだから、彼/彼女がその給与を前提にオファーを受けたってことでしょう。仕事を選択するということには、他にも色んな要因があるはずなんだから、一律にそんな議論はできないと思いますよ。給料の市場平均なんて、あくまで平均なんですから」という感じだ。
人事コンサルタントのジョンさんと。彼が示す「米国基準」と向き合いながら、僕たちの会社のあるべき姿を日々考えています
所有権の4分の1は、乗組員に
事実として、フラクタの離職率は極めて低い。しかし、ジョンさんはあくまで、アメリカ全土でもとりわけ高いと言われるサンフランシスコ・ベイエリアの平均給与にこだわる姿勢を貫いてくる。結局、1カ月半もこうした議論に付き合いながら、アメリカ人というのが一体何を考えているのかを、僕は見つめ続けた。
やがて見えてきたのは、日本とアメリカの文化的な背景の違いとも言うべきことだった。つまりアメリカでは「年齢に関わらず、優秀な人(特に学歴やスキルが高い人)には平均よりも高い給料が支払われるべきである」という大前提が広く行き渡っており、また会社で働く個人個人も、「他の会社のほうが給料を含めた待遇が良ければ、すぐに他の会社に移るということに、あまり躊躇(ちゅうちょ)がない」ということだ。
このあたりは、何でも平均化されている日本という国を長く生きた人間としては、最初なかなか理解しづらいことだった。つまり根本的に、アメリカ人の考え方は日本人と違うのだ。とはいえ、CEOとしての僕には僕独自の考え方というものがあり、さらにそれは僕が日本で生まれたという事実とは関係のない部分もあるだろう。
一方で僕たちは、アメリカ、特にシリコンバレーという非常に人材獲得競争が激しいエリアに居を構えている。給与に関しては、郷(アメリカ)に入っては郷(アメリカ)に従えの部分を見つめつつも、また一方で僕がどんな会社を経営したいかという部分も大切にしたい。こうしたところを頭の中でしっかりと切り分けながら、できるだけ良い人を採用し、長く会社にいてもらうために、会社としてやれることを考えなければならない。
大切なのは、多少現在の給料がデコボコしていようと、成功したときにその分け前がフェアに分配されることであり、その意味で、ベンチャー企業の成功報酬の大半が株式の売却益(キャピタルゲイン)であるという事実を勘案し、僕は従業員向けのストック・オプション(普通株式を安価に購入できる権利)を、会社全部の所有権換算(難しい言葉で言うと「完全希薄化ベース」)で25%分も用意して、それがどんな役職の誰であれ、フラクタの従業員には必ず会社の所有権、つまり株式を安価に購入する権利を配ることにしたのだ。
僕は最初から、会社の所有権の4分の1を、従業員に渡すことを決めている。このあたり、「ベンチャー企業で、やりがいのある仕事を!」などと謳(うた)い、従業員にストック・オプション(会社の所有権である普通株式を安価に購入する権利)も配らずに、不毛な搾取を繰り返す会社とは、およそ考え方が違うと言えるだろう。
従業員の貢献無くして会社の成功は無い。資金繰りが十分ではなく、平均の給料が配れないことだってあるだろう。ただ、それも含めて、従業員は同じ船に乗っているのであり、また従業員はその船の権利(株券)をきちんと握りしめている。成功するときも、失敗するときも、僕たちはいつもいつも一緒なのだ。僕はジョンさんとの喧々諤々(けんけんがくがく)の議論を通じて、多くのことを学んだ気がした。
ネバダ州リノでも、ラース節で
10月25日、レッドウッドシティのオフィス近くのスターバックスでコーヒーを飲むと、吉川君が運転する車に揺られて、ネバダ州のリノに向かった。ネバダ州はカリフォルニア州の東に位置する州で、リノまでは、オフィスから車で約4時間のドライブだ。
リノでは全米水道協会の地方カンファレンス(カリフォルニア州、ネバダ州の水道会社のためのカンファレンス)が開催されており、そこにフラクタも展示スペースを設けてあるのだ。ラースさんとマティーはいつも通り前乗りしているので、このカンファレンスの後半戦に、吉川君と一緒に援軍として合流しようというのが僕たちの算段だった。
長いドライブの途中、サクラメントのハンバーガーショップで吉川君と特大のハンバーガー(「和牛バーガー」という、これまた日本っぽい名前のハンバーガーで、とにかく美味しかった)を頬張り、リノに到着したのは午後3時近くなってからのことだった。
特大ハンバーガー並みに加藤がデカく映ってますが、奥が吉川君です
リノに来たのは生まれて初めてだが、カンファレンスが開催されているというホテルに到着して、目の前に広がる光景に僕は驚いた。ホテルのフロントドアを抜けると、見渡す限りの1階部分が、全てカジノだったのだ。ネバダ州では、合法的にギャンブルが行われており、その代表格として有名なのが、ラスベガスだ。同じネバダ州とはいっても、華やかな印象のあるラスベガスと、田舎のリノでは頭の中で全くイメージが異なっていたので、いつか仕事で行ったラスベガスのホテルと、今回のリノのホテルの雰囲気の近さ(どちらも1階部分がカジノで埋め尽くされているということ)に僕は驚いてしまったのだ。
それはさておき、今回のカンファレンスにおけるメインイベントは、単に僕たちの展示ブースではなく、ラースさんのプレゼンテーションだった。翌日の朝、ラースさんがフラクタを代表して、30分のプレゼンテーションを行う枠を、展示会の運営委員からもらっていたのだ。しばらく会場をウロウロし、いくつかの会社と話をすると、僕たちは馴染みの水道公社の幹部たちと、スポーツバーに向かい、地元のビールで乾杯したあと、オニオンリングを食べてそれを夕食代わりにした。
翌朝早く起きると、僕たちは会場ホテルの1階、まさにカジノの隣りに併設されているレストランで朝食を取り(いつものフレンチトーストだ)、ラースさんのプレゼンテーションが行われる会場に向かった。
会場に入ると、40~50人程度入る部屋はほぼ満員。ラースさんはいつになく緊張している。しかし、ひとたびプレゼンテーションが始まればそこは我らがラースさん、野球ネタのジョークから会場の空気を一気に掴むと(もう読者の皆さんはお気づきのことだろう。なんのかんの、必ずスポーツネタから入るのが、ラースさんの定番なのだ)、機械学習(人工知能)を使って、どのように上水道配管の交換箇所特定を行うのか、淀みないテンポで話を展開していく。
ラースさんのプレゼンテーション、今日もいいテンポです
プレゼンテーションが終わると、いくつかの水道会社がラースさんや、周囲にいた僕たちに続々と声をかけてくれた。僕たちのソフトウェア・サービスに興味があるから是非一度個別に話を聞かせて欲しいと言うのだ。たくさんの名刺をポケットにしまったラースさんが、とても嬉しそうだった。
やがて、話をすべき相手が見えてくる
リノからレッドウッドシティのオフィスに帰ると、すぐさま次の展示会に参加する予定になっていた。その週末の日曜日(10月29日)、お昼にサンフランシスコ国際空港を出発すると、今度は飛行機でテキサス州のヒューストンに向かった。ここでは、全米水道協会が開催する水道インフラに関するカンファレンスが行われる予定になっていた。ラースさん、マティー、フーリオと、皆別々の飛行機でヒューストンに到着すると、その日の宿である、展示会の会場近くに借りていた一軒家に集合した。
3階建ての家にベッドルームがいくつかある。遅くまで開いていた近くのレストランで夕食を済ませると、フーリオのベッドルームに集合し、メジャーリーグ・ベースボールの決勝戦、ワールドシリーズ(ロサンジェルス・ドジャース 対 ヒューストン・アストロズ)を皆で観覧し、眠りについた。
テキサス州ヒューストンで夜遅くに飛び込んだレストラン。明日もまた、一緒に走ってくれるパートナーを全力で探そう
翌日は朝からカンファレンスの会場まで歩いて向かった。ヒューストンという街は、完全なる車社会で、歩道を歩いている人など1人もいない。だだっ広い道路を車がすごいスピードで走っていく。道沿いのカフェで朝食を済ませると(またいつものフレンチトーストだ)、やがて会場に到着した。
この日は朝から水道関連事業に興味を持っている投資ファンドと話し合いを持つ予定で、それが済むと全米第2位の民営水道会社の幹部とランチを食べる予定になっていた。その他、精力的にミーティングをこなすと、僕は翌日にサンフランシスコ・ベイエリアで予定されているミーティングに参加するために、夜8時の便に飛び乗り、ヒューストンを後にした(と言ってはみたものの、このフライトは2時間遅れ、サンフランシスコに到着したのは24時を過ぎてからだった)。
この展示会では、ラースさん、マティー、フーリオが、縦横無尽に色々な参加者と話し、僕たちのソフトウェアを担いで売ってくれる販売パートナー候補といくつも接点を持つことができた。僕たちは素晴らしいソフトウェア製品を持っているものの、全米に散らばる5万以上の水道会社にこのソフトウェアを使ってもらうためには、販売パートナーが不可欠なのだ。
ヒューストンのカンファレンスにて。新旧のフラクタパンフレットです。やるべきことが、どんどんクリアになっていきます
ベンチャー企業を始めて、新しい産業に打って出る。どんな相手と一緒に組めば良いのかなんて、やっぱり最初は分からない。ただ、こうして継続的に展示会に参加していると、不思議なことにどんどんネットワークが広がっていき、やがて自分たちが話をするべき相手を見つけられるものだ。それがたとえ計画されていなかったとしても、展示会で巡り合うたくさんの人たちと話をし、共通項や接点を見つけ、具体的な話に進む。つまるところ事業開発(ビジネスデベロップメント)なんて、そんなものなのかも知れない。
ラースさんがレッドウッドシティのオフィスに戻ると、僕たちはいつものように、リノのカンファレンス、ヒューストンのカンファレンスで会った多くの人たち(水道会社や販売パートナーの人たち)と、立て続けに電話会議を持っていった。
展示会に参加し、多くの人たちと話をする。オフィスに戻り、電話会議を持つ。具体的な話に進めそうなら、直接会いに行く。だんだんとだんだんと、こうした流れが会社の標準形になりつつあった。6月に最初の製品を発表してから早5カ月、僕たちは色々なミーティングを経て、また会社として一歩も二歩も前進していた。
第1回取締役会、値千金也
11月13日、サンフランシスコの弁護士事務所で、フラクタとして第1回の取締役会を開催した。投資家も遠路はるばる駆けつけてくれて、社外取締役としてデーブさん(Light社のCEO)も参加してくれた。ナンシーさんが議事録を取り、僕とラースさんが色々な議案を片付けていく。
新しいビジネスプランに関しては、僕が1時間近くかけて丁寧にプレゼンテーションを行った。日本の一般的な取締役会とは異なり、ビジネスの進捗に対して社外取締役であるデーブさんからは切れ味の良い質問が飛び、僕たちはそれに答えていく。シリコンバレーでスタートアップ企業を成功に導いてきたデーブさんとの議論は、まさに値千金(あたいせんきん)であり、その誠実さと説得力、バランスの良さには頭が下がる思いだった。
僕たちはこうした議論の積み重ねから、また新しい視点を手に入れ、さらに力強く前進していくことができる。取締役会は午後3時から6時まで、3時間休みなく続いた。このあと皆で夕飯を食べ、夜9時過ぎにはお開きになった。
帰りの車の中で、なんだか僕は嬉しくて、胸がいっぱいになった。アメリカに来て、こうして現地で歴戦の覇者たちと、まさに喧々諤々、ビジネスの話ができる。メジャーリーグで思い切りボールを投げさせてもらい、全力でベースボールを楽しむことができる。こんな幸せな人生は無いな。また明日も頑張ろうと、心に決めた。
イベント会場隣接のショッピングモールで、休憩時間にラースさんとバーチャルリアリティ体験。かつての未来が、すごいスピードで現実になっていく。僕らもさらに加速していきます
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前回も、色々な読者の方から応援のメッセージをいただいた。本当に嬉しい限りだ。読者の方々からの応援メッセージには、全てに目を通すようにしている。応援メッセージなどは、この記事のコメント欄に送ってもらえれば、とても嬉しい。公開・非公開の指定にかかわらず、目を通します。
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