嬉しいことに、10月の後半から11月にかけて、相棒のラースさんと一緒に活動する機会が増えた。最近では、営業責任者であるダグの懸命な努力の甲斐あって、少しずつ全米に散らばったフラクタの営業担当から、売上が計上されるようになっている。
水道産業は、どんなにイノベーティブな製品・サービスを売ろうとも、それが一夜にして飛ぶように売れるということは無い。たとえば、一般的な法人向けのソフトウェアに関して、その営業成約までの平均期間が3~6カ月だったとすると、水道産業に対するそれは、ゆうにその3倍くらいは時間がかかる(つまり、一つの製品・サービスを売るのに、9~18カ月くらいの期間がかかる)。一方で、時間をかけてきちんと営業の施策を実行していけば、僕たちのソフトウェアを販売することはそんなに難しいことではない。毎日毎日、少しずつ少しずつ、全米に僕たちのソフトウェアが知れ渡っていく。しかし、それにはしかるべき時間がかかるということだ。
とはいえ、ある週はノースカロライナ州にいるトリーシアが営業を決めてきて、その次の州は南カリフォルニアにいるリアナが営業を決めてきた。それは「毎日」ではないかも知れないが、「毎週」なんらかの営業獲得が報告されるようになってくると、だんだんと僕の頭の中にはこの営業施策の将来が見え始める。ローマは一日にして成らずとはまさにこのことだが、ダグの辛抱強い営業施策が、実を結びつつあった。
「もっとこう、ドカンとさ」
そんな折、僕とラースさんは少しずつ未来のフラクタの姿を見定めるべく、またコーヒーを片手によく話をするようになった。
「ラースさん、僕たち、他に何ができる? 水道産業は地味な産業ではあるけれど、きちんと毎日ステップ・バイ・ステップで歩みを進めることができれば、必ず僕たちの会社は大きくなる。でも、僕たちの仕事ってのはさ、もっとこう、ドカンとさ、大きな売上が一気に立つみたいなことを考えることじゃないかな?」
「加藤さん、もちろん、片側では、毎日売上を立てるために一歩一歩前進することは重要だ。だけど、自分たちがシリコンバレーのソフトウェア企業であると認識するのなら、もう片側では、一気に売上を伸ばす方法をいつも考えるべきだろう」
「それだよ。それをさ、一緒に考えようよ。3年前にやったみたいに、色んな展示会に行って、色んな人たちと話してさ、その角度、その軸を見つけたい。それは水道かも知れない。水道産業の中でも、全然別のやり方で製品やサービスを売れるかも知れないじゃないか。あと、もしかしたら、ガスや石油産業に舞い戻ることだって、おかしな話じゃないと思うんだ」
コーヒーを飲みながら、またときにアイスクリームを食べながら、そんなやり取りが何度か続いた。
隣の「別の生き物」の生態を掴め
10月30日、僕はラースさんと一緒に、カリフォルニア州モントレーのホテルで開催された展示会の会場にいた。オフィスのあるレッドウッドシティから南に2時間ほど車で走ると、海沿いの街モントレーが現れる。ナパバレーと並んで、カリフォルニア・ワインの産地として名高いこのモントレーで、今回はカリフォルニア州の民営水道会社が集まるカンファレンスがあった。10月29日から31日まで、合計3日間開催されるカンファレンスで、ラースさんはいつもの通り初日から参加していた。僕は中日(なかび)にあたる30日の朝、車でモントレーに到着し、ラースさんと合流したのだ。
カリフォルニアで行われるカンファレンスにしては珍しく、参加者の人たちの多くが、ジーンズやチノパンツではなく、スーツを着て参加していた。ところがそこに、一人だけ黒いジーンズに、フリース素材の上着を来て会場をウロウロしている男の人がいる。もちろんラースさんだ。相変わらず、自分のスタイルを貫き続け、「本質的な知性と、表面的な服装には全く関係性が無い」とも言いたげなその姿は、ある意味で非常に頼もしい。
僕は元気に声をかけた。
「ラースさん、モントレーは良いところだね。素晴らしい天気だよ!」
「やあ、加藤さん、これから面白いセッションが始まるところだ。今回のカンファレンスは小さなものだけど、こないだ話をしたように、新しいビジネスモデルを作るにあたって、投資家から投資を受けている民営水道会社の人間とたくさん話すことができるから、何かの参考になるはずだ」
僕たちはセッション(何らかのテーマに沿って講演のセッションが行われる。その回は、「持続可能な水道料金の設定」についての講演だった)が終わると、そのまま流れに乗って、ランチの会場へと向かった。
僕とラースさんが座ったランチ・テーブルには、色んな種類の人たちが座っていた。特に面白かったのは、そこで出会った2人の夫婦だ。この夫婦は、旦那さんのご両親から小さな水道会社の経営権を譲り受け、しかしその水道会社がたった2マイル(約3キロメートル)の上水道配管しか持っていないことから、この経営権から得られる利益だけでは生活をしていくことができずに、お互い副業を持ちながら水道会社を経営している(別の仕事が副業なのか、水道会社の経営が副業なのかは分からない)。
僕は、僕の右隣りに座った、その水道会社の奥さんに、色んな質問をし、そこでも色んなことを学んだ。毎年入ってくる水道料金によって、水道配管や井戸の整備を行っていること。水道配管や井戸の整備などに関して、入ってくる水道料金によってこれを賄(まかな)えない場合には、カリフォルニア州が運営する協議会に掛け合って、水道料金を上げる手続きに入ること。民営水道会社で利益を積み増すためには、次々と隣接する水道会社を買収していく方法が正しいと考えられていること。ただし、彼らが経営権を保有する水道会社は、隣接する大手水道会社から「旨味(うまみ)がない」と評価されて取り残されてしまったこと。
公営水道会社(水道公社)と、民営水道会社のインセンティブ構造の違いは大きく、こうした一つひとつの情報が、僕やラースさんの脳みそを刺激する。僕たちはこの他、民営水道会社を経営する弁護士、また民営水道会社にお金を貸し付ける銀行家など、次々と、こうした「民営」水道会社を取り巻くプレイヤーたちからヒアリングを続け、彼女たち彼らの思惑を知った。
僕たちはセッションごとに1階になったり2階になったりする会場を、階段を上り下りして移動しながら、そのたびにこんな言葉を交わし続けた。
「もう少しでパズルが解けそうだ。これを解くとものすごいお金になると思うところまで来ているけど、どうしても最後、よく分からない部分があって、まだ解けないね」
「加藤さん、その通りだ。かなり近いところまで来ている。水道公社に対してソフトウェアを売ってきた。民営になると、急に思惑に変化がある。彼らはまた別の生き物みたいだ」
「来年までには、この問題を解きたいところだよ」
「加藤さん、今年の年末までだよ!」
僕たちはまた、問題を解くことを楽しんでいた。
グワーンと揺れ、健全に対立し、飛び立つ
11月5日の夕方、僕がレッドウッドシティのオフィスで事務仕事を片付けていると、ふとした拍子に、あることに気づいた。不思議なくらい、オフィスが騒がしい気がしたのだ。サマータイムが前週の週末には終了したことから、日中は陽射しが眩しいサンフランシスコ・ベイエリアとはいえ、17時頃になると、もう外は真っ暗になる。アメリカでは、18時くらいになると従業員は思い思いに帰宅の途につきはじめる(帰宅時間は人によって、本当にまちまちだ)。創業初期のベンチャーであれば話は違うが、フラクタも2015年のアメリカ進出から3年半が経過して、新しい従業員も増えてきたことから、持続可能な仕事のペースに落ち着きつつあった。
そんな夕方、18時になっても、オフィスが騒がしく、なんだかみんながせわしなく議論をしている。誰も家に帰る気配が無い。これといって、その日、僕から何かハッパをかけたわけでもなければ、何か特別な期限があったわけでも無いというのに、とりわけエンジニアリングチームの皆が、思い思いにエネルギーを放出させながら、オフィス全体が大きなスピーカーのように、グワングワンと音を鳴らしている感じがしたのだ。グワーン、グワーンと、音が聞こえ、オフィス全体がそのリズムに合わせて揺れている感じがした、というのが僕の正直な感想だ。
僕は自分の席に座りながら、うっとりとした表情でその景色を眺め、その音に耳を傾けていた。今では、製品・エンジニアリングに関しては、ジョエルに大体のことは任せている。だから、エンジニアリングチームが気ぜわしく働いて、皆が協調して活動している姿を見て、僕は嬉しかった。少しずつ、少しずつではあるが、会社というものが、まるで日々目まぐるしい勢いで成長する子供のように、どんどんと形を変え、大きくなっていくのだ。自分が面倒を見なければ、何もできないと思っていた子供に、少しずつ「自我」が芽生え、自律的に何かを考えるようになっていく。そんな気がした。フラクタは、従業員だけで約25人。アドバイザーや社外取締役などを含めると約30人近い所帯になっていた。
最近では、営業・マーケティングの責任者であるダグと、製品・エンジニアリングの責任者であるジョエルとの間で、電話口を通して、毎朝のように激しいやり取りが行われるようになった。これ(つまり営業サイドと技術サイドの間で、衝突が起こること)は会社のサイズが大きくなると、どんな企業でも必ず起こる現象であり、それが健全な衝突である限り(営業サイドは、製品に関して、できるだけ早く、また色々な機能が欲しいと思い、技術サイドは、要件をきちんと定義してから開発したいと思うものだ。当然のことながら、そこには健全な衝突が発生する)、何も問題は無い。
僕は、こうした2人の間に横たわる「思惑の違い」を解消するために、時間を使うことが多くなった。最近では、直接僕が営業先に出掛けていって売るのではなく、ダグのチームに任せて製品を売ってもらう。直接僕が製品の機能を決めるのではなく、ジョエルや吉川君のチームに任せて仕様を決め、製品を作り込んでもらう。色んな人から上がってきた情報を整理しながら、方向性を整えていくということに、僕は多くの時間を使うようになり、それは寂しくもありながら、また嬉しくもあったのだ。フラクタのレッドウッドシティオフィス、とりわけ製品・エンジニアリングのチームが、僕の手を離れ、飛び立とうとしていた。
エンジニアリングチームが、ある閾値を超えたなと思った日の写真です
そんな感じの分担で行こう
11月13日、またまた相棒のラースさんと2人で外出の予定があった。朝10時半にオークランド(レッドウッドシティから約1時間くらい車を走らせたところにある、サンフランシスコ湾の北東にある街)にあるお洒落なカフェで待ち合わせると、僕とラースさんは、小さなテーブルで向かい合い、グイッとコーヒーを飲んだ。僕たちはその日のお昼、アメリカで最も大きなエンジニアリング・コンサルティング会社の一つ、ある大企業のオークランド・オフィスを訪問することになっていた。
「加藤さん、昨日も送ったけど、今日使う資料はこんな感じだ」
ラースさんがノートPCでパワーポイントの画面を開き、二人でコーヒーを片手にその画面を覗き込む。
「ああ、もう確認してるし、昨日の夜、家に帰ってから、何度もプレゼンを練習してきたから大丈夫だよ。僕がイントロをやるから、そこからラースさんが水道産業の問題定義に入って、僕たちの製品の紹介をやってくれ。最後に僕に戻してもらって、僕が今後の事業提携についての提案に話を振るよ」
「素晴らしい。そんな感じの分担でいこう。どちらかが苦戦したら、もう片側が助けに入る。フレキシブルにいけば上手くいくさ」
そんな作戦会議をしている中、僕はラースさんのノートPCの画面の端が割れていることに気がついた。
「ラースさん、ノートPCの画面が割れて、表示が黒くなってるよ。そろそろ新しいノートPCに変えたほうが良いんじゃないか?」
「加藤さん、ああ、気づいたか。とはいえ、実はこれで2台目なんだよ。新しいノートPCを買っても、いつもラフに使うから、また壊れる。だから、壊れたものを使い続けるので構わないってわけさ。どうせ、大企業には大きなスクリーンがあって、そこに繋げば良いんだから」
笑ってしまうけれど、この人はいつもこうなのだ。愛すべきカリフォルニア・ガイ。本質的なこと以外には、全く興味を示さない。めちゃくちゃ優秀で、いつも新しいビジネスの種を見つけてくるが、服装やノートPC、はたまた携帯電話などの機能や見た目には一切の興味を示さない人。そんなラースさんと一緒にカフェを出てしばらく歩くと、ずいぶんと大きなビルの中で、何フロアにも渡って入っている、先方のオフィスに到着した。
しばらくすると、広めの会議室にたくさん人が入ってきた。水道会社向けにエンジニアリング・コンサルティングを提供している部隊の人たちだ。20人ほどはいるだろうか、皆僕たちのプレゼンテーションを楽しみにしてくれているようで、時間はあっという間に流れた。僕たちはそつなくプレゼンテーションをこなし、質疑応答の時間にも、次々とやってくる技術的な質問にも答えていった。もうこういうことも慣れっこだ。
大きなビルから出ると、僕たちは、そのままオークランドでランチを食べることにした。半年も前から、オークランドにラースさんオススメのカフェがあると聞いていたから、そこから数ブロック離れたそのカフェに寄った。自転車屋さんとカフェを一緒にしたようなその不思議なカフェは、まさにラースさんという人のクレイジーさを表現しているような場所だった。
ラースさんオススメのカフェで、自転車たちに囲まれてランチを
僕たちはアボカドサラダを頬張りながら、いつものようにミニ反省会を開いた。いつも思うが、このクレイジーな人と会い、ずいぶん遠くにきたもんだ。僕たちはお店を出ると、僕はレッドウッドシティのオフィスに向かって車を走らせ、ラースさんは翌日にロサンゼルスで予定されているカンファレンスに参加するため、オークランド空港に向かって車を走らせた。
前回も、色々な読者の方から応援のメッセージをいただいた。本当に嬉しい限りだ。読者の方々からの応援メッセージには、全てに目を通すようにしている。応援メッセージなどは、この記事のコメント欄に送ってもらえれば、とても嬉しい。公開・非公開の指定にかかわらず、目を通します。
次回、ある嬉しいお知らせをすべく鋭意準備中です。お楽しみに。
日々成長していく同志たち。皆、良い表情をしています
Powered by リゾーム?