栗田工業はなぜ、面白いのか
翌20日、展示会の最終日には、栗田工業の役員が総出で僕たちのブースにやってきてくれた。飯岡会長、門田社長や、今回の展示会をそもそも紹介してくれた伊藤専務など、多くの栗田関係者が僕たちを訪れ、また励ましてくれた。前日のラースさんとの話し合いで、また改めて僕もフラクタの成長にコミットしていこうと思っていたところ、その日の夕方には伊藤専務を含めた栗田工業のメンバーと、フラクタのメンバーが一緒に夕飯を食べることになっていたので、僕はその機会を楽しみにしていた。
最終日は15時には展示が終わり、日本人も外国人も、三々五々、皆が帰路についていった。僕たちはそこから原宿駅に向かい、食事会に参加することになっていた。結論から言うと、その日は日本酒をたらふく飲んだ。伊藤専務が美味しい日本酒を6本も(!)買ってきてくれて、それをレストランに持ち込みさせてもらって、端から空けていったのだが、日本酒というものがこんなに美味しいものだと、僕は知らなかった。何より、ビールやワインと比べて、ほんのりと甘みがあるのだ(日本酒ファンの皆さんには申し訳ないが、僕はこの歳になるまで、そんなことにも気づかなかった)。
日本酒には悪い思い出がある。学生時代、夏の暑い日だった。東京の町田で出稽古に行った柔道の練習が終わり、体中から雑巾を絞るように汗をかいたあと、警視庁の師範だった道場の館長から「加藤、残れ!飲むぞ!」と言われて、朝まで一緒に日本酒を飲んでいた(柔道場の畳の上にちゃぶ台を置いて、朝まで一升瓶を飲んでいた。そんな時代もあったのだ)。
ところが、翌朝気づいてみると、身体がパンパンにむくんでいて、顔も身体も、自分のものではないようだ。汗をかいて、水を飲む代わりに日本酒をたくさん飲んだので、変な形で細胞が水を含んだのかな?なんて思ったが、結構恐ろしい体験だった。いつもの身体に戻るまで、水を何リットルも飲み続け、しかも丸一日くらいかかったのだ。それ以来、なんだか危ないから日本酒はやめておこうと思い、努めて飲まないようにしてきた。
しかし、久しぶりに栗田のみんなと飲んだ日本酒は美味しく、こんなに美味しいのならば、毎日飲んでも良いと思ったのだ(単純に、上等な日本酒をご馳走になっただけなのかも知れない。日本酒全般について語るには、データの数が少なすぎるが、6本が6本とも美味しいなんてあるだろうか。僕は、これは、日本酒というカテゴリの力なんじゃないかと思っている)。
特に楽しかったのは、伊藤専務との話だ。イノベーション推進本部の小林さんや中山さんと一緒に、皆で話をしていた。栗田工業という面白い会社が、なぜこんなに面白いのか、伊藤専務の話を聞き、小林さんや中山さんがどうやって技術者から新規事業の部署に配属されたのかという話を聞くと、なんだか合点がいった。組織としてまとまりながら、一方で、とても変わった人たちが大切にされてきた、会社の文化のようなものを感じる。そしてそれは、取りも直さず創業者である栗田春生という人間の性格と人生経験に戻っていく。
こういうことが仕事でありたい。こういう人たちと仕事をしていたい。日本人という、愛すべき人たち。アメリカという、ある意味では節操のない、カネが支配する世の中を走り抜けながら、僕は日本という国の素晴らしさを、再発見していた。これは当日皆と話したことでもあるのだが、アメリカに来てから、相手と100%分かり合えるという経験が少なくなった。それは、もしかしたら言語の問題かも知れない。もしかしたら文化の問題かも知れない。
しかし、日本に帰り、栗田のみんなとお酒を飲んでいると、100%分かり合える気がするのだ。アメリカでは、ものすごく分かり合えたと思って、98%。やっぱりどこか、この2%が欠落している。そこに違和感もある。しかし、それを逆さに見ると、自分の仕事が見えてくる。この2%の違和感を大切にしなければならないのだと思っている。
僕は、この違和感から逃げてはいけない。市場を切り拓くということ、アメリカで戦うということ、世界で戦うということは、この「2%の違和感」を腹の底で持ち続けることなんじゃないか。本物のエリートというのは、国を背負って外国で戦うために、こうした2%の違和感から逃げなかった連中のことを言うんじゃないか。そんな風に思ったのだ。夜遅くまでお酒を飲み、僕はアメリカに戻った。

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