主作用と副作用とリーダーシップと

 しかし、これはあくまで物事の「副作用」だということを忘れてはならない。何でもかんでも全部がストレートで、頭がスッキリしていれば良いなどということでは無く、時として議論が複層的であっても良いのだ。このモヤモヤ感に乗じて、間違った方向からそれに火をつけようとすれば、ドナルド・トランプのような大統領が出現してしまう。副作用と主作用(主な効能)をきちんと両立てで観察し、それを社会として受け止めていく必要があるように思う。

 「主な効能(主作用)」として、有色人種や女性に対する差別を無くそうという話があり、これをしっかりと社会に訴え、また植え付ける過程で、上記のような「副作用」が出ることは致し方ないことなのかも知れない。「副作用」を嫌って、「主な効能(主作用)」すら求めないというのは、それ自体、本末転倒なのであるから、アメリカ、また今後の日本も、こうした良い意味でのモヤモヤを受け入れつつ、積極果敢に前に進む(差別を排し、フェアネスを追求する)必要があるように思う。

 最後に、アメリカと日本の社会システム、教育システムの違いについて、一点だけ最近強く思ったことについて触れておきたい。僕の周囲にいる色々な人から話を聞いていると、アメリカの大学(すなわちそれを反映した大学受験システム)が求める「有為な人材像のイメージ」というものが見て取れる。

 それは日本型の学究秀才とはまた違ったもののようだ。アメリカでは、日本でいうところのAO入試のようなものが花盛りだ。つまり学校の成績をある程度しっかり取っていたならば、あとは課外活動で何をやったかをアピールすることで大学に入学していく。それはスポーツなど部活動の場合もあるが、アメリカでは特に「それ以外」、すなわちボランティア活動や、例えば非営利組織(NPO)の設立と運営、音楽や芸術などの活動がアピールポイントになるようだ。

 面白いのは、アジア人を中心として、高校の高学年になると、自分の子供を、やれアフリカだ南米だと、貧困が問題になっているような地域に一定期間(無理矢理)滞在させて、ボランティア活動に従事させることにより、AO入試の小論文の素材集めをする人が多いことだ。本人がボランティア意識、もっと言えば社会に対する問題意識を持っているかどうかとは関係なく、親が子供を貧困地域に(親のお金をたくさん使って)送り込むのだから、不思議な話だ。

 これは必ずしもこうした親御さんたちが悪いのではないだろう。そういう人材をアメリカの大学が評価するという評判(うわさ話)が露骨に流れているので、その親御さんたちも嫌々ながらそういう活動をやるしかないのかも知れない。ただし、こうした(日本とはまた違った)アメリカ受験「狂想曲」とも言える情景の後ろに透けて見えるのは、アメリカという国が「リーダーシップ」という概念に特に力点を置いているということだ。

 企業を運営するにも、行政を運営するにも、一定数の「リーダー」が必要だ。ここで、日本とアメリカの違いに気づく。日本では必ずしも、「リーダーシップ」に重きを置いた教育システム、受験システムを持っていない。僕は、アメリカという国の計算高さ、アメリカという国のしたたかさは、こういうところに如実に表れているように思う。

 日本の政治の混迷は、正真正銘の「リーダー」となり得る人材がものすごく少ないことによると思っている。リーダーが嘘をつけば、信用を失う。嘘は嘘を呼び、それを隠すためにパワープレイに走れば、やがて組織には「しらけ」が蔓延する。簡単なことだが、大切なことだ。しかし、こうした基本的なことは、残念ながら、自分が組織のリーダーになって初めて意識的に気がつくことでもあるのだ。

 日本全体として見れば、こうした組織のリーダーシップに関する「リアリティー」がアメリカと比べて圧倒的に欠落しているように思う。もちろん、アフリカに子供を送れば自動的にリーダーになるわけでは無い。むしろそんな話は、上記の差別問題の話でいうところの「副作用」に当たる話なのだ。それが重要なのでは全く無くて、この「副作用」に対する「主な効能(主作用)」にこそ目を向けるべきで、それはアメリカという国が「リーダーシップ」というものを国の根幹的価値に置いており、それがあまねくこうした親御さんたち、実際に大学に入っていく子供たちにも「伝わっている」という事実が大切なのではないだろうか。

 日本にも将来、何らかの組織における「リーダー」になり得る若者群はたくさんいるはずだ。しかし、本当のリーダー候補者たちは、多くの場合、学校で成績が良かったとか、大学受験のテストが得意だったとかいう人たちでは無い。そもそも、入口の教育システム、人を評価するやり方が違うのだから、出口としてのアウトプットが違って当然だ。問題は、そのような(リーダーシップに対する)「ふるい」がこれまで社会システムの中に無かったことで、こうした「本当のリーダーたち」が、構造的に見つけにくくなっているということだろう。

 僕も日本人の一人として、アメリカという国で、ベンチャー企業のCEOとして、リーダーとして権力をふるう人間として、これからの日本の教育に協力する責任があるように思う。たまに日本に帰る機会があるから、そんな時こそ若者を集めて、彼女たち彼らの目の前に座って話を始めなければいけないと、最近強く思っている。

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