読者の皆さんは、前々回の記事を覚えているだろうか? そうだ、テキサス州ヒューストンでの人材採用について意見が食い違い、僕が盟友ラースさんと激論を交わしたという、あの記事だ。
結局その時の候補者を採用できなかった僕たちは、次なる候補者を求めて旅に出ていた。友人・知人に当たったりはするものの、いかんせん採用の地は僕たちが日々活動するカリフォルニア州サンノゼではなく、遥か彼方のテキサス州ヒューストンだ。ラースさんの友人を辿るといっても、そこには限界があった。
6月に入ると、僕は手当たり次第にアメリカの人材紹介企業などのウェブページを見つけては、「こういう人材と一緒に働きたいのだが、心当たりはないでしょうか?」というメールを送っていた。米国本社のサンノゼで一緒に働く、通称ヨネ(=米村さん:日本から赴任しているエンジニア)からお願いされていた、「採用した人にロボット関連の技術を教え込むのに、ほんの少しだけであっても日本語が理解できるほうが望ましい」という条件が、採用をさらに困難なものにしていた。
感じの良い加賀谷さんがたまたま見つけたのは…
そうこうしているうち、僕はこうして手当たり次第に送っていたメールを通じて、パソナ・ニューヨークの加賀谷さんに出会った。何というか、メール一本、電話一本にしても、やたら感じが良い人で、何というか直感的に信用できそうな人だなと感じた。
そんなある日、彼女から連絡があった。「たまたまものすごく良い候補者が見つかった」というのだ。
いやいやちょっと待てよ、人材会社の「たまたまものすごく良い候補者が見つかった」なんて、そんな甘い言葉に引っかかるほど僕は「やわ」な経営者じゃないはずだ。通常、人材会社の「たまたまものすごく良い候補者が見つかった」は、よく僕のアメリカ携帯に電話がかかってくる「お客さんラッキー!なんとあなたにバハマ旅行が当選しました!」にも近い怪しさがあるじゃないか。いかんいかん、ここはアメリカ、騙されちゃいけない。世の中そんなに甘くないんだ。
しかし、でも、まあそれでも、あの感じの良い加賀谷さんが言うんだから、まあ可能性はあるかも知れないよな。ラースさんとの出会いを通じて、人間を積極的に信用することは、人生においてとても重要なことなのだと、このあいだ自分に言い聞かせたばかりだ。
その候補者に、一回会ってみようか。
そんなこんなで、候補者のマットさんにSkypeで会ってみることにした。なんと、彼は過去にロボットのビジネスを自分でやっていて、奥様は日本人だから、ある程度、日本語も話せるというのだ。しかもアメリカ海軍出身で体育会系。ラースさんと一緒に色んな質問をしたが、Skypeで話を終えた僕たちの意見は一つだった。
「マット、最高だな」
Skypeの面談が終わると、ラースさんは興奮した面持ちで、「加藤さん、俺たちはラッキーだ。彼以上の人材はいないよ」と大声で話している。あっという間に採用が決まった。
7月18日、マットの入社日を迎えた。僕たちはサンノゼでマットのオリエンテーションを終えると、いつものスポーツバーで歓迎会を開いた。ラースさんと日本人エンジニアのヨネ、そこにマットが加わって、4人になったアメリカチームの決起集会は大いに盛り上がった。
新戦力のマット(右)が合流。ラース副社長に続き、いい出会いに恵まれた
ヒューストンの展示会でマット始動
翌週の7月27日、テキサス州ヒューストンで行われる石油産業の小さな展示会に出展するため、サンフランシスコから直行便でヒューストンに向かった(本当はロスアンゼルス経由でヒューストンに入る予定だったのだが、この便が大幅に遅延したので、この直行便になった。大丈夫。サンフランシスコ空港で4時間も閉じ込められたなんて、僕は愚痴らない。ここはアメリカ。フライト遅延にはもう慣れっこだ)。
マットは既に前週からヒューストンに入っており、またラースさんも数日前の日曜日からヒューストン入りして準備をしてくれていた。ヒューストンのウィリアム・ホビー空港に到着してゲートを出ると、まるでサウナのような蒸し暑さだ。
同じアメリカでも場所が違えばこうも気候が違うということに、僕は毎回新鮮な驚きを感じてしまう。空港地下の薄暗い車寄せから、黒光りする坊主頭のタクシー運転手が運転するタクシーで安宿に到着したのが、夜23:30くらい。さすがにこの時間にラースさんやマットを呼び出して食事に連れ出すのも悪いので、その日の夜は近くのレストランで一人夕飯を食べることにした。
ウィリアム・ホビー空港の薄暗い地下の車寄せでタクシーに乗り、ひとまずホテルへ
少し寝ると、またすぐ朝が来た。朝から元気なラースさんに「おはよう」を言うと、またコーヒーをガブ飲みし、僕たちが新しくオープンしたヒューストンのオフィスに向かった。ヒューストンで付き合いのある会社から、オフィススペースを間借りしたのだ。
オフィスで身支度を整えると、僕たちは展示会の会場に向かった。配管点検用のロボットを展示すると、多くの人たちが足を止めて、色んな質問を矢継ぎ早に繰り出していく。1週間のトレーニング期間で覚えた知識をマットが披露する。なんとまあ感じの良い人だろう。「マットにヒューストンを任せればきっと安心だね」。僕とラースさんは、ほっと胸をなでおろした。
7月は、会社の中での日々のやり取りを通じて、「コミュニケーション」について考えることが多かった。僕はアメリカ法人だけでなく、日本法人の社長もやっているので、アメリカ法人の中だけでなく、アメリカと日本の間のコミュニケーションも担当しているので、色んなコミュニケーション機会があるのだ。
ここシリコンバレーでNVIDIAという半導体メーカーを創業したジェンスン・ファンは、かつてその講演の中で「Laser Beam Focus」という言葉を使った。要は、「一つのことに、とことん集中しろ」ということだ。
ベンチャービジネスを成功に導くためには、一つの市場、一つの製品に絞り込んで、そこを徹底的に陥落させることが重要だということだろう。わかっちゃいるけど、みんなこれができない。限られた「人的」「資金的」「時間的」資源を、ある一点に向けて集中しなければならないという意味でとらえていた、こうした「集中」の意味だが、「コミュニケーション」の観点からも非常に重要な意味があることに、僕は最近気づいた。
三個のお手玉ではコストがかかる
たとえば、アメリカと日本でやり取りをしていても、それが日本語であれ英語であれ、要は話をしなければならない項目の数が多くなればなるほど、組織の中で生まれる誤解やミスコミュニケーションの数が、ものすごい勢いで増えていき、結局同じ情報を持って、同じ方向を向いて進むことがままならなくなってしまう。
お手玉が良い例になるかも知れない。右手で玉をポンと上に投げて、左手で取る、あのお手玉だ。お手玉だって、扱う玉が一個なら誰でも簡単にできるが、それが二個になれば失敗することが多くなり、それが三個ともなれば、ほとんど上手くいかない。人間、たった三個のことでも、同時に処理しようとすると、とても難しいことの良い例だと思う。
こうした例を顧みず、無造作にコミュニケーションを複雑化させて、またそれに失敗すれば、結果として、市場にフィットしない、つまりは間違った製品がいくつもできあがる。要件と違う無価値の仕事が積み上がってしまうのだ。このコストは膨大であり、それをとりわけベンチャー企業のような小さな企業が(時間的、金銭的に)こうしたコストを払うことは到底できるものではない。
組織として大切なのは、極めて意識的に、多くの項目を扱わないようにすること、お手玉に例えれば、チーム全体で、一個のお手玉をしっかり投げることに集中することだろう。また、こうしてお手玉の数、つまり話し合わなければならない項目を極限まで絞った上で、一つひとつのコミュニケーションにおいて、「文意を正しく、簡潔に伝える」「全体観を示した上で、部分について伝える」といったことを、相当程度きっちりやる必要があるのだ。
そういえば僕は、昔から自分の部下に対して、日本語の書き方についてうるさく言うことが多かった。何でも自由に見えるベンチャー企業にあっても、これは重要なことだ。なぜならスピードを重視するベンチャー企業経営だからこそ、コミュニケーションによる時間ロスは致命的だからだ。「主語がない」「目的語が抜けている」「これだと一文で二つの意味が生まれてしまう」「論理構成がおかしい(前後の文が逆)」などなど。
部下のメールに赤ペン、基礎作りに妥協なし
この連載を読んでいる読者の人は意外に思うかも知れないが、僕は部下から送られてきたメールについても、文意が取れなければ、プリントアウトして、赤ペンを入れて返す。部下にしてみれば大変なことだろう。大人になってから、とりわけ日本企業の「ぬるま湯」環境で育てば育つほど、「君は、これが本当に日本語だと思うか?」「冗談抜きで、中学校から国語をやり直した方がいい」などと、上司から大声かつ真顔で迫られることなど、無かったに違いないのだから。
しかし、こうした日々の積み重ねが、たとえベンチャー企業という非常にフレキシブルな組織の中にあっても、力強い基礎を作り上げ、従業員の数が爆発的に増えていった際にも、組織能力の下地としてしっかりと残っていく。だから、僕は一切妥協しない。
7月のある日、日本からサンノゼに赴任している、エンジニアのヨネ(=米村さん)のメール文面にフィードバックを与え、5回書き直させた。変なことをやらされていると思ったのか、彼は最初、嫌な顔をしていた。
ところが、フィードバックを受けながら、嫌々5回も文面を書き直して、最初の文章と最後の文章を比べてみると、彼もその価値に気づく。清々しい顔をして、「今まで、こんなこと、誰も教えてくれませんでした」とのこと。あとは、その昔、大野晋さんが書いた『日本語練習帳』など、日本語の上手な書き方に関する本を推薦し、読んできてもらう。だいたいの人が、これで相当マシな日本語を書くようになる。ヨネは実直で真面目なナイスガイ。彼がアメリカから日本に送るレポートは、毎日毎日上手になっている。素晴らしいことだ。
8月3日、友達の東大教授、稲見昌彦さんがオフィスに遊びにきてくれた。直前に「SIGGRAPH(シーグラフ)」というコンピュータ・グラフィックスに関する世界最大のカンファレンスがカリフォルニア州アナハイムで開催されており、それに参加していたことから、ちょっと足を伸ばして僕のオフィスにも寄ってくれたのだ。
彼はロボットや仮想現実(VR=バーチャル・リアリティ)、拡張現実(AR)の分野で世界的に有名な研究者で、なんというか僕とは利害関係ではなく信頼関係でつながっている、本当の意味で「友達」と呼べる人だ。
相変わらずめちゃくちゃ頭が切れるので、僕たちのロボットや、そのロボットを使ったビジネスモデルについて、多くのフィードバックをもらった。短い時間の中で、よくもまああれだけ本質を突いた指摘ができるものだと、毎度驚いてしまう。かつて34歳という若さで国立大学の教授になった彼は、「天才」という名声を欲しいがままにしてきたはずなのだが、偉ぶることなんてこれっぽっちもなく、また後進の育成にやたら熱心で、世にも珍しい素晴らしい人だ。
稲見さんがやって来た!貴重なフィードバックを今後に生かさねば
8月11日、夕方を知らせる赤々とした西日が射す僕たちのサンノゼオフィスでいつものように仕事をしていると、ラースさんのPCに一通のメールが舞い込んだ。そこにはこう書いてあった。
「Most of your observations in your presentation are spot-on(あなたがメールに書いてくれた内容、私たちの産業が抱える問題点に関する指摘は、全くその通りです)」
僕たちが営業をかけようと、作成した資料を送った相手からのメッセージだった。ラースさんが色々と手を変え品を変え、上下左右斜めからアプローチして、何とか獲得した先方のメールアドレスに、この数日前、僕たちが作った渾身の提案資料を送っておいたのだ。
その日の夕方、ラースさんが興奮して僕の席までやってきた。「加藤さん、とにかく今すぐ見せたいメールがあるんだ。会議室に入ろう。大きなスクリーンで見て欲しいんだ」。こうして見せられたメールの冒頭に、この言葉が書いてあったのだ。
「おぉ~、すごいじゃないか!」
「だろ、加藤さん、そうなんだ、すごいだろう」
僕たちは歓喜した。このメール文面を二人で順番に何度も読み上げ、「おぉ~」とか「すげ~」とか、子供のようにはしゃいでいた。
爆発する日のために、少しずつ賢く
アメリカで活動を開始してしばらく、色々な角度から営業活動を行ってはきたものの、こんなに綺麗な形で、ピタッと僕たちの提案がハマった(ように見えた)ことは始めてだった。この文面のあとには、とにかく今すぐ僕たちに会いたいので、直近で僕たちに会える面会候補日をいくつか送って欲しいと書いてあった。
もちろん、望むところだ。先方が言うには、「自分たちでもこういう活動をやりたいと思っていたが、そんなサービスを提供してくれる会社がこれまでいなかった。だからとにかく早く会いたい」というのだ。
もちろん、この記事を書いている段階で、まだその会社には会っていない。来週アポが取れたので、ラースさんと僕の二人で、先方に会ってくる予定だ。それが上手くいくかどうかなんて、僕たちにも分からない。でも、僕たちは、ただただ興奮しているのだ。それは僕たちの人生にとって、大切なことなのだ。
僕はそのメール文面をプリントアウトして、僕の仕事机の横にある壁に貼り付けた。それがなんにせよ、これは僕たちにとって、記念のメールだ。
僕たちは毎日毎日、少しずつ少しずつ賢くなっている。水道管、ガス管、石油配管などのマーケットについて、毎日多くのことを学び、ロボットを使ったビジネスとして、何がヒットするのかについて、毎日少しずつ補正を繰り返した結果、お客さん候補の要望にピタッとハマったということなのだ。
「こうした活動を繰り返していれば、どこかでこのビジネスが爆発するはずだ」。赤々とした西日が、やがて紫色に変わる頃、僕たちはどちらともなく同じ言葉を口にしていた。
この記事も、色んなところで、「いつも奮闘記を楽しみにしています」などと言ってもらえて、本当に嬉しい限りだ。読者の方々からの応援メッセージには、相変わらずなかなか返信ができないながらも、全てに目を通している。引き続き、応援メッセージなどは、info@takashikato-office.comまで連絡をもらえれば、とても嬉しい。
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