「曖昧さへの耐性」楽しみつつ、いざ1社攻略へ
同志と語り、同志を見送った初夏。それぞれ前へ進むために
アメリカ東海岸、フィラデルフィアでの展示会を終え、西海岸はカリフォルニア州レッドウッドシティのオフィスに戻った僕たちは、休む暇もなく、新たな営業活動に取り組み始めた。展示会の会場で、顔を見ながら話をすることができた多くの水道公社の幹部たちと、善は急げとばかり、次々に電話会議をセットすることになった。
全米に向け、アポイント砲を発射
まずは我らが新会社フラクタのメンバー全員が、自分が交換した相手先の名刺を持ち寄り、それがどんな人だったか? どんなことに興味があると話していたか?などの情報をエクセルシートに入力し、これをまとめていく。こうして作ったリストを頼りに、営業の責任者であるラースさんを中心に、相手に丁寧なメールを送信し、電話会議のアポイントメントを入れていくのだ。
このところ、会議室のスピーカーフォン(ポリコム)を使うことが増えた。アメリカの国土は広い。日本のように、多くの会社が東京の一箇所に集中しているということはなく、アメリカでは、どこの都市も、どこの水道公社も僕たちがいるところからは遠いのだということを、この営業活動で改めて認識することになった。
これまでは、地元サンフランシスコ・ベイエリアの水道公社2社のみをパートナーとして、ひたすらソフトウェア製品を作っていれば良かった。ミーティングは概ね片道1時間、車で先方の事務所まで向かえば、対面で話をすることができたが、コロラド州の水道公社やケンタッキー州の水道公社、テネシー州の水道公社などと話をするとなると、そう簡単にはいかない。
メールと電話である程度のところまでしっかりと話を詰めて、どうやら先方との接点が明確になったところで、さらに具体的な話に進むために飛行機で先方に会いに行く。理想形は、こんな流れだろう。現時点では、お客さんになってくれる可能性のありそうな水道公社と電話会議をしまくるという生活だが、これが7月後半から8月になると、少しずつ実際に現地に行って人と会うということになってくるはずだ。
そんな折、信頼できる友人であり、尊敬する早稲田大学の先輩である中垣(徹二郎)さんが、レッドウッドシティのオフィスを訪ねてくれた。中垣さんは、Draper Nexusというベンチャーキャピタルの代表を務めており、日米で活躍するベンチャーキャピタリストだ。まだ生まれて間もないベンチャー企業に優先株式という特殊な権利が付与された株式を使って投資を行い、3~7年後、会社が成長したころを見計らって、自分が買った優先株式をより高値で売却する。とはいえ、これは言うほど簡単な仕事ではない。
全力で投げて、全力で受けて
中垣さんとは、気づけばもうずいぶん長い付き合いになる。中垣さんは、僕に、ベンチャー企業、またベンチャー企業の経営とはどうあるべきか?何が本当の選択肢なのか?ということを、いつも分かりやすく教えてくれる。目が覚めるほど頭が良く、その一方で、とても深いところに自分の哲学を持っている。筋を絶対に曲げない人。単なる流行りに流されない人。浮利を追わない、本物のエリートとは、彼のことだ。
お互い日本とアメリカを行き来しているが、二人ともいつも予定がパンパンなので、しばらくぶりの再会となった。中垣さんがフラクタのオフィスに到着するやいなや、遅れた時間を取り戻そうと、二人でしゃべりまくった。
最近のベンチャーの動向はどうなっているか? 今の日本経済の動きの中で、見るべきポイントはどこにあるか? メディアでは曖昧に書かれているところも、本当は何が起こっているのか? だとすれば、僕たちはどうすれば良いのか? 世間を騒がせている人間の中で、本物は誰で、偽物は誰か?
話は経済から政治へ、また政治から社会へ目まぐるしく変わっていく。日本にいて、ちょっとした友人との会話の中でこんな話を熱烈にしようものなら、すぐに村八分にされてしまう。残念ながら、そんな球は投げられない。しかし、中垣さんには安心して全力でボールを投げることができる。中垣さんも全力で投げ返してくれる。この知的キャッチボールはあまりに気持ちよく、時間を忘れた。言って良いんだ。全力で良いんだ。彼は起業家の気持ちを受け止める名キャッチャーであると同時に、同じくらい強烈なボールを投げ込んでくる名ピッチャーでもある。
中垣さんに、ベンチャーキャピタリストとしての才能と実績があることは言うまでもない。中垣さんは色々な分野をものすごくよく勉強していることに毎回驚くが、それ以上に、話の端々に見え隠れする彼の人間としての芯のようなもの、もっと言えば彼の根源的な道徳心のようなものに触れるたび、この人は尊敬できる人だなと心から思う。日本社会、日本経済の中で、僕たちができることがまだまだあるんじゃないか? そんな話をしながら2時間があっという間に過ぎていった。中垣さんとは、より長期的に、日本のためになることを一緒にやっていこうと話をし、しばしのお別れとなった。
中垣さんです。仕事仲間、友達、色んな言い方がありますが、尊敬しています。
6月末になると、2人のメンバーが会社を卒業した。本多君とマットだ。
本多君は、今年1月から始まった半年のトレーニー期間を終え、日本にまたロボットエンジニアとして戻っていった。どこまでも真面目な男で、性格の良さは筋金入りだ。本当は、アメリカでもっと一緒に働きたかった。実際にそういう道を模索したが、僕の力不足で上手く道を作ってやることができなかった。
しかし、そんな本多君から、数日前に近況を伝えるメールをもらった。そこには、半年間、色んなことが本当に勉強になったこと、多くの気づきがあったこと、それが日本に戻って役に立っていることが書いてあった。こういう瞬間が、なんのかんの僕の人生にとって一番嬉しい瞬間なのかも知れない。別れの日、本多君が迎えの車に乗り込む直前に、僕の携帯電話に電話がかかってきてしまったことから、十分な言葉をかけてやれなかった。それが一つの心残りだ。僕は、いくつになっても別れは苦手だ。でも、また日本で本多君と食事に行く機会を作って、たくさん話をしよう。
本多君、マット、互いにデカくなってまた会おう
そして、これと同じ時期に、もう一つの大きな別れがやってきた。これまで会社に大きく貢献してくれたマットも、このタイミングで会社を離れることになったのだ。日本語と英語のバイリンガル、過去にもロボット企業の経営経験ありというマットのバックグラウンドは、ロボット企業の経営にはピッタリと合っていた。しかし、僕たちが現在進んでいる、全米の水道配管の解析に焦点を絞った、機械学習(人工知能)を使ったソフトウェアサービス企業という方向性には、必ずしも合致しなくなってきていたことから、お互いの未来を考えて、マットはこのタイミングで会社を離れることになったのだ。
底抜けの明るさとリーダーシップ、組織を統括する力に長けたマットは、一言で言えば有り余る才能を持ち合わせていた。その才能を存分に使う場所が、その才能にピッタリと合う場所が、このフラクタの中には無くなってしまったということなのかも知れない。一点突破を良しとするベンチャー企業という特殊な企業形態、そしてビジネスの方向性をロボットというハードウェアから、機械学習というソフトウェアに思い切り変えたことの副作用のようなものが、僕の目の前に迫ってきていた。
よく考えれば、世の中にジェネラルな、全方位的な才能なんて無いのかも知れない。NBA(全米プロバスケットボールリーグ)で大活躍したマイケル・ジョーダンですら、その後転身したメジャーリーグベースボールの世界で成果を残すことはできなかった。それは運動神経が良い悪いとは全く別の話なのだ。
本多君とマットの卒業に関しては、一人の人間として寂しい気持ちが勝った。本多君の最終日、マットの最終日が近づくにつれ、胸が苦しくなり、どうにもやりきれない気持ちになった。僕はなんのためにここにいるのか。煎じ詰めればしょせんは金儲けの手段と言えなくはないビジネスの目的とは、いったい何なのか。そこにユニバーサルな(=万能な)答えなどあるはずはなく、「僕という人間にとって」ここアメリカでビジネスを成功させることの目的とは何か?という質問を突きつけられている気がした。
しかし、こうした悲しみを超えて進む先には、何か希望の光があるような気がすることもまた事実なのだ。日本人として、アメリカで、ビジネスの本場で、一矢報いたい。単身アメリカに渡り、ロス・アンジェルス・ドジャーズで活躍した野茂英雄のように、燦々と輝くカリフォルニアの太陽の下、アメリカ人相手にただ思い切りボールを放ってみたいという、素朴な情熱を僕は持っていた。しかし、それだけと言えばそれだけなのだ。毎日忙しくても、多くの犠牲を払っても、経営という、人間の本能に逆らうような辛い判断を行わなければならない仕事を、一方で僕は望んでいた。
7月5日、僕たちの初期製品ができあがったと、サンディエゴに住むマティーから連絡があった。ウェブ上できちんと動く製品として、吉川君が書いたプログラムを、マティーが上手くソフトウェア製品として仕上げてくれたのだ。
しかし、こうして嬉しいニュースがある一方で、僕たちは自分たちの現状に焦りを抱えてもいた。フィラデルフィアの展示会が終わり、忙しく営業活動を進めながら、僕たちは、心の底から売上が欲しいと願っていた。いつになったら、お客さん候補はこの製品にお金を払ってくれるだろうか? それはどんな金額だろうか?
僕たちの狙いは、正しいはずだ
僕たちは、このソフトウェアを水道公社が使うことで、相当な金額のコスト削減ができると信じている。理論値だけで言えば、2050年までに全米で100兆円かかると言われている水道配管の交換コストを、20~40%削減することができるはずなのだ。つまり、このソフトウェアを適切に使うならば、35年間で、20兆~40兆円のコスト削減ができるはずだ。
アメリカ全土で年間1兆円内外のインパクトがあるということに、僕たちは変わらず興奮している。これはブラフでも何でもなく、コンピューターの力を100%フルに使えば、極限まで効率的な水道配管の交換スケジュールを組むことができるはずであり、僕たちはその分野に風穴を開けようと毎日努力を続けていた。
しかし、しかしだ。僕たちには初期製品を一緒に使って磨き込んでくれるパートナーが2社いるとしても、現時点では売上がないことは厳然とした事実なのであり、僕を含めたチームの皆は、少しずつそこに苛立ちを感じ始めていた。
僕たちの狙いは、理屈からすれば正しいはずだ。パートナーの水道公社2社が2社とも、この製品の価値を感じてくれているようなのだから。しかし、もしかして、水道という市場が非常に動きが遅い結果として、産業全体がこの価値に気づくの遅れたとしたらどうだろうか? 民営ならまだしも、公営の水道公社が大半を占めるアメリカで、そんなことが起こらないとも限らない。他の会社はそれに気づいて、この水道市場に入ることをためらったのかも知れない。ヒト型ロボットベンチャーを経営したときも同じような気持ちに襲われたことがあったが、ここには、まだ誰も切り拓いていないことを切り拓く際の、独特の怖さがあった。
ベンチャーキャピタルという投資家から資金出資を受けたベンチャー企業は、一般的に1年半に一回程度、資金を調達しながら前に進んでいく。裏を返せば、ハイテクベンチャーの寿命は、1年半の倍数ということでもあるのだ。1年半のうちに、投資家と合意した何らかの価値を証明する。すると次のゲートが開き、より大きな資金を調達できる(つまり生き残ることができる)。しかし、この価値が証明できなければ、資金は調達できず、残念ながら会社は倒産する。非常に残酷だが、要はこういう仕組みだ。僕たちが1年半でやらなければならないことは、この製品の価値を証明すること、すなわち、この製品を使って、初期の売上を立てることなのだ。
7月11日、マティーがレッドウッドシティにやってきたので、皆でスターバックスに行き、コーヒーを飲みながらミーティングをした。マティーがふと「俺たちは、どうにもこうにも、曖昧で不確かな環境の中を生きているから、このところストレスが抜けないな」と漏らした。「ああ、確かにその通りだ」。営業の責任者であるラースさんにも、焦りの色が見え隠れする。
曖昧な環境へのダイブを、さあ皆で楽しもう
僕からはこう話した。
「今年が全てだ。1社が買えば、2社目が買う。つまり、今はたくさん売る必要はない。たった1社だ。たった1社、僕たちのこのソフトウェア製品に価値を認め、お金を払ってくれる会社を見つければ良い。そこに集中しよう。今僕たちはここにいられて幸せだ。なぜなら今年が最もエキサイティングな年になるからだよ。ああ、今年は楽しくなるさ。しかし、曖昧さに対する耐性っていうのかな、こういったものがポイントになってくる。どのみち僕たちはグーグルとかヤフーとか、大きな会社で働くことに飽き飽きしている変わった連中の集まりだ。曖昧な環境にダイブすることを、実は皆、心待ちにしてるのさ。大丈夫。きっと上手くいく」
そう、今年が最も楽しいときなのだ。ラースさんと一緒に苦労しながら、もう2年もブロックを積上げてきた。価値を証明できることは嬉しいことでもあるが、一方で、知的ゲームを楽しむプレイヤーの立ち位置からすると、価値が証明されてしまったら、ゲームの半分は終わったようなものなのであり、そこには不思議と同じくらいの物悲しさのようなものが残るのかも知れない。僕はそんなことを考えていた。
色々と大変なことがあるので、できるだけコーヒーは外のテラス席で飲むことにしています。カリフォルニアの天気の良さに、悩みも吹き飛びます。
前回も、色々な読者の方から応援のメッセージをいただいた。本当に嬉しい限りだ。読者の方々からの応援メッセージには、全てに目を通すようにしている。応援メッセージなどは、この記事のコメント欄に送ってもらえれば、とても嬉しい。公開・非公開の指定にかかわらず、目を通します。
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