またこの人事は、単にマティー個人の能力の問題とは切り離して議論すべきことでもあった。マティーは南カリフォルニアのサンディエゴに家族と一緒に住んでおり、当初はコンサルタントとして初期製品のモックアップ(デモ版)を作るのを手伝ってもらっていたのだが、あまりにも真面目で良い人なので、フルタイムで採用したという経緯がある。

 しかし、いくらリモートワーク(自宅からの勤務、本社とは別の場所からの勤務)が珍しくないアメリカという土地においても、サンディエゴとレッドウッドシティ(フラクタ本社)は車で8時間、通常は飛行機で飛ばなければならない距離であることを考えると、このコミュニケーションには大変苦労した。マティーが吉川君率いるエンジニアリング・チームの近くにいるならば一瞬で解決することが、電話やビデオ会議の繋ぎ合わせでコミュニケーションした結果として、間違った要件として伝わることもあり、僕はこうしたことにも悩みを抱えていたのだ。

 しかし、この問題を解決するのは今だ。資金調達後の、このタイミングしかないだろうと思った。アメリカは何かあれば直接伝える文化が根付く国だ。兎にも角にも、きちんとこうしたことをマティーに伝え、マティーの上にボスを雇うこと、それはマティーの役割と責任を狭めるという意思決定になることを伝えなければならないと思った。

「マティー、話がある」

 6月頭のある晴れた日の朝、僕はその意志を固めると、オフィスの外に出てマティーに電話をかけた。

 「マティー、話がある。過去、何度かサンディエゴとレッドウッドシティのコミュニケーションの問題について話し合ったことがあるよね。フラクタは資金調達もした。成長の準備も整った。この問題を今解決しなければと思っているんだ。製品開発のヘッドは、レッドウッドシティにいなければならない。マティーがこっちに引っ越せないことも分かっている。このタイミングで、マティーと吉川君の上に、製品・エンジニアリング担当の副社長を雇いたいんだ……どう思う?」

 マティーからの返答は意外なものだった。

 「加藤さん、それは……良い考えだ。これまで製品開発をリモートでやってきたけれど、どうしても効率が落ちる。これはある意味で仕方がないことだ。ただし、これからはもっと製品やエンジニアリングの部門でも人が増えるだろうから、現場で指揮を執る人間がいないと厳しいよ。こちらは問題ないし、良い採用になることを祈っているよ」

 「マティー、理解してくれて、感謝するよ。これまでマティーがやったことを、しっかりとこの副社長に引き継いでもらおう。マティーには、製品のインターフェース(お客さんが直接操作するウェブページ上の画面のこと)設計と、製品の使い勝手の良さについてさらに改善を積み上げていく部分について引き続き担当してもらいたいと思っている。一緒に、もっと会社を大きくしよう」

 こうしたコミュニケーションから、僕が学び取ったことがある。僕にとってみれば、マティーの反応は意外なものだった。しかし、敬意をもって、会社の成長のために必要なことを直接、しかも事前に相談したこと、引き続きマティーに頼みたい仕事があることが、彼にある種大きな安心感を与えたのかも知れなかった。マティーには、元々彼が過去に経験してきたことよりも目一杯手を広げて製品の要件定義までやってもらってきた。ベンチャーという独特の環境下で、どこからどこまで仕事の手を広げれば良いのか分からないほど、ずっとつま先立ちして歩いて(いや走って)きて、改めてマティーの得意分野に役割と責任が落ち着いたことに、ある種の安堵感を感じたのかも知れなかった。

マティーとラスベガスにて。これからもよろしく。一緒に、もっと会社を大きくしよう