6月中旬にラスベガスの展示会(全米水道カンファレンス)が終わると、立て続けにいくつかの仕事が決まった。南カリフォルニアの非常に大きな市が、僕たちフラクタのソフトウェアに対する導入を検討し、パイロット製品とサービスを購入する契約にサインをした。営業に行ってから1カ月くらい音沙汰の無かった北カリフォルニアのある街も、いきなり「御社のソフトウェアを使いたい」と言って、ぶっきらぼうに向こうから契約書を送ってきた。
何かが動き始めている気がするが、しかしその動きはまだ完全なものではない。油断は禁物だし、とにかくこうしたBtoB(ビー・トゥー・ビーと読む:Business to Businessの略。法人向けに売る製品という意味。個人向けの製品ではないことの総称)のソフトウェア製品は、あまり派手なことをせず、きちんとした方針のもと、しっかりとした製品を作って、手堅く売っていくしかないのだ。
次は、製品・エンジニアリング担当副社長を
そうこうしているうちに、僕は資金調達が終わるまで抑制してきた人材採用を本格化させた。何より重要だと思っていたこと、ずっとやりたいと思っていたことは、製品・エンジニアリング担当副社長を採用することだ。
製品のヘッド(長)にはマティーがいて、エンジニアリング(=技術)のヘッドには吉川君がいる。フラクタには、ものすごくエッジの効いた(大変に高度な)技術があれど、それをきちんと水道会社の人たちが使いやすいように整理して、きちんとお客さんに届けていくためには、この分野で多くの経験がある、「売れる製品をきちんと定義でき、かつ製造できるボス(=親分)」を雇う必要があり、正直半年くらい前から、このポジションに人を投入しなければ製品として大きな成長は期待できないと思っていた。
しかし、資金調達が終わるまで、自らの生存が確認できるまで、僕はこの採用に手をつけずにいたのだ。また何よりこの話を難しくしていたのは、現職で製品担当をやっているマティーの「気持ち」に対する配慮からだった。
ラースさんからダグへ、営業・マーケティングの責任者をスイッチしたときもそうだったが、ものすごく短いタイムフレームの中で、テンポよく成長を確保していくためには、人の入れ替え、ポジションの変更をきちんと行っていく必要があった。人間の成長よりも組織の成長の方が早いといったことが、健全なベンチャー企業では時として起こる。また、思いもよらない方向に会社が成長した結果、既存の従業員の経験だけでは、安全な航海を達成できないことがあり、外部から船員を雇ってこなければならないことがある。
こうした状況下、組織として正しいことをやる、つまり「いま目の前で起こっていることを即座に解決できる人材を、既存の従業員よりも高いポジションで雇う」こと、それを決断することがCEOの仕事ではあるものの、その組織として正しいことが、多くの場合、個人の利害やプライド、思いと相反することがあり、それをきちんと乗り越えていかなければならない。
マティーがフラクタの製品を担当するようになってからもう1年半以上経っており、吉川君が書いたソフトウェア・コードを、ウェブブラウザ(ウェブサイトを閲覧するソフトウェア)で表示できる製品に仕立ててくれたのはマティーだった。
またこの人事は、単にマティー個人の能力の問題とは切り離して議論すべきことでもあった。マティーは南カリフォルニアのサンディエゴに家族と一緒に住んでおり、当初はコンサルタントとして初期製品のモックアップ(デモ版)を作るのを手伝ってもらっていたのだが、あまりにも真面目で良い人なので、フルタイムで採用したという経緯がある。
しかし、いくらリモートワーク(自宅からの勤務、本社とは別の場所からの勤務)が珍しくないアメリカという土地においても、サンディエゴとレッドウッドシティ(フラクタ本社)は車で8時間、通常は飛行機で飛ばなければならない距離であることを考えると、このコミュニケーションには大変苦労した。マティーが吉川君率いるエンジニアリング・チームの近くにいるならば一瞬で解決することが、電話やビデオ会議の繋ぎ合わせでコミュニケーションした結果として、間違った要件として伝わることもあり、僕はこうしたことにも悩みを抱えていたのだ。
しかし、この問題を解決するのは今だ。資金調達後の、このタイミングしかないだろうと思った。アメリカは何かあれば直接伝える文化が根付く国だ。兎にも角にも、きちんとこうしたことをマティーに伝え、マティーの上にボスを雇うこと、それはマティーの役割と責任を狭めるという意思決定になることを伝えなければならないと思った。
「マティー、話がある」
6月頭のある晴れた日の朝、僕はその意志を固めると、オフィスの外に出てマティーに電話をかけた。
「マティー、話がある。過去、何度かサンディエゴとレッドウッドシティのコミュニケーションの問題について話し合ったことがあるよね。フラクタは資金調達もした。成長の準備も整った。この問題を今解決しなければと思っているんだ。製品開発のヘッドは、レッドウッドシティにいなければならない。マティーがこっちに引っ越せないことも分かっている。このタイミングで、マティーと吉川君の上に、製品・エンジニアリング担当の副社長を雇いたいんだ……どう思う?」
マティーからの返答は意外なものだった。
「加藤さん、それは……良い考えだ。これまで製品開発をリモートでやってきたけれど、どうしても効率が落ちる。これはある意味で仕方がないことだ。ただし、これからはもっと製品やエンジニアリングの部門でも人が増えるだろうから、現場で指揮を執る人間がいないと厳しいよ。こちらは問題ないし、良い採用になることを祈っているよ」
「マティー、理解してくれて、感謝するよ。これまでマティーがやったことを、しっかりとこの副社長に引き継いでもらおう。マティーには、製品のインターフェース(お客さんが直接操作するウェブページ上の画面のこと)設計と、製品の使い勝手の良さについてさらに改善を積み上げていく部分について引き続き担当してもらいたいと思っている。一緒に、もっと会社を大きくしよう」
こうしたコミュニケーションから、僕が学び取ったことがある。僕にとってみれば、マティーの反応は意外なものだった。しかし、敬意をもって、会社の成長のために必要なことを直接、しかも事前に相談したこと、引き続きマティーに頼みたい仕事があることが、彼にある種大きな安心感を与えたのかも知れなかった。マティーには、元々彼が過去に経験してきたことよりも目一杯手を広げて製品の要件定義までやってもらってきた。ベンチャーという独特の環境下で、どこからどこまで仕事の手を広げれば良いのか分からないほど、ずっとつま先立ちして歩いて(いや走って)きて、改めてマティーの得意分野に役割と責任が落ち着いたことに、ある種の安堵感を感じたのかも知れなかった。
マティーとラスベガスにて。これからもよろしく。一緒に、もっと会社を大きくしよう
「フーリオ、他に仕事を探しているのか?」
ちょうど同じ時期、ずっと一緒に走ってきたフーリオが会社を退職した。会社の方向性がロボットから機械学習(人工知能)へと変わってからは、ソフトウェアのエンジニアとして働いてくれていたフーリオだったが、半年くらい前から、ずっとエンジニアリングではなく、製品担当になりたいと希望を口にするようになっていた。
とはいえ、フーリオは製品の要件定義に関する経験は無い。ここはベンチャーだ。キャリアに関しては、会社の成長スピードに合わせ、個人が成長できる限りにおいては、できるだけ個人の希望を叶え、思い切り手を伸ばして頑張ってもらうというのが僕の方針ではあったが、会社の成長が早すぎる場合には、どうしても経験者で枠を埋めていく必要があった。
フーリオが足早にオフィスを後にすることが1、2週間続いたある日、僕はフーリオに声をかけた。
「フーリオ、休憩だ。ジュースでも飲みに行こう」
オフィスの外に出てしばらく歩き、2人が座れる広場の椅子を見つけると、僕は単刀直入に切り込んだ。
「フーリオ……あのさ、他に仕事を探しているのか? そんな気がするんだ。これまでずっと経営者として生きてきた。僕は勘が良いんだ。きっとそうだろう?」
フーリオがビックリした顔をしてこちらを見ている。そう、図星なのだ。冗談抜きで僕の勘は正しい。
「ああ……加藤さん、実は、ずっと言わなければと思っていたんだ。ただ、まだ完全に決まったわけじゃない。最終面接に進んでいる会社が一社ある。でもそこに行くかは、まだ決めていないんだよ……いつか相談したことがあったけど、フラクタで製品を担当させてもらうことは、やっぱり難しいかな? もし残れるのであれば、フラクタに残って、製品の要件定義をやるというのはありだと思うんだ。大学を出て最初は分からなかったけど、この半年くらいかな、ソフトウェア・エンジニアリングが、自分が一生かけてやりたい仕事じゃないかも知れないって思うようになったんだ。だから今、製品を担当させてくれるスタートアップへの転職を考えている」
「フーリオ、そうだな、答えは……NOだ。でも、これは、悪いNOじゃない。つまり、僕はフラクタでフーリオの成長を担保できないと思っている。製品を担当しようにも、マティーは遠くサンディエゴにいるし、近くで仕事を教えてくれるかも知れない副社長については、採用が始まったばかりだ。誰が来るかも分からない。まだ来てくれるかどうかも分からない。その人が来たとして、フーリオを育てると宣言してくれなければ、話はまた振り出しに戻ってしまう。
そうじゃなくて、もし僕が一人の人間としてフーリオの将来を考えるなら、行って来いよと言うしかないと思うってことだよ。行ってみてさ、製品の仕事を覚えて、帰っておいで。いつでも帰ってきて良い。フーリオにとって、フラクタはまだ一社目だ。その一社目がロボットの会社から人工知能の会社へ、石油産業から水道産業に事業をシフトした。その一つひとつにフーリオは食らいついて、ベンチャーの何たるかを見ることができた。会社が成長フェーズに入って、各々のスタッフにより具体的な役割と責任が求められるようになると、その分野で長い経験を持っている人でも無い限り、将来が不安になる。その気持ちが分かる気がするんだ。
でもその製品の知識や経験を体系的に身につけるには、今急拡大しているフラクタは最適の場所とは言えない気がするんだ。もしくは最適の場所だったとして、それにどうやってフーリオが気づいて納得できるのか、多くの会社を経験してきた僕には、逆に分からなくなる。世の中に絶対性なんて無くてさ、やっぱりあらゆるものは相対的なんだ。だとすると、他の会社を見てみて、それで帰ってきたほうが、ずっとスッキリするんじゃないかと思うんだ。行ってこいよ」
これが、まぎれもない僕の本音だった。僕は従業員に対して本音しか言わない。嘘はつかない。フーリオに適当なことを言って、会社に残らせることはできた。しかし、それはフーリオの悩みを解決することにはならない。それよりも、フーリオの人生を第一に考えることが大切だ。そうすることで、またフーリオは戻ってきてくれるかも知れない。そしてその時には、良い製品担当になってくれるはずなのだから。フーリオがものすごくホッとした顔をしていたのが印象的だった。
次の日の朝、フーリオといつもと変わらずスターバックスでコーヒーを飲むと、なんだか懐かしいフーリオの顔を見たような気がした。スッキリしていて、希望に満ちあふれている。ここ数カ月のフーリオは、何となく戦々恐々としている気がした。新しい業務を次々と覚えなければならないが、それを教えてくれる人はほとんどいない。吉川君に質問をすれば、「まずは自分で考えてみようか」と返される。また、たったいま大学を卒業したばかりのフーリオに、新任の営業マンは容赦なく質問を投げかけ、頼りにしてきた。それは素晴らしいことでもありながら、一方で、過大なプレッシャー下に、フーリオという若者をさらし続けてしまったことに、僕は改めて気づいた。
フーリオは最近、サンフランシスコにある損害保険関連のスタートアップで、製品担当者として働き始めた。たまにテキストメッセージでやり取りをしている。
「フーリオ、そろそろお茶でもしようよ。僕は、寂しくて仕方がない!」
「加藤さん、もちろんだ!」
フーリオとお別れの一杯。友情は続きます(そして彼はきっとフラクタに帰ってきます)
さあ、パンケーキ屋で話そう
6月に入ると、僕は早速ヘッドハンター複数社に声をかけ、製品・エンジニアリング担当副社長の採用に関する準備を始めた。
会社のオペレーション(業務遂行)には2つの大きな柱がある。「営業・マーケティング」と「製品・エンジニアリング」だ。ダグは営業・マーケティング担当の副社長、そしてこのポジションはその反対側、製品・エンジニアリング担当の副社長だ(ラースさんが担当しているイノベーションは、これとはまた別の、特別な立ち位置のものだ。半年から3年後くらいまでにフラクタが起こすべきイノベーションを定義するという仕事なのだ)。
このポジションは、僕の直下で働いてもらう必要があり、僕に直接報告を上げてもらう。その意味で、このポジションだけは、自分ですべてのプロセスを行っていこうと心に決めていた。
連日、職務経歴書がヘッドハンターから送られてくる。アメリカでこうしたポジションを探すためには、いま現職で働いている人を、他の会社から引っこ抜いてくるしかない。ヘッドハンター推薦の、フラクタに興味を持ってくれているという20人くらいの人たちの職務経歴書に目を通し、最終的には8人と直接面会することにした。
このポジションは、レッドウッドシティのオフィスで、吉川君の隣りで働いてもらわなければならず、久しぶりのローカル採用(現地採用)だったので、電話やビデオ会議による面接ではなく、直接顔を見て話をしたほうが良いと思った。僕は会社近くのパンケーキ屋さんを面接会場に設定し、毎日毎日そのパンケーキ屋さんに通って、面接の前後でひたすらコーヒーを頼み続け、2時間、3時間と居座り続けた(本当に迷惑な客だ。しかし、そこはきちんとチップを多めに払うというところで、帳尻を合わせたつもりだ。これがアメリカ流だと勝手に思っているが、間違っているかも知れない)。
驚いたことに、兎にも角にも、ここサンフランシスコ・ベイエリアに住む、ものすごく優秀と思える人たちが面接に集まった。会う人、会う人、この人と一緒に働いたら上手くいきそうだなと思う人たちばかりだ。フラクタがやっていることの社会的意義や、技術の確からしさ、経営やアドバイザーの布陣の強さもさることながら、資金調達を終えて、やっと僕たちもきちんとした給料を支払える会社になったので、そのあたりの安定感も影響しているのかも知れなかった。
人選は本当に難しい。重要なポジションになればなるほど、それは難しい。候補者は皆、非常にユニークかつ素晴らしいバックグラウンドを持っており、履歴書を見て何かを決めることは、僕には不可能なように思えた。
「ジョエル、君はその時、どうする?」
僕は悩んだ。そんなある日、営業に向かうサンノゼ空港の構内で、ある一人の最終候補者に電話をかけた。電話口に出たのは、その前の週、1時間と決められたインタビュー(面接)の中、何だか話に夢中になってしまい、結局2時間以上話し込んでしまった候補者、ジョエルだった。
「ジョエル、やあ、元気かい? 製品・エンジニアリング担当副社長の採用については、今週中に目処をつけようと思っている。そこで、最後に一つだけ質問をさせてくれないか。ジョエルのバックグラウンドからは、製品をきちんと定義できること、それをきちんとエンジニアリング・チームに作らせることができるのが分かるよ。それは良く分かった。あとは組織だ。これから人が増える。製品・エンジニアリングの部署で、半年で2倍、3倍くらいに人が増えていく。
その時に、本当に、身内に厳しくできるかい? 多くの組織の問題は、リーダーの覚悟の問題だ。組織がやりたいこと個人がやりたいことが衝突するとき、自分の部署と隣の部署がやりたいことが衝突するとき、リーダーは部下や隣の部署ときちんと正面から向き合い、良い意味で強く対立できなければならない。言うことを聞かない部下がいたら、きちんとクビにする。納得がいかない要求が来たら、体を張って押し返す。これができるかってことだ。ジョエルは良い人そうだ。顔を見ればわかるよ。ただし、戦場では良い人でいられないときがある。良い人でいてはいけないときがある。その時、あなたはどうしますか?」
ジョエルはすぐにこう答えた。
「加藤さん、たぶん加藤さんは僕と面接で話をして、僕の一面、それは優しい一面というのかな、を見たのだと思う。ただし、僕にはもう一つの側面がある。それは厳しいビジネスマンとしての一面だ。でもそれはね、毎日厳しいとか、単に厳しいのが好きだとか、そういうことじゃない。
あらゆるものは、フェアかどうかで判断されるべきものだと思ってるんだ。
僕はね、フェアじゃないものを憎む性質を内側に持っている。働かないのに、貢献しないのに、給料ばかりもらおうとする人、発言の内容を通そうと、声ばかり大きい人、皆フェアじゃないと思う。そして僕は、それがフェアじゃないと思ったとき、自分の内側である爆発が起こって、ものすごく厳しい側面を出すようになる。人との対立を恐れるという感じは、僕にはないね」
なるほど、判断基準は「それがフェアかどうか?」か……。僕は妙に納得した。なぜなら、僕が自分の人生で何よりも大切にしてきたことが、それは本当にフェアなのか?という自分に対する問いだったからだ。自分と同じようなことを言う人が、ここにもいたか。履歴書に書いていないことが、ここにあった。
「分かった。採用はこれで決まりだ。細かいことは人事担当のジョンと話をしてくれ。すぐにオファーレターにサインするよ」
僕はこのMIT(マサチューセッツ工科大学)を出て、GEのビッグデータ部門含め、多くのソフトウェア企業、とりわけスタートアップ企業で製品・エンジニアリングの要職を渡り歩いてきたジョエルという人間に賭けてみようと思った。
6月中旬から7月中旬にかけて、ダグの営業・マーケティングチームで、さらに6人の営業マン(電話営業も含む)がフラクタの仲間に加わった。1カ月でチームの人数が2倍になり、良いスピードだ。車の運転もそうだが、スピードが上がれば上がるほど、僕の集中力は増していく。こういう営業のパターンが正解だ、と納得できるまで、いったん走り抜けたいと思った。
右手真ん中(吉川君とアイリーンの間)がジョエルです。インド料理を食べに行きました
前回も、色々な読者の方から応援のメッセージをいただいた。本当に嬉しい限りだ。読者の方々からの応援メッセージには、全てに目を通すようにしている。応援メッセージなどは、この記事のコメント欄に送ってもらえれば、とても嬉しい。公開・非公開の指定にかかわらず、目を通します。
仕事で寄ったPalo Altoの街並みです。こうした景色に癒されながら、英気を養っています
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