チーフ・クレイジー・オフィサー
午後1時から、ダグがイノベーション・ラウンジという展示会場でフラクタのプレゼンテーションを行うというので、僕はすぐにそこに向かいたかったが、その前に、早くフラクタ・ポロシャツに着替えたかった。会場の更衣室でポロシャツを着込むと、すぐにプレゼンテーション会場に向かった。
プレゼンテーション会場には、前日に会場入りしていたラースさんが、いつものように満面の笑顔で僕を迎えてくれた。
「やあ、加藤さん、元気かい!」
「ラースさん、もちろん元気だよ。たった今到着したんだ」
「さあ、そろそろダグのプレゼンテーションだ。それにしても、フラクタの展示ブースはすごい盛況だよ。人工知能による配管の漏水予知というものが、間違いなく市場に浸透し始めている。一昨年はロボットの展示をやっていたなんて、信じられないよ」

最近、僕とラースさんの間では、昔話で盛り上がることが増えた。何しろ、会社ができてから丸3年とはいえ、ずいぶんと長い道のりをここまで一緒に歩んできたのだ。
ついその前週、会社で資金調達に関するお祝いのパーティー(といっても、ただ金曜の夕方に会社に残っていたメンバーで、お酒を飲んだだけなのだけれど)をやったのだが、その途中、ラースさんが少し酔っ払って、演説をした。




「えー、私の隣りにおりますCEOの加藤さんは、一昨年の全米水道カンファレンスの会場となったシカゴにて、ホテルの予約がキャンセルされたという事件が起こりまして、その際に、『ラースさん、僕は全然大丈夫、日本との会議もあるから、なんならシカゴの街のセブンイレブンで雑誌の立ち読みでもしながら朝を待つよ』と言った、とてもクレイジーな人間です」
レッドウッドシティのオフィスを訪れていたダグを含め、皆がいっせいに笑った。場所にもよるが、シカゴの夜はとても危険だ。僕はアメリカに来て間もないころ、そんなことも全く知らなかった。一つひとつ、アメリカの常識をラースさんに教えてもらいながら、ここまで来た。
すかさず僕はこう切り返した。
「えー、ここにおりますラースさんという人は、その際、ホテルマンと交渉をしてくれまして、結局もうこれ以上、追加の部屋が無いということで、2人で一緒の部屋に泊まることになったわけです。しかし、ラースさんはその時、ソファーベッドのセットアップで、はちゃめちゃにシーツをひっくり返して敷くなど、まさにクレイジーな人でして、これが本当のチーフ・クレイジー・オフィサーだと思っています」
皆がまた笑った。
パーティーのあったその日、僕は全社会議で、今後の急成長をにらんだ、新しい組織体制を発表した。栗田工業との資本業務提携がまとまったとはいえ、先は長い。イノベーションを止めてはいけない。僕たちがやってきたことは、まぎれもない「イノベーション」そのものだった。
会社が成長フェーズに入るといっても、落ち着いてはいけない。ダグというエースを配置し、営業とマーケティングに関しては無双の構えだ。しかし、営業とマーケティングは、向こう半年くらいをターゲットにした活動になりがちで、競争相手との差別化を含め、どんどんと新たなイノベーションを生み出していかなければいけないというのが僕の頭の中にあった。
もちろんこういうことに最も長けているのは、トライ・アンド・エラーの中から本質を見出そうとするカリフォルニア・ガイ、ラースさんしかいないのだ。僕は改めてラースさんを「チーフ・イノベーション・オフィサー」に任命し、全社会議で皆に伝えた。
「フラクタは、イノベーションを止めない。クレイジーであることを止めない。それをこの新組織で明らかにしたかった。その意味でラースさんをチーフ・イノベーション・オフィサーに任命するが、しかし、彼は、どこまでいっても、クレイジー、僕たちのチーフ・クレイジー・オフィサーであって欲しいと願っている」
会議中、ラースさんの気合十分の表情が、印象的だった。
話を展示会に戻そう。ダグを会場で見つけると、やや緊張した面持ちながら、一方で、完全に準備万端といった、相撲の立ち会い前の力士のような表情をしていた。いくつか冗談を交えて雑談を終えると、「さあ、俺の番だ」と言ってダグは演壇に駆け上がり、フラクタがいかに優れた製品・サービスを提供しているか、惜しみない拍手の中、プレゼンテーションを完遂した。

その後、翌日まで、会場では、イリノイ州周辺営業担当のデーブや、製品担当のマティーなど、フラクタ軍団とたくさん交流しつつ、僕もいくつか重要な商談をこなしていった。最近の僕の担当は、一つひとつの水道会社に対する営業というよりもむしろ、製品の相互乗り入れや、販売チャネルの構築といった、事業提携に近い項目が多くなっている。フラクタというアイデアが、組織的な活動として、会社として大きくなろうとしている。
前回も、色々な読者の方から応援のメッセージをいただいた。本当に嬉しい限りだ。読者の方々からの応援メッセージには、全てに目を通すようにしている。応援メッセージなどは、この記事のコメント欄に送ってもらえれば、とても嬉しい。公開・非公開の指定にかかわらず、目を通します。
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